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日本軍の撤退後の韓国に「独立と平和」はなかった…相次いだテロと暴動

2019年08月06日 公開
2019年08月07日 更新

江崎道朗(評論家)

 

韓国軍に潜伏していた北朝鮮の工作員

AP電はこう続ける。

《20日の午前八時ごろであった。約2,000名の兵士と400名の警官や民衆からなる暴徒の一隊が、麗水からこの町に殺到したが、彼らは麗水で略奪した武器で武装していた。

順天警察署は、午後4時ごろ、叛乱部隊に占領され、市内の抵抗はとまった。叛乱部隊鎮圧に向かった兵士も、寝返って彼らに合流した。

勢いづいた叛乱軍は、労働党旗を押し立て、示威行進を行った。労働党旗と朝鮮民主主義人民共和国の国旗は、順天市内の役所や主要建物の上に翻っていた。叛乱部隊は示威行進ののち、反左翼分子や警察官を処刑した。市民500名、警官100名が殺された》

日本の敗北と日本軍の撤退のあとの朝鮮半島に訪れたのは「韓国の独立と平和」などではなく、「朝鮮労働党、共産党系のテロと暴動」であったわけだ。

樋口教授は、1949年4月の済州島暴動と、十月の麗水・順天での韓国軍の叛乱、さらに、叛乱翌日に鎮圧軍の第四連隊の中隊が叛乱に合流したことなどは、前年1948年の秋に創設された極東コミンフォルムの指令によると指摘している。

韓国では、きな臭い動きがさらに続いた。

麗水・順天叛乱の鎮圧が報道されてからわずか一週間後の1948年11月2日、今度は大邱で韓国軍叛乱部隊の暴動が起きている。叛乱軍主力部隊は白雲山から智異山に入り、北朝鮮の人民遊撃隊と合流した。

韓国国防軍は大規模な粛軍を実施し、国防軍の一割にあたる8,000名を共産主義者と断定したが、実はこの粛軍にあたった情報部員や憲兵のほとんどが、北朝鮮系だった。「共産主義者の追放」を実施した結果、北朝鮮系の幹部将校が韓国軍の主導権を握ることになったのだ。

独立を宣言して間もない韓国軍の内部に、北朝鮮の工作員が多数入り込んでいたわけだ。粛軍におびえた部隊は北朝鮮に集団逃避し、アメリカが特訓して米国製の武器を与えた二個大隊のモデル部隊も北朝鮮に走った。

ジャーナリストの大森実は、大邱暴動のこの顛末で韓国の指導者であった李承晩はアメリカの信用を失い、以後、アメリカが韓国軍に重武器を与えなくなったために、朝鮮戦争開戦時の韓国軍の装備はボロボロだったと指摘している。

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