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事故で下半身不随に...あと2日で殺処分だった猫・らいが見つけた“家族との幸せな日々”

2024年02月22日 公開

↑らい。推定2010年生まれ(写真:晴)

交通事故で下半身不随になり保健所に収容された1匹の猫。引き取り手がなく殺処分寸前だったところ、晴さんが家族として迎え入れ、「らい」と名付けました。

ハンデを抱えながらも、根っからの明るい性格と同居猫たちのやさしさ、家族の献身的な看護に支えられ、幸せに暮らしています。晴さんが日々発信しているInstagramではらいのファンも多く、天真爛漫な性格と愛くるしい表情でファンの心をわしづかみにしています。

本稿では、らいと晴さんの出会いと看護のエピソードを紹介します。

※本稿は、晴著「らい 下半身不随の猫」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

らいとの出会い

↑病院で治療を受けるらい。痛みと緊張で険しい顔

2018年2月19日、Instagramに届いた1通のDM(ダイレクトメッセージ)が、らいとの出会いのきっかけでした。それは交通事故に遭った後、保健所に収容された殺処分寸前の猫のSOSでした。

命の期限はあと2日。すぐにSNS上で拡散しても引き取り先を見つけるのは難しいと思い、「うちで預かって里親さんを探しましょうか?」と返信しました。メッセージをくださった方が、すぐにボランティアさんに連絡を取り、保健所から引き出された猫は病院で治療を受けることになりました。

保健所に収容されてから最低限の処置で2週間を過ごしたその子は、後ろ足を負傷して下半身不随だということがわかりました。下血し口内や喉も血まみれで、命があったのが奇跡だったとのこと。

折れた背骨にプレートを入れて固定し、壊死していた背骨まわりの組織を取り除く大手術を受けました。また、口内のケガのせいか食事をしなかったため、退院まで点滴で栄養を摂っていました。

うちで預かると決めたものの、当時は認知症の老犬しのが2度目の目の手術をしたばかりで、抜糸まで24時間つきっきりの看病が必要だったため、ボランティアさんと連絡を取り合いながら、1週間だけ退院後の猫のお世話をお願いしました。

そして、しのの抜糸が済んだ1週間後、猫を迎えにいざ出発! 途中迷子になってしまい、片道2時間のところ倍の4時間かかってなんとかボランティアさんとの待ち合わせ場所に到着しました。

らいと対面した後、圧迫排泄の仕方を教わり、譲渡契約書にサインしてお世話になったボランティアさんにお礼を伝え、少しでも傷に響かないようにブランケットなどでキャリーの中を覆って慎重に車に乗せて帰宅しました。

雰囲気から「らい」と名づけたその子はふっくらまぁるい顔をしていましたが、体重は2kg台で、まだ前足だけではほとんど歩くことができませんでした。

体調は、ボランティアさん宅では久々に口から食事をしたためか水のような下痢が続いていたとのことでしたが、回復したようで、うちでは少し柔らかめのウンチで食欲もありました。

入院直後のらいはノミ・ダニだらけで去勢されておらず、おそらく半野良だったのだろうとのこと。人が大好きで、私の手をギュッと抱きしめながらフミフミするのが大好きな、とても甘えんぼな子でした。

里親さんを探す予定でしたが、毎日数時間おきの圧迫排泄と体位変換、リハビリなどのお世話が必要なため、このままうちの子になってもらうことに決めました。こうして家族が増えて、さらに賑やかになったわが家なのでした。

↑まったく人見知りしないオープンな性格で、うちに来た直後も平常心。腕をギュッとしてフミフミするのがらいの十八番

 

下半身不随の猫のお世話の難しさ


↑最初はイヤがっていた圧迫排泄も、次第に諦めモードに。もー好きにしてのポーズ

らいと暮らすことを決めたものの、下半身不随の猫との生活は初めてだったため、試行錯誤の連続でした。まず、圧迫排泄に慣れていないため時間がかかり、イヤがるらいをなだめながらのお世話でした。

オシッコもウンチも他の内臓を圧迫しないように慎重に押し出すのですが、皮膚の上から触りながら「あれ? 膀胱、どこ逃げた?」「これウンチなの? 内臓なの? 押し出しても大丈夫?」と、ビビりながらの作業なので、これまた時間がかかってしまいます。

初めはイヤがって私の手を咬もうとしたり、逃げようとしていたらいですが、6時間ごとにくり返される作業に慣れてきて、次第に「あ、オシッコの時間ですね。はい、どうぞ!」と言わんばかりにゴロンと横になったり、「そろそろオシッコの時間ですよね?」と自分から催促するようになりました。

けれど、圧迫排泄ではオシッコを全て出しきることが難しく、膀胱炎や尿結石になって尿道にカテーテルを挿入して、注射器で吸い出したり、同時に下痢になったりと、初めて経験する看護がてんこ盛りの日々でした。

傷が癒えると、リハビリを開始しました。食べやすい高さと角度に食器を調整し、リハビリのため食事の間は後ろ足を座った体勢にしました。筋肉が落ちているため、初めは姿勢を保つのが難しく、支えていないと後ろ足がすぐに崩れていましたが、徐々に食事が終わるまで座位を保てるようになりました。

↑(before)当時足を投げ出したスタイルで食事をしていましたが


↑(after)トレーニングを重ね座位ができるようになりました。食器の高さも試行錯誤しピッタリフィット

らいが歩く時は、後ろ足がいつも同じ向きで引きずらないように気をつけ、四足歩行の姿勢が保てるように、両手で下半身を支えながら歩行をサポートしました。車椅子も考えましたが、らいが自由に寝転んだり座れないこと、わが家に段差が多いことを考慮し、購入はしませんでした。

また、らいがベッドで休む時も、2、3時間おきに体位変換をして、褥瘡(じょくそう)と四肢の強張り予防を心がけました。

温パックで腰を温めたり、100均の美顔ローラーで後ろ足を刺激してみたり、四足歩行のサポートで自分の腰を痛めたりと、試行錯誤やらなんやらで忙しい毎日でした。それでも、その苦労を上回る彼らのかわいさで癒されることも多い日々でもありました。


↑温パックぬくぬく~

 

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