“長生きに執着するお金持ち老人”に僧侶が放ったひと言とは?
2023年10月05日 公開 2024年12月16日 更新
私たちの誰もが「初めての人生」を歩んでいます。なじみのない道を歩く旅人にとって道路標識が役に立つのと同様に、常に「初めての人生」を歩んでいる我々にとっても<道しるべ>は有益です。
ここでは「老い」にまつわる2つの逸話を紹介します。人生100年時代だからこそ、逸話を道しるべにして、そこから学べること、私たちの日常にいかせることを拾い上げていきましょう。
※本稿は、戸田智弘著『人生の道しるべになる 座右の寓話』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
100歳まで生きる方法
ある時、お金持ちの老人が、良寛和尚(1575~1831年)のもとを訪れ、神妙な顔で尋ねた。
「私は今、80歳です。お金は十分にあるし、もう何をしたいということもありません。ただ、一つだけ自分の力ではどうしても叶わぬことがあります。何としても100歳まで生きていたいのです。何か良い工夫があったら教えていただきたい」
良寛和尚は「何かと思えばたやすいご用だ」とにこにこしながら答えた。
そして「もう100歳まで生きたと思いなさい。そうすれば100歳まで生きたことになるのだ。そう思って一日生きれば、一日儲かったことになる。こんなうまい話はない」と言って大きな声で笑った。
老人は自分の欲の深さを悟り、その日その日を楽しく、有意義に送るようになった。
未来のために今を犠牲にしない
お金持ちの老人にとって、100歳まで生きることが最大の目標だった。したがって、その目標が達成できるのならば、どんなに好きなことでも我慢するし、逆にどんなに嫌なことでもするという気持ちだったのだろう。
良寛和尚から「もう100歳まで生きたと思いなさい」と諭された老人は、自分の最大の目標が達成されたのだから「100歳まで何としても生きるんだ!」という囚われから自由になった。
それは「未来のために今を犠牲にする」という姿勢から「今を生きる」という姿勢への転換だった。長寿は目的ではなく結果だということを教えてくれる話である。
高齢者を健康かどうか、幸福かどうかという2つの視点で4つに分類してみよう。そうすると、「健康で幸福な人」「健康だけど不幸な人」「不健康だけど幸福な人」「不健康で不幸な人」に分けられる。
健康のために人生があるわけではない。人生のために健康があるのだ。健康はそれ自体が目的ではなく、良い人生、楽しい人生を送るための条件なのだ。
歳を重ねるにつれ、時間が過ぎるのが速くなった─これは誰もが感じることだろう。本当にあっという間に1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年が過ぎていくことに愕然とするときがある。
思い返してみると、子ども時代は初めて体験することばかりで、新しい出会いや発見が毎日のようにあった。もう少し大きくなって大学に入って間もない頃、就職して間もない頃は、新しい環境に飛びこんでいく中で新鮮な経験が次々と待ち構えていた。
しかし、環境が変わって1年くらいが過ぎると様子もだんだんわかってきて、気持ちが落ち着いてくると同時に、生活がマンネリ化してくる。そうなると、次第に時間の流れが速くなっていったように思う。
要するに、大人になると時間があっという間に過ぎ去ると感じるのは、日々の生活に新鮮味がなくなるからだろう。体感時間の長さは、思い出すことができる記憶の量に比例しているのかもしれない。
では、少しでも時間の流れを遅くするためにはどうしたらいいのか。努めて、新しいことにチャレンジすることだろう。人は未経験の何かにトライしているときは、強い感情が湧き上がっており、それが意識に強く残り、時間が長く感じるようだ。