Voice » 社会・教育 » GHQを操った“ソ連のスパイ”? 「日本の共産化」を企てたハーバート・ノーマン

GHQを操った“ソ連のスパイ”? 「日本の共産化」を企てたハーバート・ノーマン

2021年09月16日 公開
2023年02月01日 更新

岡部伸(産経新聞社論説委員/前ロンドン支局長)

 

戦後日本を断罪した「ノーマン理論」

ノーマンの日本に対する関与は、1945年8月25日に来日してから翌46年8月にカナダ代表部首席となるまでのおよそ一年間、GHQで民間諜報局(CIS)、対敵諜報部(CIC)の調査分析課長を務めていた時期に行なったことに集約される。

ノーマンは、マッカーサー最高司令官が最も信頼していたアドバイザーの一人であった(マッカーサーと昭和天皇との有名な会見の通訳を務めたのもノーマンである)。

GHQで当初、主導権を握ったのが、ルーズベルト前大統領のニューディール政策を支持するニューディーラーたちだった。コートニー・ホイットニー准将率いる民政局(GS)がその中心で、同局のチャールズ・L・ケーディス大佐らは日本を二度と戦争ができない国にするため、経済力を弱めるだけでなく、日本人の精神構造を変えることをめざした。

そのような日本の弱体化を目論む彼らの「民主化」の理論的根拠となったのが、ジャパノロジスト(日本研究家)として当時、最も権威のあったノーマン理論だった。

ハーバード大学の博士論文として執筆し、研究員として勤めていた「反日親中」のシンクタンクだった太平洋問題調査会(IPR)から、1940年に都留重人の推薦で出版した『日本における近代国家の成立』(岩波文庫)では、戦前の日本は封建的要素が残る歪な近代社会と指弾され、日本が中国大陸で戦争をしているのは、日本が明治維新後、一貫して専制的な軍国主義国家であったからで、悪いのはすべて日本であるという論調で断罪されていた。

戦前の日本を遅れた暗黒時代と規定するノーマンの視点は日本の戦後教育そのものだが、そのような自虐的な史観を植えつけた一人がノーマンにほかならない。

 

近衛を戦犯として告発、自殺に追いやる

ノーマンは、公職追放でも民政局のケーディス次長の右腕として関わった。GHQは1945年10月4日の指令で、内務大臣、警察幹部、特高警察の罷免を指示。

さらに政治家、官吏、教員から地方政界、財界、言論界まで20万人以上の日本人を公職から追放。対象者の人選にはケーディスが核となり、ノーマンのほかに都留重人、羽仁五郎が協力したといわれる。

参謀第二部(G2)部長のチャールズ・A・ウィロビー陸軍少将は、『GHQ知られざる諜報戦』(山川出版社)で、「その過程(公職追放)でGSとG2との対立は最高潮に達した。

というのも、GSは"民主化"という口実のもとに、彼らが行おうとしていた"左寄り"とも思える政策の邪魔になる人間を次から次へと追放してしまったからである。日本人からもアメリカ人からも、そしてGHQの内部からも『GSは日本の最良の頭脳を取り除いてしまった』という批判の声が高まった。

ノーマン理論に基づく占領改革は、日本共産党を「民主主義勢力」と見なした。同年10月10日、東京・府中刑務所に服役していた共産党幹部を釈放したのを皮切りに、教育界と産業界、メディアにおいて共産勢力の台頭をもたらし、占領下の日本は、あたかも革命前夜の様相を示すようになった。

さらにノーマンは、近衛文麿と木戸幸一をA級戦犯指名するにあたり、起訴するために意見書をまとめた。GHQに提出するが、共産主義を警戒する近衛への非難が強かった。

10月に近衛はマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯の指名を受けるはずはなかったが、12月6日「A級戦犯」として逮捕令状が出され、近衛は出頭期日の12月16日、命を絶った。

 

日本国憲法の制定にも関与

ノーマンは日本国憲法の制定にも関わっている。1945年9月、ノーマンは都留とともにマルクス主義者で在野の憲法学者である鈴木安蔵を訪ね、憲法草案の作成を働きかけた。

鈴木は、天皇制廃止を主張していた元東京帝国大学教授で、戦後はNHK会長も務めた高野岩三郎と憲法研究会を結成。45年12月26日に政府の改正草案より一カ月も早く憲法草案要綱を発表する。

この草案を評価したGHQが最終草案にそれを取り入れたとされることから、日本国憲法の思想のオリジナルは日本側にあり、GHQから押しつけられたものではないという主張がある。

しかし、ノーマンは天皇制の廃止を求めていた。鈴木が回顧したところによれば、ノーマンに「きみたちの憲法草案も共和制ではないが、どういうわけだ」と質問され、「いまの状態でいきなりそれをもちだしても国民的合意を得ることがむずかしいからだ」と答えたところ、「いまこそチャンスなのに、またしても天皇が存在する改革案なのか」と反論されたという(遠山茂樹編『自由民権百年の記録』三省堂)。

ノーマンが重視したのは、第一条の「天皇は日本国の象徴であり、(中略)この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」の部分で、「国民の総意」を口実に天皇制をいつでも廃止できるようにしたといわれる。

ノーマンが唱えたように天皇制の廃止に至らなかった日本と、君主制が消滅した共産主義のソ連ないし中国とを比較した場合、どちらがより民主化を達成したといえるのか。鬼籍に入ったノーマンはどう考えているのだろうか。

 

Voice 購入

2024年5月号

Voice 2024年5月号

発売日:2024年04月06日
価格(税込):880円

関連記事

編集部のおすすめ

「中国共産党の脅威」を生んでしまったアメリカ痛恨の”判断ミス”

江崎道朗(評論家)

GHQによる戦後日本の経済民主化は「経済弱体化」だった

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)
×