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たばこの販売を禁止すべきか? ―喫煙問題の倫理学

2021年08月20日 公開
2021年08月21日 更新

児玉聡(京都大学准教授)

 「全席喫煙店」を掲げるカフェ「ツバキcafe」(東京都港区)

喫煙の自由と、それを制限する喫煙規制の在り方について、私たちはどのように考えればいいのか。『タバコ吸ってもいいですか――喫煙規制と自由の相克』(編著、法と哲学新書)などの著書がある児玉聡・京都大学大学院文学科准教授に、倫理学の視点から話を聞いた(取材・構成:清水泰)。

※本稿は『Voice』2021年7⽉号より抜粋・編集したものです。

 

法規制の正当性を問う

――児玉先生は専門の倫理学の立場から、喫煙の自由とそれを制限する喫煙規制の在り方について論じています(『タバコ吸ってもいいですか――喫煙規制と自由の相剋』法と哲学新書・信山社)。なぜ、倫理学で喫煙規制の問題を取り上げたのでしょうか。

【児玉】倫理学は読んで字のごとく「倫理」についての学問です。しかしそこでは当然、「倫理とは何か」という疑問が生じます。一般的には「道徳」と「倫理」という言葉があり、両者を同じ意味と見なす場合もあれば、区別する場合もある。私自身は区別して使っています。

倫理とは、簡単にいえば法律、道徳を包含する広い社会規範一般のこと。社会の全体に及ぶ規範を、哲学的に考えるための学問です。たとえばマナーやエチケット、あるいは学校の校則のようなルールも含め、社会規範一般を倫理として捉え、考える学問です。

ではなぜ、喫煙問題が倫理学の領域に入るのか。広い社会規範を扱う倫理学の対象には、法規制の正当性そのものを問うことや、「悪法に従うべきか」という議論も入ります。そこで以前から法規制の在り方について議論が分かれる喫煙問題が、倫理学の対象になるわけです。

もう一つの理由は、「道徳」が孕む問題です。世間でいう道徳のなかには、いわゆる同調圧力や周囲の白い目、村八分的なサンクション(制裁)も含まれており、つねに問題なしとはいえない。「喫煙の自由がどこまで認められるか」という点と併せて、周囲の人が喫煙者を疎んじ、排除しようとする行為がどこまで正当化されるのか。あるいは喫煙行為や喫煙者に対してどのように道徳的に振る舞うべきか、という点もまた、倫理学の対象となります。

 

「他者危害原則」という線引き

――倫理学から、喫煙の自由とそれを制限する法規制との関係をどう見ていますか。

【児玉】基本的には、自由主義社会の基本原則すなわち「他者危害原則」が適用されると思います。イギリスの哲学者J・S・ミルは著書『自由論』で、他者に危害を加えないかぎりにおいて個人の自由は尊重される、という立場を擁護しています。リスクのある嗜好品でも個人が自己責任で選び、他者に危害を与えない以上、規制されるべきではないという考えです。

私の恩師・加藤尚武先生の表現を借りると「大人が自分勝手なことをするのは、黙って放っておくべきだという考えである」 「『たばこを止めるのは、お前の身のためだ』という理由で、禁煙を強制してよいとすると、政府による個人生活への干渉の限度がなくなってしまう」(加藤尚武著『応用倫理学のすすめ』丸善ライブラリー)。

たばこ問題の焦点の一つは、政府が個人に喫煙規制を強制する権限が存在するかどうかです。その際、個人の自由と公共の利益のあいだで線引きを確保する原理が「他者危害原則」。個人の自由は最大限に尊重される一方、他人に危害を与える行為については国家の規制が認められる、ということです。

――しかし現実には、政府や自治体が過剰なまでに喫煙規制を課しているようにも思います。他者危害原則には反しないのですか。

【児玉】政府の規制が正当化されるのは、受動喫煙のリスクが社会的にある程度、認められているからです。裏を返すと、ミルの発想からいえば、完全に閉ざされた自室で一人で喫煙することは何ら問題なく、規制の対象外ということになる。

とはいえ、二つほど気をつけなければいけない点があります。一つは、未成年者の扱いです。経験や判断力がまだ浅い未成年者は、自己の利益を十分合理的に追求することができないため、保護の点から成人に比べて自由が規制される。自分にとって何が良いことか、悪いことかの判断や情報が不足しており、政府や見識ある大人が規制や指導を施すパターナリズム(当人の意思とは無関係の強権者による介入主義)の対象となります。同じことは当然、未成年の喫煙にも当てはまります。

もう一つは、受動喫煙のリスクに関する理解や同意の有無です。たとえば喫茶店や居酒屋で「自分は受動喫煙をしても全然構わない」という従業員に関して、ミル的な自由主義者の答えは「本人が自発的に同意しているなら問題ない」。東京都の条例では、従業員がいる店は原則全面禁煙ですが、ミルの考えでは、リスクを承知で自発的に働く従業員の受動喫煙まで規制することはできない。たとえば、東京都に「全席喫煙店」を掲げたカフェ(新橋「ツバキcafe」、旧店名:カフェトバコ)があります。店内にいるすべての人間がたばこを吸うことに同意している場合、喫煙を禁じるのは倫理学の立場から見て難しい。

