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大平裕 塗り替えられる古代史

2018年05月09日 公開

大平裕(大平正芳記念財団代表)

四、五百年長くなった日本の古代史

 筆者は、この1年あまり、和辻哲郎、植村清二の論に触発され、古代東アジアの青銅器に興味を持ちました。これまでは、『三角縁神獣鏡の時代』(吉川弘文館)の著者岡本秀典の、誰も手をつけてこなかった漢鏡鑑識の研究と、その年代の判定ついて、ただただ畏敬の念を持つばかりでした。ところが、岡村のこれまでの漢鏡の年代研究では、わが国で大挙して出土するのは、最も古いもので漢鏡Ⅱ期(BC150〜BC100年作製)のものです。ということは、わが国と大陸の王朝の交流は、紀元前100年程度までしか遡れないという結果にならざるをえません。

 ところが最近10年の研究成果で、日本の弥生時代は、紀元前1000年〜紀元前950年まで遡ることがはっきりしてきました。

 筆者は、もともと縄文時代は長すぎて、日本の土器の起源が、世界最古の評価を受けているにもかかわらず、弥生時代は短すぎる評価を受けているのではないかと、漠然と感じていました。木材の年輪による年代測定法、それに続く炭素14 (14C)を用いた放射性炭素年代測定法は難があり、ようやく、2003年5月に国立歴史民俗博物館グループによって(AMS〈加速器質量分析〉を用いた放射性炭素年代測定)高精度編年の手法が発見され、95パーセント以上の確率で遺跡物の年代が確定されることになりました。

 このことについて、森岡秀人・中園聡・設楽博己著『稲作伝来』(岩波書店)には、次のように記されています。

 

 具体例を見ていこう。板付Ⅰ式に比定される福岡市博多区雀居遺跡第12次調査の出土資料は、確率95パーセントの信頼区間で紀元前830〜750年に絞り込めるという。すなわち、北部九州における弥生前期最初頭の暦年代は、かなり高い確率で紀元前800年前後に落ち着くということになる。板付Ⅰ式と言えば、従来はせいぜい紀元前300〜400年頃との年代観が定着しているから、なんと400〜500年もさかのぼるという結果が得られたのである。

(中略)

 弥生開始期の14C年代を玄海灘沿岸部の遺跡を中心にして眺めてみると、朝鮮半島南部の無文土器時代の開幕や東北地方の縄文時代晩期の年代ともよく整合する。韓国漁隠遺跡の測定値も紀元前8〜9世紀に収まるのはその一例だ。これを中国大陸へもっていけば、夜臼Ⅱ式期は紀元前900年の西周時代に該当する。歴博グループの一人である春成秀爾は、「弥生時代の始まりである夜臼Ⅰ式期は、紀元前10世紀までさかのぼらせる可能性も含めて考えるべき」とのコメントを発している。山の寺式や夜臼Ⅰ式の発表データはまだ少ないが、ごく最近のデータも前10世紀後半に弥生時代が開始したとする。西周は殷王朝の次にくるので、弥生時代早期が殷末期とふれあう可能性がでてきたわけであり、これまでの実年代観との齟齬はあまりにも大きい。

 

 なんとこれまでより弥生時代は、400~500年も遡れるというのです。この新しい事実、しかも95パーセントの確率という素晴らしい結果は、一部の学術書を除いて公になっていません。最新の児玉幸多編『日本史年表・地図』(吉川弘文館)にも記載されていません。

(本記事は、大平裕著『卑弥呼以前の倭国五〇〇年』<PHP新書>を一部抜粋、編集したものです)

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著者紹介

大平裕(おおひら・ひろし)

大平正芳記念財団代表

1939年生まれ。東京都出身。東京教育大学附属高校より慶應義塾大学法学部政治学科へ進み、62年古河電気工業に入社。同社海外事業部第一営業部長、監査役、常任監査役を経て2001年退社。現在は大平正芳記念財団の代表を務める。著書に『日本古代史 正解』『日本古代史 正解 纒向時代編』『日本古代史 正解 渡海編』(以上、講談社)、『知っていますか、任那日本府』『天照大神は卑弥呼だった』(以上、PHP研究所)、『暦で読み解く古代天皇の謎』『「任那」から読み解く古代史』(以上、PHP文庫)などがある。

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歴史街道編集部


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