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家が貧しく、病弱だった松下幸之助が唱えた「運命に従う」ことの意義

2022年10月28日 公開
2023年02月01日 更新

川上恒雄(PHP理念経営研究センター首席研究員)

松下幸之助
イラスト:松尾達

人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。

本記事では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?

【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。

※本稿は、『THE21』2022年8月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~運命に光彩を加える」を一部編集したものです。

 

運命を引き受ける覚悟が幸せにつながる

会社で望まない仕事や役職を任されているとか、家庭の事情で会社の仕事に注力できないといった不満を抱えている人は多いだろう。筆者も仕事の負担が高まると、そのように感じることはたびたびある。けれども、そんな悩みはぜいたくであることを、最近、佐々木常夫さんの話を拝聴して、痛感した。

佐々木さんは現在、佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表を務めているが、かつては東レの社員そして取締役、さらには東レ経営研究所の社長として活躍した。その名が広く知られるようになったきっかけは、2006年の『ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない』(WAVE出版)の出版である。62歳のときであった。

佐々木さんは、自閉症の長男を含む3人の子供と、うつ病に苦しみ数度の自殺未遂までした妻を抱えながら、東レの経営企画室等で、3人の社長に仕えるという重要な職務をこなした。それができたのも、佐々木さんの家族に対する深い愛情と、定時帰宅を習慣とするだけの高い仕事の生産性による。

筆者もそのことを知ってはいたが、佐々木さんの話をじかに聴き、あらためて感銘を受けた。けれどもそれ以上に印象に残ったのは、佐々木さんが「運命」について強調されたことである。

佐々木さんは6歳のときに父を亡くした。残された母は、ほとんど愚痴もいわず、佐々木さんを含む4人の子を育て上げた。母の教えは「運命を引き受けよう」。今度は何の因果か、佐々木さん自身が夫および親として、妻や長男の世話に追われた。あまりの苦労に何度も涙を流したが、その母の教えが生きる支えになったという。

佐々木さんは家族の世話にも、与えられた仕事にも、懸命に取り組んだ。すると、光が見えてくる。家庭と仕事を両立するためのタイムマネジメントを実践し、社内の評価を上げた。

経営研究所の社長になって、仕事の時間を以前よりもコントロールできるようになると、妻の状態も落ち着いてきた。雑誌の小さな記事に取り上げられ、それをたまたま読んだ出版社の人から本の執筆を依頼された。60歳を過ぎて出版した本は世間から注目され、活躍の場が格段に広まった。

佐々木さんの「運命を引き受ける」覚悟が、家庭にも仕事にも手を抜かない真摯な姿勢を生み出し、ついには本人と家族の幸せをもたらす。佐々木さんによると、仕事も家庭もただ頑張るのではなく、創意工夫を加えることによって、道がひらけてきたという。

 

経済力、学歴、健康面の不利が事業発展の礎を築いた

松下幸之助も、「運命に従う」ことを唱えた。幸之助の場合、佐々木さんと異なり、親から愛情を注がれた期間は短く、経済的理由で小学校を中退し、9歳のときに奉公に出た。まもなく自分には職業選択の自由がないことを悟る。通学する同世代の姿を見て、丁稚である自分との身分の違いに気づいたのだ。

その後に大阪電灯に工員として勤務し、持ち前の能力を発揮することで将来への希望が見えてきたが、やがて通勤の継続が難しくなる。病気がちで休みが多くなったからだ。賃金が日給ベースなので、休んだ分、収入が減ってしまう。それが独立のきっかけの1つとなった。

そのほかにも経済力や学歴、健康面で悩みを抱えることが多々あったものの、人生を振り返ってみれば、その一見不利に見える運命に従ったからこそ、事業発展の礎を築くことができたと、幸之助は述べている。

「家が貧しかったために、丁稚奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。

生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。(中略)こういうように、自分に与えられた運命をいわば積極的に受けとめ、それを知らず識らず前向きに生かしてきたからこそ、そこに1つの道がひらけてきたとも考えられます」(『人生心得帖』PHP文庫)

与えられた運命に逆らわず、むしろ積極的に活用したことで、人生がひらけてきたというのだ。もし幸之助が実際とは真逆の富裕な家に育ち、健康で、学校教育も満足に受けていたら、まったく異なった人生を歩んだことになっただろう。

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