――さらに、自室での一人の喫煙は問題ないという「他者危害原則」の見方に反して東京都は罰則こそないものの、18歳未満の子供がいる家庭の室内や自動車内での禁煙を求める「子どもを受動喫煙から守る条例」を2018年に施行しました。私的空間の喫煙規制は、倫理学の立場から許容されうるのでしょうか。

【児玉】微妙な問題ですね。たしかに他者に危害を与えないのであれば、家庭での喫煙は個人の自由であり、規制するのはおかしい。とはいえ日本ならではの問題もあって、一つには家が狭いということ。わが国の住宅事情からすると、家庭の私的空間であっても、同居する人が副流煙を吸う可能性があるわけです。あるいはマンションやアパート住まいの場合、ベランダで喫煙した煙が隣の部屋に流れることは現実としてあります。完全に閉ざされた空間をつくりにくい状況にあるわけですね。

その半面、野外で人口密度が極端に低い場所であれば、他人に煙で影響を及ぼすリスクは現実的に見て低い。密集地点での火の危険性を別にすれば、自治体レベルで条例規制が進んだ地域においては、歩きたばこが与える健康リスクはそれほどないのでないか、という意見もありえます。

 

「健康は何よりも大事」か

――ゼロリスクしか許容しようとしない喫煙規制強化の動きは、過度な「健康第一主義」と関係があるようにも思います。

【児玉】重要な論点ですね。世界の喫煙規制のうち、日本の禁煙政策や都の禁煙政策について健康至上主義、あるいは禁煙ファシズムという言い方をされることがあります。私は10年ほど医学部にいたので、日本の禁煙政策の考え方をある程度理解しているつもりです。医療や公衆衛生、保健の分野では「健康は何よりも大事」という発想が強い。病気は悪であって、悪を取り除いて健康を取り戻すのが医療の役割だと考えていると思われます。

――医療の世界では絶対善なわけですね。では、「健康」とは何なのでしょう。

【児玉】健康の定義がとても難しいのです。たとえば健康の概念を広く取り、周囲との良好な人間関係や社会的充足など、ほとんど「幸福」と同義に考える人もいれば、たんに「病のない状態」という身体面のみを重視する人もいる。

もちろん、人間にとって心身の健康が大事なのは疑いようがありません。病気になったらわかるように、健康な状態それ自体が良いものですし、運動や旅行など、各種の活動すべてにも健康が土台にある。ですが、それ以外にも重要な価値があるのではないか。

たとえば自らの命をリスクに晒してヒマラヤ登山をする人や、健康を犠牲にして徹夜を繰り返し、小説なりマンガなりの作品を仕上げる人たち。まさしく価値観の問題で、何を大事にするかによって健康至上主義は相対化されうる。たばこも同じで、喫煙が仮に健康を損なうとしても、引き替えに得られるものは尊重すべきでしょう。「たばこを吸わないとよい絵が描けない」という人にとっては、健康以上に大事なものがあるわけです。

もちろん「健康に悪いよ」とアドバイスはできますが、禁止はできない。健康は重要ながらあくまで一つの価値であって、他にもさまざまな価値があるからです。仕事のやりがいとか、芸術活動や芸術作品を作り上げるとか、各人が重視する価値観とのトレードオフが健康についても認められてしかるべきでしょう。

――健康の定義に関して、日本の喫煙規制が強化された直接的な契機は2005年にWHO(世界保健機関)策定の「たばこ規制枠組条約」が発効したことにあります。WHOでは健康をどう定義していますか。

【児玉】WHO憲章を見ると「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」とあります。かなり広義の意味合いで、人によっては「この定義に従うなら、健康な人は誰もいない」と感じるかもしれません。

――心身の健康と近代的人権、経済的保障がセットになった感じですね。

【児玉】たばこのリスクを知り、他人に危害を与えないかぎりにおいて吸っているのであれば、白眼視する態度は倫理的ではない。たばこにも依存のリスクはありますが、少なくともアルコールの酩酊状態とは異なるので、本人が自覚し、他者に危害を与えないのならばある程度、吸ってもよいのではないでしょうか。

――冒頭の本で書かれたように、大事なのはあらかじめ情報を提供する「インフォームド・コンセント」ですね。手術の場合、メリットとデメリットを事前に説明するのが常識です。喫煙も同様に両方を提示し、本人に選択してもらうのが自由主義社会の在り方。

【児玉】私はいま50歳手前ですが、自分が20歳のころに比べて学校でのたばこ教育はかなり徹底されており、吸わない学生がほとんどです。喫煙せずに済むならそれで構わないし、吸わざるをえない人はメリットとデメリットを十分知っておくことです。また、喫煙をやめたくてもやめられない人には、禁煙外来のようなサポートがあることを知らせるのも重要です。

 

餅の販売を禁止する?

