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米国はサボテン、日本は蓮、そして中国は…「花」が映し出す今の世界

2020年10月10日 公開
2023年01月23日 更新

東信(フラワーアーティスト)

 

日本は「蓮」である

コロナ禍以前、個展や展覧会で海外に足を運ぶと、訪れた国の印象と、特定の花のイメージがしばしば重なることがあった。たとえば、中国と「スマトラオオコンニャク」――。連想されるのは数年に一度、しかも1日、2日しか咲かず、世界一の大きさを誇り、強烈な臭いを放つ花だ。

閉じた蕾が開くと、人間を飲み込むほど大きな紅の花びらが現れる。現在の中国はまさにスマトラオオコンニャクのように、凄まじいスケールで世界を飲み込もうとしている。

2019年に中国の北京で開催された園芸博覧会の下見に訪れたときのこと、万里の長城近くから、かの「一帯一路」を具現化するように中東、欧州、そして東南アジアに向けて、日本の高速道路の5倍ほどの幅をもつ道路が敷かれていた。

前年に訪れたときはわずか数車線だったのに、たった1年で腰を抜かしそうになるほど大きな道路ができていたのだ。そこから感じるのは、尋常ならぬ「パワー」だった。

以前から仕事で中国にはたびたび足を踏み入れていたが、制作を依頼される花はとにかく派手なものを、という感じで、本音をいえば「中国」という国を少し下に見ている節があったかもしれない。

しかし昨年に触れた中国は、まるで別の国だった。作品に求められるのはアーティスティックなデザインであり、「哲学」であった。

そこで私が提案したのは、高さ5mはあるステンレス製の骨組みとともに配された1万個を超える花々だった。器はすべてステンレスで、制作総額は億を超える。もし日本で同じ規模の作品を提案したら、コスト面を理由に断られていただろう。

ところが、中国では「いいね!」というノリで進んでいく。本来であれば数カ月前から施工準備が必要な作品にもかかわらず、中国では急遽200人ほどの人員を集め、夜から作業を開始して、たった1日で完成させてしまった。

いまの中国は、かつての粗製乱造のイメージを払拭し、美学やセンスを手に入れている。恐ろしささえ感じる巨大なエネルギーにより、驚異的な速さで国が進化を続ける。その様子を、花という仕事を通じてまざまざと見せつけられた。

その中国と現在、覇権争いを繰り広げる国がある。米国だ。私はこの国から「カクタス」、すなわちサボテンの花を想起する。米国を訪れるたびに感じるのは人びとのラフさと、社会に流れる自由な空気だ。

一見サボテンのようにトゲトゲとした国家に見えるが、じつは歴史が浅く、人種問題や格差といった脆さを内包している。郊外の裏道にある倉庫街で生み出されたアートや音楽。多様な人種が移り住んだ土地でカルチャーやビジネスで既成概念に挑戦し、世界を変える企業を興していく。

誰にでもチャンスが与えられる社会がまだ残っている、そんな期待感がいま、サボテンに咲く小さな花のように映るのだ。この国は成熟しないまま力をつけすぎてしまったがゆえに、いまの国内は混乱に陥っているように見える。それは国自体がまだ若く、発展途中である証なのだ。

そして、私たち日本を花に喩えるならば「蓮」だ。泥のなかに強い根を張ってじっと耐え、人びとが気付かないうちに花を咲かせる。混沌とした泥のなかで光が見えない現状から、少しずつ茎を伸ばしていつか水上に花を咲かせる蓮のように、私たちは力をつけなくてはならない。

日本は「失われた30年」のなかで、イノベーションを起こす意志を手放してしまったように思える。しかしいまは生命力の原点に立ち返り、力を養うべき時期に差し掛かっているのではないだろうか。

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