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「夜の街」の憲法論―飲食店は自粛要請に従うべきなのか

2021年06月14日 公開
2021年06月22日 更新

谷口功一(東京都立大学法学部教授)

 

真の立憲主義を守る国家の責任

ようやく冒頭の話に戻るが、左派系各紙の憲法記念日の紙面に私が落胆したのは、それらが、この物理的(生命・健康)にも経済的(営業規制)にも切迫した危機に直面した状況のなかで、あえて「ジェンダー」という観点から「承認(アイデンティティ)の政治」を前面に押し出し、「再分配の政治」を軽視しているからなのだ。

もちろん、コロナ下での若年女性の自殺の急増など、明らかに社会のジェンダー構造に起因する深刻な問題が存在しているのは、よくよく理解しているつもりだ。しかし、ジェンダー構造のような広く深く浸透した社会文化的意味秩序は一挙・全面的に改訂できるものではない。

それは粘り強く長い時間をかけて丁寧に解決されるべき問題なのである。コロナ下においてジェンダーをことさらに重視するのには、いまにも死にそうな重症患者に「普段から食事を節制して運動とかもやったほうがイイですよ」とアドバイスするような呑気な鈍感さを感じてしまうのである。

「承認の政治」については、アメリカで何が起きたのかを思い出してみたほうがよいだろう。都市部の大学に立て籠もった文化左翼のエリートたちがアイデンティティの政治にかまけている間に、再分配を求めるラストベルト(さびついた工業地帯)をはじめとする広大な非都市部の「忘れられた人びと」に包囲され、トランプが誕生したのではなかったのか。

アメリカでは現在、このことに関する深刻な反省も少なからず表明されているなか、なぜ同じ過ちを繰り返そうとしているのか、私にはその理由がわからない。「マジでトランプ5秒前!」、それがいまの日本なのではないか。

最後に、公平を期すために残りの三紙(日経・読売・産経新聞)についても触れておこう。それぞれ、『日経新聞』は一面では憲法記念日には触れず、『読売新聞』の一面は「巨大IT 言論を左右」となっており、いずれも「営業の自由(憲法22条)」が危機に瀕しているという明示的な認識はなく、その点では左派三紙と選ぶところはない。

ただ『産経新聞』に関しては、顕著なイデオロギー性が売りであるとはいえ(それは別に問題ないが)、一面全面を使って菅義偉総理のインタビューを載せている神経は疑わざるをえない(権力との緊張感)。

また、ジェンダー・セクシュアリティにまつわる問題に中途半端に触れたコラムで保守ぶっているのもいただけない。福田恆存のものとされる「保守とは横丁の蕎麦屋を守ること」という言葉を拳々服膺したほうがよいのではないだろうか。

福田のこの言葉はよく引用されるが、じつはその正確な典拠である「伝統に対する心構」という文章を実際に読んでみると、福田自身はそのようなことは言っておらず、戦時の空襲を思い出し、法隆寺や桂離宮が焼けてしまうよりも、近所の蕎麦屋が焼けてしまうほうが「さびしい」と書いているのである。

近所のスナックがコロナ下でなくなってしまうのは、たしかに私にとってもどれだけ伝統のある建造物がなくなるよりも圧倒的かつ絶対的に「さびしい」のである。

かつて政治学者の福田歓一は、現代の福祉国家を、歴史上、空前の権力をもつにいたった政治体であると喝破した。

コロナ下において、公衆衛生(防疫)のために日々、生-権力(bio-pouvoir)を行使する国家(政府)は「営業の自由」を含む立憲主義的秩序の前に居ずまいをただし、なぜ自らの権力行使(営業規制)が正当化されるかの「根拠」を誠実で明瞭な言葉で説明する、重く厳しい責任を課されていることを、痛切に自覚すべきである。〈文中、敬称略〉

※「二重の基準」論争については、井上達夫『法という企て』、及び長谷部恭男『比較不能な価値の迷路』(いずれも東京大学出版会)のなかに当該論争にまつわる書誌情報が十全なかたちで記されているので、そちらを参照されたい。

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