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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第14回 エガス・モニス(1949年ノーベル生理学・医学賞)

2023年03月02日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

スペイン大使から講和会議全権大使へ

1914年、第一次世界大戦が勃発した。ポルトガル政府は、当初は優柔不断だったが、2年後の1916年、ようやく連合国側に加わることを決議して、アフリカで植民地を争っていたドイツ帝国に宣戦布告した。

1917年、モニスは外務大臣に就任し、その直後にスペイン大使に任命されてマドリッドに赴任した。隣国スペインは、第一次世界大戦中は中立を宣言している。

結果的にモニスは1903年から1917年までリスボン大学教授と国会議員を兼務したわけだが、当時のポルトガルでは大学教授が国会議員を務めることが珍しくなかったようだ。

モニスより2歳年上の政治家シドニオ・パイスもコインブラ大学教授と兼務して1911年に国会議員になり、1912年から1916年にはドイツ大使を務めている。

対戦相手となったドイツから帰国したパイスは、民主党政府の「弱腰」を強く批判し、1917年12月5日にクーデターを起こした。

パイスは「権威主義的独裁制」を敷いて反対派を粛清し、1918年4月28日には信任投票によって「第一次共和制」第4代大統領に選出された。パイス大統領は、モニスをスペインから呼び戻し、講和会議の全権大使に任命した。

1919年1月18日、45歳のモニスは、パリのヴェルサイユ宮殿で開催された講和会議にポルトガル共和国代表団を率いて参加した。ここでモニスは、国家の全権委任を受けるほどの政治的頂点に上りつめたわけである。

したがって、次の大統領選挙に立候補してもおかしくはないにもかかわらず、不思議なことに、講和会議から帰国したモニスは、一切の政治活動から身を引いている。

なぜこれほどの政治的成功を収めたモニスが急に引退したのか、さまざまな文献を調べてみたが「政治的論争に巻き込まれたために引退した」という曖昧な記載しか見当たらなかった。

実は、モニスを全権大使に任命したパイス大統領は、1918年12月14日、王党派指導者との協議会場に馬車で向かっている最中、急進的共和主義者に暗殺されている。その後もポルトガル共和国では、王党派と共和派の権力闘争が続き、何度もクーデターが生じ内閣が崩壊している。

この混乱は、1926年5月にマヌエル・コスタ将軍とジョゼ・カベサダス将軍によるクーデターで完全な「軍事独裁政権」が成立して「第一次共和制」が崩壊するまで続いた。

つまり、仮に1919年の時点でモニスがパイスの後を継いで政権を掌握したとしても、クーデターで暗殺される可能性が非常に高かったと推測できる。先見の明があったモニスは、生命の危険を察知して、潔く政界を去ったのではないだろうか。

 

「脳血管造影法」と「精神外科」

1920年、リスボン大学医学部に戻ったモニスは、精力的に脳神経外科の研究を開始した。彼は、脳内の血管をX線撮影で可視化すれば、さまざまな異常を特定できるという仮説を立てた。

そこで彼は、放射線不透過性物質の「ストロンチウム」と「臭化リチウム」を3人の患者の脳動脈に注入したが、副作用で1人の患者が死亡してしまった。

モニスは、改めてウサギやイヌの動物実験を繰り返し、次に人間の死体の頭部の実験を行って、ついに25%の「ヨウ化ナトリウム溶液」を用いる方法を見出した。彼は、この放射性不透過物質を3人の患者の脳動脈に注入して、人類史上最初の「脳血管造影図」を作成することに成功した。

1927年、53歳のモニスは、パリで開催された国際神経学会とフランス医学アカデミーで「脳血管造影法」の成果を発表した。彼は「放射線不透過性物質を用いて人間の脳を初めて視覚化した」人物として、世界の医学界から喝采を浴びた。

その後、モニスは「ヨウ化ナトリウム溶液」よりも副作用が少ないとみなされた「トロトラスト溶液」の開発にも貢献した。これらの脳血管造影法により、それまで困難だった人間の脳内の「内頸動脈閉塞」を検出することも可能になり、モニスの名前はノーベル賞候補者として登場するようになった。

さて、1935年8月、ロンドンで国際神経学会が開催された。そこでイエール大学の生理学者ジョン・フルトンとカーライル・ヤコブセンが、「前頭葉が記憶を保存する」という仮説を検証するためにチンパンジーの「前頭葉」を切除した結果を報告した。

ベッキーと名付けられたオスのチンパンジーは、棒を使って手の届かない場所にある食物を取り出す実験中、うまくいかないと怒り出して自分の毛をむしり、脱糞してその排泄物を観察者に投げ出すような問題行動を取っていた。

ところが、前頭葉を切断した結果、ベッキーは暴れたり感情を表出することがなくなり、まるで「天国にいるような幸福な表情」に変化したというのである。

この研究報告の質疑応答で、立ち上がったモニスは「報告に感銘を受けた」と謝辞を述べた後、「前頭葉切除術によって動物の神経症的行動を制御できるのであれば、外科手術によって人間の神経症を緩和することもできるのではないか」と2人に尋ねた。

チンパンジーの実験を人間の神経症に応用することなど想像もしていなかったフルトンは、「最初は著名な神経学者モニスがコメントしてくれたことに驚き、次に彼は冗談を言っているに違いないと思った」と後に述べている。

フルトンは「理論上は可能かもしれませんが、人間の前頭葉を切除するのは、あまりにも無謀だと思います」と答えた。

しかし、モニスは「無謀」だとは思っていなかった。リスボンに戻ったモニスは、リスボン大学附属病院の神経外科医アルメイダ・リマと一度だけ人間の死体で実験を行い、11月12日には重度の精神障害を抱えていた63歳の女性患者に手術を実施した。

リマは、モニスの指示に従って患者の頭蓋骨にドリルで穴を開け、前頭葉にスプーン半分ほどのエタノールを注入して神経線維を麻痺させ、穴を閉じた。手術は30分もかからずに終了した。

手術後、患者は落ち着いた様子になり、それまで彼女を苦しめ続けてきた重度の妄想や不安を感じなくなっていた。

この手術を大成功と捉えたモニスは、「脳を手術することによって人間の神経症を治療する」ための新たな医学分野「精神外科(psychosurgery)」を打ち立てることにした。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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