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彬子女王殿下の留学生活の思い出「エリザベス女王陛下とのアフタヌーン・ティー」

彬子女王

2024年04月17日 公開 2024年12月16日 更新

現在、皇族としてのご活動だけでなく、日本美術史の研究者としても活躍される彬子女王殿下が、英国のオックスフォード大学マートン・コレッジに留学中の、2005年夏のある日のこと。

在英日本国大使館に、エリザベス女王陛下(2022年、96歳で崩御)からバッキンガム宮殿へのお招きの連絡があり、彬子女王殿下も、そのお話が来たときは、ほんとうに「えっ」といわれ、しばらく言葉が続かなかったそうです。

そしてその「女王陛下がお待ちの一室に通された」日の翌日、バッキンガム宮殿でのことを、指導教授にふとお話しになったところ、その教授は――。

※本稿は彬子女王著『赤と青のガウン』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。

 

「ギリシア彫刻のような端正な顔立ち」の先生と待ち合わせ

オックスフォード大学での私の指導教授、オックスフォードのJRことジェシカ・ローソン先生はとてつもなく顔が広い。彼女の紹介でお会いした2人の有名人についてお話ししようと思う。

私を自分の学生にすると決めたとはいえ、ジェシカは日本美術が専門ではない。そこで、彼女は2人目の指導教授として日本美術の専門家を紹介してくれた。コンタクトを取るようにといわれた相手は、大英博物館の日本セクション長であるティム・クラーク先生だった。

ジェシカはマートン・コレッジの学長になる前、大英博物館のアジア部の部長を務めていたので、クラーク先生とは旧知の仲であったことから頼みやすかったのだと思う。クラーク先生とはメールで何度かやりとりをし、ある日の午後に大英博物館でお会いすることとなった。

待ち合わせの場所に着くと、クラーク先生がいらっしゃった。ギリシア彫刻のような端正な顔立ち。ちょっと人を寄せ付けないようなぴんとした雰囲気が漂っている。あまりにも完璧な容姿と佇まいで、こんなことでもなければ私から話しかけることはとうていできそうにない、そんな感じである。

すると、「話すのは日本語と英語どちらがいいですか?」と、英語で質問された。「ここは英国なので」と英語で話すことをお願いし、先生とは英語で会話をすることになった。

先生は、私が研究したいテーマの説明を終えるまで黙って聞いてくれた。たどたどしい英語でなんとか説明を終える。

するとすぐに、「それだったら、大英博物館のアンダーソン・コレクションを研究してみたらどうですか。外国人のつくった日本絵画のコレクションとしてはもっとも古いものの一つだけれど、いままでほとんど研究されていないし、研究テーマにも合うと思いますよ」とご提案くださった。

先生のおっしゃる「アンダーソン」が誰なのか、このときはまったくわからなかった。でも、クラーク先生が指導教授を引き受けてくださったことと、面白くなりそうな自分の研究テーマにわくわくしながらオックスフォードに帰ったことをよく覚えている。

 

シャイだけれども、日本人以上に日本人な英国人

さて、このティム・クラーク先生、とにかくシャイな人である。2度目の留学〈2004年9月から5年間〉でクラーク先生に指導をしてもらうようになっても、その他人行儀な感じはずっと変わらなかった。

私のことをずーっとPrincess Akikoと呼ぶし、無駄話はほとんどできないし、こちらから勉強以外の話題を振っても、たいてい素気ない返事が返ってくるだけなのだ。

だからあるとき先生との距離をなんとか縮めたいと思い、「Princess Akikoと先生に呼んでもらうのは学生として気が引けるので、アキコでけっこうです。私もティムと呼びますから」といって、ようやくアキコと呼んでもらえるようになった。

それ以来少しずつ打ち解けていったが、プライベートな話が普通にできるようになるまで2年くらいかかったと思う。そういうわけで、これから先生のことを書くときはティムと書くことにする。

