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光源氏は藤原道長ではない? 当時の『源氏物語』読者が思い描くのにピッタリな人物

繁田信一(歴史学者)

2024年02月20日 公開 2024年05月13日 更新

日本最古の長編小説とされる『源氏物語』。フィクションだけに登場人物は架空のものとされている。主人公である光源氏もモデルがいるのではと多くの研究者の想像をかきたててきた。

雑誌『歴史街道』のYouTubeチャンネル「歴史街道|PHP研究所」にて、歴史学者の繁田信一氏は敦道(あつみち)親王を光源氏の候補に挙げた。その理由とは...?

 

紫式部が思い描いた光源氏と読者が想像する光源氏の違い

――光源氏のモデルは、時の権力者である藤原道長、その甥の藤原伊周あるいは源高明とされることが多いですが、繁田先生はその候補に敦道親王の名を挙げていますね。

【繁田信一(以下、繁田)】モデルと言うと、紫式部が誰を想定するかという作者の問題。敦道親王を挙げたのは、読者それぞれが、作中の光源氏の振る舞いから誰を想像するかという視点から。よく言われているモデルとは違う切り口で考えてみました。

身分が高いと女性に対しても、けっこう無理がききます。その無理を通した代表的な実在の人物が敦道親王です。読者の目から見ると、『源氏物語』内の光源氏の振る舞いが敦道親王を彷彿とさせるのではないでしょうか。

 

敦道親王の赤裸々な恋愛が公開されていた?

――なぜ読者が敦道親王と光源氏を重ね合わせるのでしょう。

【繁田】敦道親王は和泉式部の彼氏として有名です。その和泉式部をどうやって口説いたかが、『和泉式部日記』にはっきりと描かれています。中には敦道親王にとっては非常に恥ずかしいことも。『源氏物語』の読者がその前に『和泉式部日記』を読んでいれば、あれ?これって敦道親王...?と思った人も少なくないのかもしれません。

 

敦道親王と和泉式部の恋愛はどういうものだった?

――和泉式部は敦道親王の兄である為尊(ためたか)親王と恋愛関係にありましたが、その後に敦道親王との関係に発展しています。これは当時はスキャンダラスな関係だと捉えられたのでしょうか。 

【繁田】当時は僕らと恋愛観が違うんですね。こういったことは貴族社会でけっこうあることです。兄貴が死んだ後に、その彼女に弟が手を出すということは皇族だけではなく、受領層の貴族とかで実際にやっていたことなんです。

――実際によくあったこととはいえ、それは周囲から冷たい目で見られたりしなかったのですか?

【繁田】それは当時も"褒められたものではない"ことかもしれない。でもそれがリアルなんです。

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