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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第13回 ヴォルフガング・パウリ(1945年ノーベル物理学賞)

2023年02月01日 公開
2023年03月02日 更新

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

「ニュートリノ」と「シンクロニシティ」

カール・ユング(1956年)
カール・ユング(1956年)

この年の12月、パウリは原子核の崩壊を数学的に緻密に解析して、未知の素粒子が存在するに違いないと結論付けた。彼の予測によれば、この素粒子は、質量は電子以下、スピンは2分の1、電荷はもたない。ローマ大学のエンリコ・フェルミ【本連載第12回参照】は、この未知の素粒子を「ニュートリノ」と命名した。

パウリにとって、この素粒子は「人生が危機的状況にあった際に生まれた、とんでもない化け物」である。それから26年後の1956年、まさにパウリの予測通りの性質をもつ「ニュートリノ」が検出された。

1931年夏、パウリはカリフォルニア工科大学・シカゴ大学・ミシガン大学で講演を行なった。当時のアメリカでは「禁酒法」が施行されていたが、カナダに近いミシガンには「もぐり酒場」があった。そこで深酒したパウリは、階段を踏み外して肩の骨を折ってしまう。

チューリッヒに戻ったパウリは、自分が「アルコール依存症」と「精神的な危機」に陥っていることを自覚した。1932年1月、パウリは、著作を何冊か読んだことのある精神科医カール・ユングを訪ねた。そこでパウリは、ユダヤの出自、父親の母親に対する裏切り、母親の自殺、自分の離婚、深酒と売春婦、周囲に対する不満、研究上の不安など、すべての苦悩をユングに語った。

ユングはパウリが「完全に自分を見失い理性を失う寸前」と診断して、精神科医エルナ・ローゼンバウムを紹介した。パウリの症状には女医の方が適切だと判断したためである。彼女の治療のおかげで、パウリのアルコール依存症は改善され、精神状態は安定に向かった。

1932年11月以降、57歳のユングと32歳のパウリは、毎週月曜日の午後に面談することになった。ユングは、パウリの見た1000以上の「夢」を分析して、彼の「無意識」を「元型夢」で解き明かした。もともと「数学」と「神秘主義」が自然現象の解明に必要不可欠だと考えていたパウリは、ユングの「集合的無意識」の理論に感銘を受けた。

 

再婚とプリンストン高等研究所

1934年4月4日、パウリは1歳年下のフランカ・ベルトラムと結婚した。彼女は政治家の専門秘書で、洗練された女性だった。パウリは、ようやく落ち着いて物理学に専念できるようになったが、その数年後に第二次世界大戦が勃発した。1940年5月、スイスがナチス・ドイツに包囲されると、パウリとフランカは命懸けで脱出し、8月24日にニューヨークに到着した。

パウリを誰よりも温かく迎えたのが、アインシュタインである。彼は、パウリをプリンストン高等研究所教授に招聘されるように推薦し、共同研究を始めた。原爆開発が始まると、パウリはロスアラモス国立研究所に協力を申し出たが、ロバート・オッペンハイマー所長は丁重に断った。原爆に関わる精密機器が「パウリ効果」で破壊されることを恐れたためだといわれている。

1945年のノーベル物理学賞は「排他原理の発見」によりパウリに授与されることが決まった。アインシュタインは、高等研究所で祝賀会を開催し、「パウリこそが私の後継者だ」と最高級の祝辞を述べた。

1946年、チューリッヒに戻ったパウリは、ユングと本格的な共同研究を始めた。晩年のパウリは、「物理学と心理学を融合」させなければならないと考えるようになっていた。とくにパウリが興味を抱いたのは、ユングの「シンクロニシティ(共時性)」という概念である。ユングは、ある瞬間に世界で起こる出来事は、すべてが巨大な「集合的無意識」で繋がっていて、それが「共時性」を生じさせるとみなしていた。

実例を挙げよう。ある日、ユングが患者の精神分析で「黄金虫」の夢の話を聞いていた。その瞬間、窓ガラスに何かがぶつかる音がしたので、ユングが窓を開けると、まさにそこに「黄金虫」がいたのである。ユングにとって、この現象は単なる「偶然の一致」ではなく、「共時性」を示す根拠だということになる。

パウリも、量子論的にすべてがネットワークで結びついている世界を想定し、しかもミクロの世界では粒子の因果関係を確率的にしか説明できないことから、「非因果的連関」に関する理論が必要だと考えていた。

二人は、共同研究の成果を『自然現象と心の構造――非因果的連関の原理』に共著でまとめ、1952年に発表した。この書籍は、世界中で大きな反響を呼んだ。

 

パウリを生涯苦しめた数字「137」

さて、パウリがミュンヘン大学に入学したころから常に悩まされてきた「137」という数字がある。

彼の師ゾンマーフェルトは、ボーアの量子論にアインシュタインの相対性理論を応用して、原子スペクトル線の「微細構造定数」を見出した。これは、ミクロとマクロの世界像を繋ぐ最も重要な物理定数の一つである。

この定数は、電荷・光速度・プランク定数・円周率の4つの定数によって構成されるが、非常に奇妙な特徴がある。というのは、これらの4つの定数が持つ「次元数」が互いに打ち消し合うため、「微細構造定数」そのものは「無次元数」になるということである。

たとえば、この式に表れる光速度をメートル法で表すかヤード法で表すかで数値は異なるが「微細構造定数」そのものは不変である。仮に宇宙に知的生命体が存在して、地球人とまったく異なる単位系を用いて「微細構造定数」を発見したとしても、その値は地球上と同様に「137分の1」という物理定数になる。

さて、1958年12月5日、いつものように講義していたパウリは、突然激しい腹痛に襲われた。彼はチューリッヒ赤十字病院に救急搬送され、開腹手術を受けた結果,すでに末期の膵臓癌に罹っていることが判明した。

目を覚ましたパウリは、自分の病室が「137号室」であることを知った。「137号室。私がこの病室を生きて出ることはない」と彼は妻に言った。その予測通り、58歳のパウリは、12月15日に逝去した。

著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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