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中国の「大疫」流行は王朝末期の兆し

2020年04月29日 公開
2023年01月11日 更新

石平(評論家/拓殖大学客員教授)

石平(せきへい)

中国評論で名高い石平氏は、蔓延中の新型肺炎が政治的混乱と経済の崩壊を引き起こし、中国という国を再び「乱世」へと導く、と指摘する。近著『石平の裏読み三国志』より、三国時代と21世紀の共通点を解き明かす。

※本稿は、石平著『石平の裏読み三国志』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです

 

王朝崩壊と疫病の大流行

中国の長い歴史のなかで、疫病の大流行は往々にして王朝崩壊と天下大乱の前兆であり、原因の一つであることがわかる。

最古の王朝の一つである周王朝の末期、「大疫」が流行したことは史書によって記録されているが、それは結果的に、周王朝の衰退とそれに伴う「春秋戦国時代」という中国史上もっとも長い大乱世の幕開けとなった。

三国時代、乱世の幕開けとなった後漢王朝の桓帝・霊帝の治世下では大規模な疫病が17回も起きたことが記録されている。こうした疫病の氾濫は結局、黄巾(こうきん)の乱の発生を誘発する要因の一つとなって、後漢王朝崩壊の遠因となった。

時代がさらに下って、漢民族がつくった最後の王朝である明王朝の末期、ペストや天然痘などの大流行で推定1000万人が死んだとされている。それが原因の一つとなり、明王朝は農民一揆によって潰された。

首都の北京が農民軍によって陥落した直後、明王朝最後の皇帝である崇禎帝(すうていてい)は、何と皇宮の裏の山で首吊り自殺をして悲惨な最期を遂げたのである。

 

昂ぶる「革命的気分」

そして、中国全土で大疫病の新型肺炎が流行しているとき、崇禎帝のことを取り上げた人物が北京にいた。北京大学教授の孔慶東である。

新型肺炎が猛威を振るっている最中の2020年2月1日、彼は自分のブログで何の文脈もなく崇禎帝の話を持ち出して、皮肉たっぷりの筆調で皇帝の首吊り自殺を揶揄した。

孔教授はいったい何のために、このタイミングで崇禎帝の首吊り自殺の話を持ち出したのか。彼は当然いっさい明言していないが、たいていの人は彼の意図を簡単に推測できた。

おそらく孔教授の脳裏には、明王朝崇禎帝の最期と、いまの中国共産党指導者である習近平のたどり着こうとする結末が重なって見えているのではないか。だからこそ、孔教授のブログはあっという間に全国で流布され、多くの人々の共感を得た。

なるほど、中国全国の多くの国民は、じつは習近平と共産党政権の破滅を心のなかで熱望しているのである。大疫病の中国で「革命的気分」は徐々に昂(たか)ぶっているようである。

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