ティムは日本語がうまい。外国の方でもときどき日本語がほんとうに上手な方にお目にかかることがあるけれど、ティムの日本語はほぼ日本人のそれである。それも古風な日本語を使う。「今日は白雨(にわか雨のこと)をみた」とか「片田舎の母の家に」というような表現が普通に出てくるのである。

ずっと私がおぼつかない英語で会話をしていたのに、日本人の先生がおみえになっていたときに完璧な日本語で話しているティムの姿をみて、どれだけ落ち込んだことだろう。

学生時代に学習院大学に留学をしていたティム。私が学習院にいたころに、日本美術史の基礎や美術品との向き合い方を仕込んでくださった哲学科の小林忠先生のゼミ生だったのである。

そして、その技術は日本語だけにとどまらない。小林先生は「クラークさんは海外にいる学芸員さんたちのなかで、いちばん美しく丁寧に美術品を扱う人ですよ」とよくおっしゃっていたが、ほんとうにそのとおりだと思う。日本人以上に日本人な英国人なのである。

博士論文を思い起こすと、ティムにはほんとうにお世話になった。大学院から日本美術に鞍替えした私を根気よく指導してくださった。日本にもって帰っても意味のある研究になったのは、ジェシカのプレッシャーとティムの専門的な指導のおかげだった。

ともかく、こういうわけで、第2の指導教授が大英博物館のティム・クラーク先生に決まった。こうして、2度目の留学を胸に描きながら私は1度目の留学〈2001年9月から1年間〉を終えたのだった。

 

ある日、エリザベス女王陛下から、バッキンガム宮殿へのお招きの連絡が......

さて、ジェシカに紹介されたもう一人の有名人は誰かというと、エリザベス女王陛下である。

ジェシカは女王陛下のご側近の一人と親交があり、折々に、日本のプリンセスがどうしているかをその方に報告してくださっていたようだ。そんなことから女王陛下が一度私に会ってあげようと思ってくださったらしい。

それは2005年夏。在英日本国大使館に女王陛下からバッキンガム宮殿へのお招きの連絡が来た。お話が来たときは、ほんとうに「えっ」といったあと、しばらく言葉が続かなかった。

おうかがいするとお返事したものの、何を着たらよいのか、帽子や手袋はどうするのか、何のお話をしたらよいのか、さっぱりわからない。そもそも周りに女王陛下にお会いしてお話をした人など数えるほどしかおられないし、1対1でご対面のケースなどほぼ皆無。不安でいっぱいのまま、その日を迎えた。

日本大使館の方が黒塗りの車で迎えにきてくださる。公務のときに着るようなきちんとした服があればよかったのだが、英国にはあいにくふさわしいものをもっていっていなかった。

大使館を通じて女王陛下がどのようなものをお召しになるのかをうかがい、もっていたもののなかでは最良と思われる茶色地に花柄のワンピースでうかがうことにした。車は宮殿を囲む公園を進む。すると、眼前に真っ白なバッキンガム宮殿がみえてくる。

門の前はいつものように観光客でひしめき合っているようだ。門が大きく開く。観光客の人たちの「誰? 誰?」という視線が痛い。そして、宮殿の門を車でくぐったところまでは覚えているのだが、そこからは緊張しすぎていたせいか、少々記憶があいまいである。

宮殿のなかは素晴らしく見事な内装だったのだと思うが、ほとんど記憶に残っていない。誘導の方の後ろについて宮殿を進むと、エレベーターに乗せられた。エレベーターを降りると、大量のコーギー(女王陛下の飼い犬たち)がお出迎え。犬たちとともに待っていてくださったのが、ジェシカのお知り合いの側近の方である。その方に連れられて、とうとう女王陛下がお待ちの一室に通された。

 

