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松下幸之助が「成功する確率」で物事を判断しなかった真意

川上恒雄(PHP理念経営研究センター首席研究員)

松下幸之助 川上恒雄
イラスト:松尾達

人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。

本稿では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?

【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。

※本稿は、『THE21』2022年4月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい」を一部編集したものです。

 

決断や判断の基準は「勝ち負けの確率」ではない

1983年、松下政経塾が初期の頃の話である。同塾の設立者で塾長の松下幸之助に対して、塾生の1人がこんな趣旨の質問をした。

「人生には、賭けを伴う決断をしなければならないことがある。例えば選挙に出ることは、大勝するか泡沫候補に終わるかわからず、一種の賭けである。こうした勝敗の定まらない賭けについて、塾長はどのようにお考えか」

リーダー育成を掲げる松下政経塾の塾生の中には、政治家を志す若者が多い。質問をした塾生も、卒塾後に選挙への出馬を考えていたのだろうか。ただ、地盤や看板もないため、勝つ見込みが立たず、不安を抱えていたのかもしれない。幸之助の回答は厳しいものだった。

「勝つか負けるかわからないようなときは、やらなければいいのだ。大事なことについて、やってみなければわからないというのは、むしろおかしい。私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというようなことは決してしない。絶対にこれはすべきだということを、必ず成功させるのだという意気込みを持ってやる。だからそもそも、賭けなどする必要すらない」

さらに幸之助は、「成功するしないにかかわらず、やらなければならないという仕事をしてきた」と述べている。つまり、結果的には失敗したこともあったということだ。

けれども幸之助は、決断や判断の基準を、勝ち負けの確率ではなく、自分あるいは自社の使命としてやるべきかどうかに置いていた。そうであるからこそ、力強い信念を持って事業を展開し、その過程で失敗に直面してもひるむことなく、成功するまでやり抜くことに力を注いだのである。

質問した塾生と同様、我々はつい、失敗の可能性を考えてしまう。そして、失敗が少しでも予見されたら「これは止めておこう」と、すぐに諦めてしまいがちだ。

しかし、成功確率を基準に物事を判断していたら、いつまでたってもやるべきことができない。「失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい」のだ。

ちなみに幸之助によると、真剣な態度で仕事に打ち込むほうが、かえって個人的にも実利を得られるのだと言う。何をどのようになすべきかについて考え抜くので、思考能力が高まる。

考え抜いてもいい案が思いつかなければ、周囲の人たちと議論を交わしたり、他者の助けや知恵を借りたりといった努力をするので、その熱心さが周囲の共感を呼び、人間関係の改善につながる。その結果、仕事に没頭することに大きな喜びを得られると言うのだ。

 

命を懸けるほどの思いでやる覚悟

実際、幸之助の言葉に出合ったことで、真剣であることの重要性に気づいたという有名経営者がいる。社員の多様な働き方を尊重し、「100人いれば100通りの働き方」を実践しているサイボウズの社長の青野慶久氏だ。

1971年生まれの青野氏はもともと、旧松下電工の社員である。その後、同社の先輩らと3人で、愛媛県松山市に借りたマンションをオフィスとして、グループウェアを手がけるサイボウズを起業した。

先輩社長のリーダーシップの下、同社は順調な発展を遂げ、本社も東京に移転する。2005年、副社長だった青野氏が2代目社長に昇格した。

2005年と言えば、まだライブドアショックの前で、IT業界の華やかなりし頃。青野氏は事業拡大を目論み、積極的にM&Aに乗り出す。ところが、翌年になってもこれがうまくいかず、社員は次々と辞めていく。社内の雰囲気も悪化した。

青野氏はすっかり自信を失い、社長を辞めたい、死にたい、とすら考えたと言う。そんなとき、たまたま立ち寄ったコンビニで、書棚に置かれた1冊の本『松下幸之助 日々のことば』(PHP研究所刊)が目に留まる。手にとってページをめくってみた。

「本気になって真剣に志を立てよう。強い志があれば事は半ば達せられたといってもよい」

青野氏はこの言葉に強い衝撃を受け、自分はどれだけ真剣に経営をしてきたのか、自問自答した。幸之助は同書の中で他にも、「命を懸けるほどの思いでやる覚悟ができていれば、命を懸けずして、順調な姿でやっていける」と説いている。

「死にたい」なんて考えているけれど、その前に、まだ命を懸けるほどの真剣さで経営をやってないのではないかと、青野氏は思ったという。

いまどき「命を懸ける」など、「昭和の時代でもあるまいし」ととらえる向きもあるだろう。幸之助はもちろん、「死ね」と言っているのではない。経営でも仕事でも、使命の実現に向けて、本気になって真剣に取り組まねばならないと訴えているのだ。

青野氏は、自分の命を懸けるべきことは何か、改めて考えた。それはやはり、グループウェアで世界一になること。そのためにはまず、自分自身が変わらなければいけない。

それまで社員とのコミュニケーションを億劫に感じていたが、正面から向き合うことにした。あいさつをする、声をかける、会議では自分が納得するまで質問をぶつける──。

そんなことを続けているうち、社員のほうから積極的な提案が増え、社内の雰囲気が良くなり、辞める人が減っていった。やがて業績は回復する。

「チームワークあふれる社会を創る」というサイボウズの現在の理念の背景には、こうした青野氏の改心があった。青野氏の社長室には今でも、「真剣」の2文字が掲げられているのだと言う。

「がんばっているのに、仕事がうまく進まない」という声をよく聞く。しかし、それが言い訳にしか聞こえないこともまた多い。

本当に真剣にがんばっているのか、面倒なことから逃げていないか、自分自身に問いかけながら日々の仕事に取り組みたいものである。

 

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