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本当は「残留派」だったジョンソン首相

2019年10月03日 公開

岡部伸(産経新聞論説委員・前ロンドン支局長)

岡部伸※画像はイメージです。

ハロウィーンの10月31日に設定した英国の欧州連合(EU)からの離脱の期限が迫る中、ジョンソン首相が9月中旬から10月中旬まで英議会の閉会を決めたことが違法かどうか問われた訴訟で、英最高裁は「違法で無効」と判断した。これを受けて英議会は9月25日に再開したが、ジョンソン首相は「裁判結果に失望した。しかし、国民の意思である10月31日の離脱は、邪魔をさせない」と述べ、強硬姿勢を崩さない。EUと離脱協定案を結ぶため、ネックとなっているバックストップ(安全策)に代わる最終案を10月2日に提示したが、EUが譲歩して修正協議に応じなければ、さらなる交渉はせずに離脱する構えである。依然として「合意なき離脱」に至る可能性は消えていない。

そのジョンソン首相が2016年の国民投票実施まで、実は「残留派」だったことはあまり知られていない。9月19日に刊行された回顧録で、キャメロン元首相は「政治家としてのキャリアのために、国民投票で信じてもいない離脱の支持に回った」と暴露して、波紋が広がっている。

※本稿は、岡部伸著『イギリスの失敗』(PHP新書)より、一部抜粋・編集したものです。

 

突然の変心の背景

2015年5月、キャメロン元首相はEU離脱か残留かを問う国民投票の実施を公約に、総選挙に打って出た。その際、ジョンソン首相(当時、ロンドン市長。下院議員を兼務)は保守党の敗北を予想していたといわれる。

そして、もし敗退すれば、キャメロン氏の責任を追及して保守党の後継党首、さらに首相の座を狙っていたという。

事前の大方の予想に反して、保守党は総選挙で地滑り的勝利を収めた。すると突然、ジョンソン氏はキャメロン元首相の要請を断って、EUからの離脱を主張するようになった。

この背景には、国民投票の結果、キャメロン元首相の思惑通りに残留が決まれば、オズボーン財務相(当時)が首相を後継する既定方針が敷かれていたことがある。

ジョンソン氏からすれば、「残留派」として活動しても、首相の座は見えてこない。そこで「離脱派」として政治的に存在感を高めることで、後継レースを有利に進めようという賭けに出たのである。

しかし、ジョンソン氏が本心から「離脱」を志向していたかどうかは疑問が残る。

ニューヨーク生まれで幼少期をEU官僚だった父とともにベルギー・ブリッセルで過ごし、フランス語、ドイツ語、イタリア語にも通じるコスモポリタン(国際人)のジョンソン氏は、欧州との共存、つまり「残留」が本音だったのではないか、という疑惑が取り沙汰された。

実際、ジョンソン氏は、国民投票の3年前、英テレビのインタビューで、「単一市場の支持者だ。国民投票が実現したら、残留に投じる」と答えている。

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