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生き方

自分嫌いの僕が旅先で見つけた「実は他人が嫌い」という本心

横川良明(ライター)

2024年01月10日 公開

 

人がいないところが一番落ち着く、という結論

しまいには、明くる朝、財布が見つからなくて荷物を広げていたら、上のベッドの人から「すみません。もうちょっと静かにしてもらえますか」と注意された。唯一の交流が、まさかの叱責だった。

そんな一向に誰とも仲良くならない多拠点生活をやってみて出た結論は、人がいないところがいちばん落ち着くということだった。

酒場に繰り出したときよりも、ゲストハウスで声をかけられるのを待っていたときよりも、ぶらぶら散歩をしている中で見つけた誰もいないダムの上の貯水池でのんびり景色を見ているときがいちばん心が安らいだ。自分らしく息を吸えている気がした。

そして思ったのだ。僕、人が好きではないなと。

「人が嫌い」なんて口にするのは、すごく傲慢なことだと思っていた。みんなそれぞれ違う人間で、それぞれ美点もあれば欠点もあるのに、すべて「人」と一緒くたにして「嫌い」とぶった斬ってしまうことに、自分だけはそういう連中とは違うんだという浅はかな選民思想が垣間見えるし、なにより暴力的だ。

「人が好き」と澄んだ目で言い切ることはできなくても、せめて「人が好き」と言える努力をするべきなんだと長らく自分に思い込ませていた気がする。

 

まずは「人が好きではない自分」を受け入れてみる

でもその鎖を一度解いてみようと思った。自分が、どうしても人を好きになれないことを事実として一旦受け止めてみる。その上で、どう人と関わっていくのかを考える。

人を好きになろう人を好きになろうと、無理して自分ではない誰かを装ったって行きづまるのは当たり前。むしろジタバタとあがけばあがくほど、どんどん糸がこんがらがっていくようだった。結局、人は誰かになんてなれないし、自分を変えることだってできない。

それよりも、人を好きになれない、人とできるなら関わりたくない僕が、人が嫌いなまま世界と一緒に生きていく道を考えることが、すなわち自分を認めることなんじゃないだろうか。そう考えたら、なんだか急に体が軽くなった気がした。今この瞬間に細胞が入れ替わったことを、なぜか肌感覚で実感できた。

誰もいない貯水池は、風の音だけがやたらと響く。そうか、風って音がするんだなと、ごく当たり前のことに僕はとても新鮮に驚いていた。目を閉じて耳をすませてみる。すると、風が鳴くその向こう側で、ずっと解けなかった知恵の輪がようやくカチャリと音を立てたような、そんな気がした。

 

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