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生き方

あなたにはあなたの良さがある...「他人と比べて悩む人」にキリスト教が示す答え

片柳弘史(イエズス会司祭),鈴木秀子(聖心会シスター)

2024年03月06日 公開

とかく、私たち人間は不安にとらわれがちです。そんな私たちを、キリスト教はどのように救ってくれるのでしょうか――新刊『あなたは あなたのままでいい とっておきの聖書のことば23』に込められた真意を、聖心会のシスター鈴木とイエズス会の片柳神父が語りあいました。

 

弱さや失敗も含めて、「あなたは あなたのままでいい」

【片柳】新刊『あなたは あなたのままでいい』のタイトルには、特別な思いを込めました。

キリスト教と聞くと、「悔い改めなければ地獄に落ちる」といって脅かし、改宗を迫る宗教というようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、本来、キリスト教は人を責めるような宗教ではないのです。

人間は「弱さ」を抱えていて、ときに失敗してしまうこともあるけれど、そのことも含めて私たちを受け入れ励ましてくださる。それが、聖書の中でイエス・キリストの説く神様なのです。

この本の中で、最初に聖書の言葉と"放蕩息子の逸話"をご紹介しました。

――父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカ15:20)

放蕩息子は父から財産をもらって都会に出てくるのですが、使い果たしてしまいます。父の財産を無駄にしてしまったことで「自分はもう、息子と呼ばれる資格がない」と思いながらも、情けにすがって助けてもらおうと父のもとへ帰ります。すると父は、何も聞かずに息子を受け入れてくれるという話です。

この逸話が伝えているのは、弱さや失敗も含めて「あなたはかけがえのない大切な私の子どもだ、大切な命だ」と受け入れてくれるのが、神様の愛であるということです。そうした思いを「あなたは あなたのままでいい」というタイトルに込めました。

【鈴木】人間は皆、惨めなところと良いところがあります。人生も、良いときもあれば、苦しいときもあります。日本には「陰と陽」という考え方がありますが、すべてはそのように「対」でできているわけです。

私たちが生きている世界には、朝があり夜があり、山があり海があり、光があり闇があり、そして正しいことと間違ったことがあります。宇宙は「対」が一つのものとして調和しているのに、とかく人間は「陰と陽」を二分して、「陰は悪くて、陽は良い」と考えるから苦悩が始まります。

「苦労は買ってでもせよ」という格言があるように、嫌なことを乗り越えることで人間は成長していきます。与えられた命に感謝をしながら、今起きることを「ありのままに」受け止めていく――。

「あなたのままでいい」ということは、努力をしなくていいということではなくて、苦しみや逆境をバネに成長していくことだと思うのです。陰の部分はだめ、陽の部分だけがいいという思考ではないのですよね。

【片柳】そう。誰だって幸せになろうと思って一生懸命、頑張っています。それでもうまくいかなくて、落ち込んだり、絶望したり――。それでも神様は「大丈夫、そんなに自分を責める必要はない。あなたは、あなたのままでいいんだよ」と赦してくださいます。

失敗を通して成長すると信じ、私たちを待っていてくださるのです。ですから私たち自身も、失敗しても諦めず、自分を赦してあげること。そこから何かを学び、成長していくことが大切です。

 

桜もすみれも、自分らしく輝いている

【鈴木】人と比べないということですね。聖書の初めに、神様は天地を創造されたあと「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(創世記1:26)と、愛のあふれとして一人ひとり人間を造られたと書いてあります。

神様は徹底して、私たちの惨めさをご存知で、許して、力を与えてくださる。「自分はだめです」といって自身を責めることは、傲慢なのです。神様は「あなたのままで乗り越えなさい」とおっしゃっています。その愛に少しでも報いようとするならば、惨めさをも受け入れて、今の自分を乗り越えていくことが大切です。

【片柳】そうですよね。私たちはつい、人と自分を比べてしまいがちですが、それぞれ神様から良いものをもらって生まれてきています。あの人にはあの人の良さがあり、私には私の良さがある――。

自分に与えられた良さを精いっぱい発揮して生きていけば、誰でも幸せになることができます。

【鈴木】「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい」(ルカ12:27)という聖書の教えがありますけれど、桜でもすみれでも、野原に咲く花はみな、それぞれ自分らしく咲いて輝いています。私たちも神様からいただいたものを使って、周りの人たちに愛を送りながら生きることが大切です。

 

「これでよいのだろうか」と不安にとらわれたら

【片柳】生きていれば毎日のように、これでよいのだろうかという気持ちが沸き起こってくると思います。私は幼稚園でも働いているのですが、ときに将来のことを思い、「このままでよいのだろうか。もっと何か大きなことをすべきではないか」と考えてしまうときがあるんです。

「ああ、またバカなことを考えてしまった」と思うのですが――。それでも私のことを待っていてくれる子どもたち、先生たち、保護者たちがいます。今、与えられた場所で使命を果たしていくこと。どこに行ってもそれ以上の幸せなどないのだと自分にいい聞かせ、その都度、自分の使命をありがたく受け止めなおしています。

【鈴木】若いときはそうやって、一歩一歩、振り返ってみることも大切だと思いますし、外にある成功も大切なことでしょう。

歳をとればできなくなることがたくさんあって、周りの親切が身に沁みますけれど、そのとき神様が与えてくださる叡智がどこにあるのかというと、「人間にとって何が大切か」を教えてくれることにあるんじゃないかと思うのです。

【片柳】若いころは、成功してちやほやされることが一つの幸せと思いがちですが、そうやってちやほやしてくれる人は、失敗したらいなくなってしまいます。

本当の幸せは、たとえ失敗しても、自分のことを見放さずにいてくれる人がいるということなんですよね。どれだけ成功し、人から認められるかに価値を見いだしてしまいがちですが、そこに私たちの本当の幸せはないと思います。

 

マザー・テレサが教えてくれた、一人ひとりに宿る「神の愛」

【片柳】私は父が亡くなった後、人生にすっかり迷い、生きるための手がかりを求めてインドに渡りました。子どものころから憧れていたマザー・テレサのところに行けば、なにか手がかりが見つかるかもしれないと思ったのです。

そもそもキリスト教徒でありながら「神の愛」を頭でしか理解していなかったので、体験して、感じてみたいと思っていました。

マザーに初めて会ったその日に、確かに手ごたえがありました。急に訪ねて行って、厚かましくも「会わせてくれ」などといってきた人間を、「よく来てくれた」と大歓迎してくれたのです。まるで聖書の放蕩息子のエピソードのようでした。

この人には愛があり、私は今、無条件に大切にされている。神の愛とはこういうものなのかもしれない、と体感させてもらいました。

それをきっかけとしてマザー・テレサのそばから離れられなくなり、1年余りマザーのもとに留まりました。日々、マザーの施設でボランティアに勤しむ中で、彼女から直接「いっそのこと神父になってはどうか」と勧められて、今があります。

【鈴木】マザー・テレサを通して、神様がお働きになったのですね。

【片柳】はい。マザーとの出会いを通して、私たち人間の心の中に宿る優しさや、温かい気持ち――そこに神様がおられるということがわかったんです。心の中に宿った神様に導かれて、ここまでやってきたといってよいでしょう。

【鈴木】人間は、どんなに辛いときでも、周りに心優しい人が一人でもいてくれれば、乗り越えられるといいますからね。マザー・テレサのように、目の前の一人を心から大切にしていけるよう、自分を訓練していきたいものです。

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