「大きな部屋に残されたのは、女王陛下と私、そして走り回るコーギー」

大きな窓からお庭を望む明るい室内。足元を走り回っている犬たち。そして目の前に立っておられる女王陛下。何から何まで現実味がなく、しばらく茫然としてしまった。微動だにできない私を、現実に引き戻してくださったのは女王陛下だった。にこやかに手を差し出して握手を求めてくださり、ソファーへといざなってくださったのだ。

ちょっと背の低いふかふかのソファー。英国らしい家具だなぁなどと思っていると、ほどなく給仕の人が現れた。女王陛下の隣のテーブルにティーセットとお菓子の載った銀のお皿が置かれる。お茶をカップに注いでくれるのかと思ったら、なんとそのまま下がっていってしまった。

大きな部屋に残されたのは、女王陛下と私、そして走り回るコーギー。さあ、どうしたものか。はたしてこのお茶を準備するのは誰の役目なのだろう。当然ながら私のほうが立場は下である。

でもここでは、いちおう女王陛下がホストで私がゲストということになるのだろう。ティーポットに手を出すべきか、出さざるべきか。「日本だと給仕の人がお茶の入ったカップをもってきてくれるのに!」などと逡巡していると、女王陛下がさっとお茶を入れてくださり、お菓子を勧めてくださった。

たいへん失礼ながら、お茶をお入れくださったそのお姿が、私の祖母と重なり、少しだけ緊張がほぐれた。

約1時間に及ぶ女王陛下と二人きりのアフタヌーン・ティー。何をお話ししたかはぼんやりとした記憶しかない。でも、女王陛下がほんとうにお話し上手で、緊張している私のためにいろいろな楽しいお話をしてくださったこと、そしてお孫さまのウィリアム王子やヘンリー王子のお話をなさるときは、ほんとうに柔和なおばあちゃまのお顔になられることがとても印象に残っている。

そうして、時間が来ると扉をノックされ、来たときと同じ車に乗ってバッキンガム宮殿をあとにした。

 

「女王陛下をお誘いした!?」といったあと、絶句した指導教授

このときの記憶はほんとうにあいまいなのだが、女王陛下にお話ししたことで一つだけはっきりと覚えていることがある。私が大英博物館の日本美術コレクションの研究をしているという話題から、英国王室の美術コレクションの歴史などの話題になった。

たまたまその日は、馬の絵で有名な18世紀の画家ジョージ・スタッブスの展覧会のオープニングの翌日だった。展覧会に女王陛下がご自身のコレクションを貸し出されたので、オープニングにお出かけになられたことをお話ししてくださった。

その話の流れで、大英博物館では私の指導教授のティムが担当した、上方歌舞伎の役者絵の展覧会のオープニングがあったことをお話しした。私は何の気なしに、(いま思うと大胆不敵以外の何ものでもないが)「大英博物館でもとてもよい日本美術の展覧会が始まったところなので、もしご興味がおありでしたらぜひお出かけください」と申しあげた。

すると女王陛下は「時間があったら行くことにしましょう」といってくださったのである。

翌日のこと。いつものように大英博物館でティムと話をしていた。「とてもよい展覧会のレビューが新聞に載ってね」と、珍しくとても嬉しそうにしていた。私も嬉しくなって、「そういえば昨日、女王陛下にお目にかかって、役者絵の展覧会がとてもよいので、とお勧めしてきました」と伝えた。

すると嬉しそうだったティムの表情が固まり、しばしの沈黙。そして、急に目が飛び出るくらい大きく見開きながら、「なんだって! 女王陛下をお誘いした!?」といったあと、絶句した。ティムはその後しばらく「I can’t believe it.」「I can’t believe it.」と、ずーっとぶつぶつ呪文のように唱えていたのだった。

シャイで物静かなティム・クラークがあそこまで動揺した姿をみたのは、あとにも先にもこのとき一度だけである。日本人にとっての天皇陛下がそうであるように、英国人にとっての女王陛下とは大きな存在なのだとあらためて実感した思い出である。

 

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