――WHOの理想主義は、より広範囲な規制強化につながりそうですね。

【児玉】たとえばアルコール・薬物一般の規制が世界的に強化される可能性はあります。とくにアルコールについて、ヨーロッパでは若者の飲酒量が多い。日本の若者はまだハレの日に飲むという感覚ですけれど、ヨーロッパではビンジ・ドリンキング(暴飲)が多い。急死や依存症に至らないように、アルコールの最低価格を引き上げようとする動きがあります。

――今日のたばこ規制は、明日のアルコール規制の姿かもしれないですね。自動車もそうだと思うのですが、排ガスによる環境被害や、交通事故死傷者のデメリットを上回るメリットがあることで運転が許容されている現状があります。メリット・デメリットの比較はどのようにすればよいでしょうか。

【児玉】いま、コロナ対策で課題になっている「政治」と「科学」の調整に基づく規制という問題があります。科学的な助言を行なう委員会等が策定した、一貫した基準による規制が求められている。感染防止を目的とした営業の規制も、たばこや自動車の排ガス規制も同じで、影響の度合いを科学的に数値化・順位化し、同程度のものなら規制する。もしくはそれ以下の数値であれば規制しない。透明化された意思決定をしなければいけません。

リスク対策を判断する条件は、大きく分けて三つです。①提供する側がリスクを十分に説明しているか、②提供される側が十分にリスクを理解しているか、③規制が一貫したものであるか。

よい例が「こんにゃく入りゼリー」に関する規制です。1990年代半ばから2000年代にかけて、こんにゃく入りゼリーの誤嚥事故が社会問題になりました。子供や高齢者の窒息事例が相次ぎ、一時はゼリーの形状や硬さを議員立法で規制することが検討されました。

しかし食品安全委員会の報告書などで明らかになったのは、こんにゃく入りゼリーの危険度は餅ほど高くはなく、飴と同程度という統計結果でした。最終的に法的規制は行なわれず、発足間もない消費者庁が新たに策定した安全指標に沿った製造を業者に要請することに留まりました。

統計的に見れば、こんにゃく入りゼリーよりも人口当たりの窒息事故を起こす確率が高いのは餅です。私は以前、「餅の販売を禁止すべきか」(「予防の倫理学――病気・犯罪・災害の対策を哲学する(七)」『ミネルヴァ通信「究」』2019年3月号)という論考を書いたことがあります。

ご承知のように、餅は正月になると必ず誤嚥で死者を出す危ない食品です。しかし餅に関してもたばこと同じく、摂取するのは個人の自由だという主張があります。政府がわざわざ個人の体を心配して餅の販売を規制する、というのはたしかに行き過ぎで、「選択の制限」にあたる。

また、仮に自己責任を理由に餅の販売に規制を行なわないのであれば、類似の事例についても同様に、規制を行なうべきではありません。たばこに関しても、科学的な統計調査を行なわず、インフォームド・コンセントが十分でない、といった理由で販売を禁止することには無理があります。

2012年7月には、牛の生レバー(レバ刺し)の販売・提供が法的に禁止されました。ただし生レバーの場合、O―157などの細菌が他人に感染する恐れがあり、「自己責任」では済まないという側面があります。

「焼き肉業界の損失をどう考えるか」という問題については、「人命には代えられないので禁止は当然」という主張がありました。しかし、このケースについてもコロナやたばこと同様、コストとベネフィットの両方に目を向ける必要があります。たとえば人口10万人当たり、1万人当たりでどのくらいの人が危険に晒されるのかを比較し、同じ基準で規制しないと、規制の一貫性を確保することは難しい。

餅についていえば、販売の禁止はできない一方で、たとえばサイズの小さな餅の販売や消費を奨励するため、一定サイズ以下であれば税率を下げるなど「正のインセンティブによる選択の誘導」は政策的に可能でしょう。

――たばこについても、加熱式たばこがさらに改良されれば、受動喫煙の害をゼロに近づけられるはずです。自動車もかつては年間の交通事故死者数が一万人を超えていましたが、2020年には過去最少を更新して初めて3000人を下回りました。安全規制と技術革新の複合により、デメリットを最小化することができますね。

【児玉】そのとおりです。加熱式たばこは現在、交通機関や飲食店では一部を除いて吸えないことになっていますが、技術改良と革新、さらに大規模疫学調査などの調査研究が進み、加熱式たばこが他人に危害を与えない程度のリスクであることが明らかになれば、許容されるかもしれません。喫煙の自由は他者危害原則に基づいて規制されること、たんに匂いが嫌いという感覚的な嫌悪を理由に規制が及ばないようにすることが必要でしょう。

 

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