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インド太平洋と台湾――許されざる戦略の空白

2022年10月25日 公開

墓田桂(成蹊大学教授)

 

地理と政策がもたらす「戦略の死角」

インド太平洋戦略は文字どおりインド太平洋地域を対象とする。それゆえ、それ以外の地域や空間は後景化されてしまう。優れた戦略ではあるものの、いくつかの死角を伴う。

インド太平洋に冠せられる「自由で開かれた」、すなわち自由と開放性の価値は普遍的なものだが、インド太平洋という地理的範囲は限定的である。それに伴う限界がクアッド諸国の進める政策にも見受けられる。

だが、世界で影響力を強める中国に対峙し、政策の普遍的価値を普及させようとするなら、インド太平洋という舞台では事足りない。インド太平洋に重点を置きつつ、それ以外の地域や空間に目配りをした「インド太平洋プラス」の発想が求められるだろう。

アフリカや中南米を含む環大西洋地域は死角の1つである。ヨーロッパや中央アジアもインド太平洋地域との接点を見出しにくい。中国とロシアの裏庭になりつつある中央アジアには楔を打ち込む必要があるが、海洋秩序を重視するインド太平洋戦略において中央アジアは死角になりがちだ。

また、国際連合のようなグローバルガバナンスの空間もインド太平洋戦略の死角の1つである。物理的な地理的概念、あるいは古典地政学の発想では捉えづらいが、この国連こそ、中国が途上国の支持を得て影響力を強めてきた場である。国連は共産党体制に正統性を与えつつ、中国が国際秩序の擁護者として振る舞うことを許している。

地理がもたらした制約のほかに、政策がもたらした制約も指摘できる。インド太平洋戦略はルールに基づく国際秩序を維持し、促進するというものだ。多国間の軍事演習に有事を想定した場面があったとしても、有事への細かな対応はクアッドの共同声明で語られるような内容ではない。あくまでも抑止が目的の戦略である。

エンドゲームも対象外である。習近平総書記の率いる共産党体制が改心して国際法のルールに従うとは想像できない。となれば、戦略の目標は自ずと中国の牽制と定義されるが、体制の弱体化を含め、それ以上の目標が語られることはない。

台湾にも政策上の制約が当てはまる。蔡英文政権はインド太平洋戦略に対して強い関心を示してきたが、インド太平洋の基軸国は「1つの中国」政策ゆえに、台湾を連携相手とは見なしてこなかった。

台湾および台湾有事は重要課題であるにもかかわらず、政策的判断によって戦略の死角の奥に追い込まれた状態だった。ただ、今年2月に発表されたアメリカの「インド太平洋戦略」が台湾に言及するように、制約のなかで台湾を支援しようとする動きは存在する。

 

「台湾有事」に対する安倍元首相の懸念

台湾の置かれた状況を強く懸念していたのは、ほかならぬインド太平洋構想の提唱者の安倍元首相だった。

2021年12月、台湾のシンクタンクである国策研究院文教基金会が主催した「影響力論壇(インパクトフォーラム)」において安倍は、「台湾有事、それは日本有事です。すなわち日米同盟の有事でもあります。この点の認識を北京の人びとは、とりわけ習近平主席は断じて見誤るべきではありません」と発言した。

安倍の懸念はその後もさまざまな場面で示された。『インド太平洋戦略』日本語版への安倍のメッセージ(「自由で開かれたインド太平洋構想について」)も然りである。このなかで安倍はウクライナ情勢と関連付けて次のことを述べている。

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インド太平洋に位置する台湾。ウクライナ情勢は台湾有事とリンクする。

ロシアとウクライナ、そして中国と台湾にはいくつかの共通点がある。第一にロシアと中国は核保有国で、国連の[安保理]常任理事国でもあるということであり、第二にウクライナと台湾には同盟国がないこと。

他方で、ウクライナと台湾には決定的な違いがある。ウクライナは世界から独立国として認められ、国連にも加盟している。だからこそ、ロシアによるウクライナ侵攻は国際法違反と世界中から非難されている。

これに対し台湾は国連に加盟しておらず、国家として承認している国は少ない。中国が台湾進攻に踏み切った場合、「台湾は中国の一部であり、内政問題である。領土の一体性を確保する行動である」と主張することが予想される。
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そのうえで安倍は、バイデン米大統領が日本での記者会見で台湾防衛のために軍事的に関与することを明確にした点について、「米国がコミットすることを明示することによって、中国の武力による台湾進攻を思い留まらせる、つまり強力な抑止のメッセージになると考えていた。その意味でバイデン大統領の発言を評価する」と記している。

中華民国を承認しているのは14カ国しかない。公式の同盟国も存在しない。圧倒的な外交力を誇る中国の圧力に対し、台湾はきわめて脆弱な立場にある。本来なら、その台湾にこそ、インド太平洋戦略の明確な役割が与えられるべきである。

この戦略が志を同じくするパートナーとの連帯を重視するのであれば、そこに台湾が入らない理由はない。では現在の空白をどのように埋めるのか。また誰が埋めるのか。

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