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昭和天皇の側近まで...陸軍親ソ派による「共産主義国家の建設」という野望

2021年12月09日 公開
2023年02月01日 更新

岡部伸(産経新聞社論説委員/前ロンドン支局長)

 

親ソは時代の「空気」だった

この斎焌が打ったと見られる電報には、「日本政府の重要メンバーの多くが完全に日本の共産主義者たちに降伏している」とあるが、重要メンバーとはどの勢力を指すのか。

大戦時は陸軍とりわけ統制派が主導権を握っており、陸軍統制派と考えるのが妥当だろう。

もっとも、軍部だけがソ連に傾斜していたわけではない。戦前の国家総動員体制を推し進めたのは、「革新官僚」と呼ばれる左翼から転向した者たちだったことはよく知られている。親ソはいわば時代の「空気」だった。

昭和天皇の側近だった木戸幸一内相も、ソ連に対する見方はきわめて甘かった。1945年3月3日、木戸は日本銀行の調査局長などを務めた友人の宗像久敬に「ソ連仲介工作を進めれば、ソ連は共産主義者の入閣を要求してくる可能性があるが、日本としては条件が不真面目でさえなければ、受け入れてもよい」という話をしている(「宗像久敬日記」)。

さらに木戸は続けた。「共産主義と云うが、今日ではそれほど恐ろしいものではないぞ。世界中が皆共産主義ではないか。欧州も然り、支那も然り。残りは米国位のものではないか」。

 

近衛上奏文

このようにソ連に傾く政府、軍部に対して警告を発したのが、近衛文麿元首相である。

1937年7月の盧溝橋事件以来、泥沼の日中戦争から日米開戦に突入したことに、「何者か眼に見えない力にあやつられていたような気がする」(三田村武夫『戦争と共産主義』)と述懐した近衛は、1945年2月14日、早期終戦を唱える上奏文を昭和天皇に提出した。いわゆる近衛上奏文である。

「最悪なる事態に立至ることは我国体の一大瑕瑾たるべきも、英米の與論は今日迄の所未だ国体の変更と迄は進み居らず(勿論一部には過激論あり。又、将来如何に変化するやは測断し難し)随って最悪なる事態丈なれば国体上はさまで憂ふる要なしと存ず。国体護持の立場より最も憂ふべきは、最悪なる事態よりも之に伴うて起ることあるべき共産革命なり」

米英は国体変革までは考えていないとし、それよりも「共産革命達成」のほうが危険と見なす近衛の情勢分析は正鵠を射ていた。この近衛上奏から1カ月半余りのちの同年4月5日、ソ連は日ソ中立条約不延長の通告という離縁状を日本に突きつけてきた。小磯國昭内閣は総辞職し、7日に鈴木貫太郎内閣が成立すると、陸軍は本格的にソ連の仲介による和平工作に動き出した。

しばらくして参謀本部から、東郷外相に参謀本部第20班(戦争指導班)班長、種村佐孝(さこう)が4月29日付で作成した「今後の対ソ施策に対する意見」と「対ソ外交交渉要綱」がもたらされた。

「今後の対ソ施策に対する意見」は「ソ連と結ぶことによって中国本土から米英を駆逐して大戦を終結させるべきだ」という主張に貫かれていた。全面的にソ連に依存して「日ソ中(延安の共産党政府)が連合せよ」というのである。驚くべきは「ソ連の言いなり放題になって眼をつぶる」前提で、「満洲や遼東半島やあるいは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨てて、日清戦争前の態勢に立ち返り、対米戦争を完遂せよ」としていることだ。

もしこのとおりに日本の南北の領土を差し出していれば、日本は戦後に東欧が辿ったように、ソ連の衛星国になっていたであろう。琉球(沖縄)までソ連に献上せよというのは、ヤルタ密約にすらなかった条件であり、ソ連への傾斜ぶりの深刻さがうかがえる。

同じころ(同年4月)、種村の前任の戦争指導班長で鈴木貫太郎首相の秘書官だった松谷誠(せい)は有識者を集め、国家再建策として「終戦処理案」を作成。やはり驚くようなソ連への傾斜ぶりで貫かれていた。松谷の回顧録『大東亜戦争収拾の真相』によると、「ソ連が7,8月に(米英との)和平勧告の機会をつくってくれる」と、ソ連が和平仲介に乗り出すことを前提に「終戦構想」を記している。

こうした記述からは、事前にソ連側から何らかの感触を得ていたことがうかがえる。すでに対日参戦の腹を固めていたソ連は、最初から和平を仲介する意図はなかった。にもかかわらず、日本政府がそれを可能であると判断したのは、ソ連の工作が巧妙だったからだろう。

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