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キラキラネームは現代版の「おまじない」 太古から世界各地で息づく文化

マーク・矢崎(日本占術協会認定占術士/日本占術協会理事)

2023年03月17日 公開 2024年12月16日 更新

いまも身近に数多く残る「おまじない」。古くから、世界各地に存在するおまじないには、どのような違いや特徴がみられるのでしょうか。また、混同されがちな「おまじない」と「魔術」の違いについて、新聞や雑誌等で、数多く執筆されているマーク・矢崎さんが解説します。

※本稿は、マーク・矢崎著『いにしえからの贈り物 お守り・厄除け・おまじない』(説話社)より、一部を抜粋・編集したものです。

 

「おまじない」は形を変えて残っている

お正月のおせち料理や節分の豆まきなど、今も年中行事の中に縁起担ぎや風習としておまじないが残っているけれど、昔はもっと日常生活の中におまじないが生きていた。

たとえば子どもがケガをしたとき、お母さんがそのケガをなでながら「痛いの、痛いの、飛んでいけ...」と呪文を唱えるのは、子どものケガの痛みが早く治まるようにと願うおまじないである。

また、テレビの時代劇で主人が家を出るとき、奥さんが主人の背中越しに火打ち石を打つのも、切り火を切って魔を清め、外出の無事を願おうとするおまじない。

今も昔も人々は、人智では計り知れない不思議なことや恐ろしいことは、みんな魔物や神様の仕業と考えてきた。

たとえば狼をオオカミ=大神、雷をカミナリ=神鳴りというように、怖いことや恐ろしいことは、とくに神様として崇め奉ることで、自分たちに災いが降りかからないようにしようと考えたのだ。

この神様や魔物を崇め敬まって、怒りや災いを鎮めようとしたのが、おまじないの始まりだ。

時代が下って現在では、科学万能と言われて、今まで人智の及ばないことと思われてきた不思議なことや恐ろしいことも、その原因のほとんどが解明されてきた。

謎や恐怖の原因が究明されて、人が恐れたり畏敬の念を抱かなくなると、その分、おまじないは忘れられ、少しずつ姿を消している。

しかし、人の心の機微や人間関係、恋愛感情など、まだまだ理屈では割り切れないことも多く、とくに人生経験の浅いティーンや若い人たちにとっては、未だに神頼みの分野でもあるのだろう。

おまじないという言葉は使わなくとも、魔除けや願望成就の効果のある画像をスマホの待受画面に載せたり、霊石やヒーリング効果のあるグッズを身につけたり、風水や聖地やパワースポットに、癒しや運気を高める気を求めたりして、まだまだ身近なところにおまじないは形を変えて息づいている。

ストレス社会と言われる今の時代、人智では計り知れない新しい対象が生まれて、それが新しいおまじないを生み出しているのではないだろうか。

 

3万5000年前のビーナス像がおまじないの原点!

ぼくが知っている世界最古のおまじないは、2008年にドイツのシュルクリンゲンという町の洞窟の遺跡から見つかった、「ホーレ・フェルスのビーナス」と呼ばれる、今から3万5000年前、旧石器時代のビーナス像だ。マンモスの牙から作られている。

他にも世界各地で同様のビーナス像が発見されているが、どれもとてもふくよかで、お腹が大きく豊満な胸の妊婦像で、女性が子どもを出産することから、その不思議な力にあやかったと思われる。

家族や子孫の繁栄と、当時、食料だった狩りの獲物の動物が増えて、食べ物に不自由しない豊かな生活を営むことができるようにと願った、豊かさの象徴だとされている。

日本でも、長野県茅野市から出土した「縄文のビーナス」「仮面の女神」ほか、全国各地で発見されたビーナス像は、謎に包まれてはいるが、研究者の間では、そうした、祈りの道具に使われたであろうことが明かされている。

3万5000年前の人類に、神様や仏様の概念があったかどうかは不明だが、少なくとも身近に起こる不思議な現象に、何か神秘性のようなものを感じて、その不思議な力に、幸せを願う意識はあったのだろう。

生命を生み出す妊婦の力にあやかって、生活の豊かさを願ったり、家族や子孫の健康や繁栄を祈るということは、ぼくたちがおまじないやお守りで、願望成就や幸運を願うのと同じである。この3万5000年前のビーナス像は、おまじないの原点だと言ってもよいだろう。

 

ヨーロッパと日本、おまじない文化の違い

おまじないと魔法の定義で分けてみると、古い魔法書に書かれているような、アラブやヨーロッパで生まれた魔法陣やアミュレットは、どれも自分中心で願望をかなえる、定義上は魔法に含まれるものが多い。

一方、古くから日本に伝わるおまじないは、家内安全や健康長寿など、家族や自分以外の誰かのために願いをかけたり、家や仲間単位での幸運を願うものが多い。

この違いはアラブやヨーロッパは狩猟民族で、数に限りある獲物を、それぞれが競い合って狩る文化であるのに対して、日本は農耕民族で、同じ集落のみんなが協力し合って作物を育てる文化なので、いつもまわりを思いやる、思いやりの文化の影響なのだと思う。

しかし、世界各地には、家族を思いやるおまじないがたくさん残っている。

たとえば、ヨーロッパやアメリカに伝わるパッチワークは、それぞれの家や家族によって、オリジナルの模様やモチーフがある。それはその家や家族が健康で幸せに恵まれて、大いに繁栄するように願って作られたもので、その家に代々受け継がれている。

同じように日本でも、津軽地方に伝わる刺し子には、その家独自の模様があり、ひと針ひと針、家族の健康や安全を願って、思いを込めながら作られるということだ。

そういう意味では日本の家紋も、ヨーロッパの貴族の家に伝わる紋章も、その家や家族に幸運と繁栄をもたらすように作られた、意味のある図案だし、古くから着物や布地に描かれた、青海波やペイズリーなどの文様も、本来は何かの願いを込めて作られた、意味のある図案で、これもまた身につける人の幸せを願った、おまじないと言えるだろう。

そういう意味でぼくたちの身のまわりを見まわしてみると、それを使ったり身につけたりする人の幸せや、何かの願いを込めた、おまじないの意味が込められたものがたくさん存在する。家族や大切な人を守りたいという気持ちが、たくさんのおまじないを今に伝えてきたのだろう。

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子どもの「名づけ」は究極のおまじない

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