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生き方

「親の言う通りに育った子ども」は人生の責任をとれずに苦しんでいる

岸見一郎(哲学者)

2024年05月27日 公開 2024年12月16日 更新

進学先や就職先を、親がいう通りに決めたことで、悩み苦しんでいる人がいる。親からの支配関係から脱却するにはどうしたらいいのか。哲学者の岸見一郎氏が語る。

※本稿は、岸見一郎著『つながらない覚悟』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。

 

不服従の勇気を持つ

大学生が過食症を主訴としてカウンセリングにやってきたことがある。ある日、その学生が前の年に10日間大学に行けなかったことを思い出すと、いやな気持ちになると話した。

大学生が10日間休むことがそれほど大きな問題なのかと思ったが、その理由をたずねると、彼女は学校に行きたくなかったが、親が学費を払っているのだから、子どもが学校を休むことは許されないと母親が学校に行くよう命じたのだという。

カウンセリングにくる若い人たちは、子どもの頃から親に口答えをしたことがないという人が多い。親に学校に行けといわれても、行かないといえるはずだが、その学生は親がいうことももっともだと思った。

そこで、家を出たけれども学校には行けず、学校と家との中間地点にある公園や喫茶店で過ごし、夕方何ごともなかったように家に帰った。そんな日が10日も続いた。でも、その時のことを思い出すといやな気持ちになる。そういってため息をついた。

学校に行かなければ講義を受けられず、そのため、試験でいい成績が取れず単位を落とすかもしれない。だから、学校に行かなくていいとは私は考えないが、学校に行くか行かないかは自分で決めることである。

学校に行くか行かないかも自分で決められないようであれば、就職を始めとしてこれからの人生をどう生きるかも自分で決められない。何もかも親に決められたら、自分の人生なのに親の人生を生きることになるがそれでいいのか。そんな話を私はその学生にした。

学生は、親に許可を求めなくても、自分で決めてもいいこと、決めなければならないことがあるのに気づいた。こんなことはもっと早い時期に知るべきであると思うが、まわりの大人の影響があまりに強すぎて、従うことに慣れてしまっていたため、自分で決めることなど思いもよらなかったのだろう。

こうして、親に依存し、親の言いなりになっていたことに気づいたその学生は、少しずつ自立していき、親の顔色をうかがわずに自分で決められるようになった。この自立するということが、依存支配関係から脱却するために必要である。

フロムはdisobedienceという言葉を使っているが、不服従の勇気を持たなければならない。不服従は必ずしも反抗を意味しない。親の言葉であってもそのまま受け入れる必要はない。子どもが従順であれば、波風は立たずよい親子関係に見えるが、いつも必ず親のいうことに従わなければならないわけではない。

ある親は大学の偏差値を調べ、子どもを自分が望む大学に行かせようとした。常は何もいわない高校生の娘は「私の人生だから私に決めさせてほしい」といった。親のいうがままに従うと思っていた親は娘の言葉を聞いてたじろいだ。

さらに、こうもいった。

「もしもお父さんが行ってほしい大学に入って、4年後にこんな大学に行かなければよかったと私が思ったら、その時、お父さんは私に一生恨まれることになりますが、それでもいいですか」

もしも子どもが親の勧める人生を生きたとしたら、子どもには親に従ったという責任があるので、本当はこんなふうにいって親に責任を転嫁できるわけではない。

しかし、親に従わず自分で決めると、自分の人生を生きることに伴う責任を取らなければならない。親のいう通りに生きる子どもは優しいのではない。自分の人生を生きることの責任を取りたくないのである。

 

過食症にならなくてもよかった

大学に行けなくなった学生の主訴は過食症だった。アドラーは神経症は心の中の病気というよりは、「相手役」がいる、つまり誰かに向けられたものであり、その相手役との関係の中で症状が必要だと考える。

症状はその意味で必要なので、症状だけを除去してしまうと、「神経症者は、驚くべき速やかさで症状をなくし、一瞬の躊躇もなしに、新しい症状を身につける」(『人生の意味の心理学』)とアドラーはいっている。

そこで、彼女を取り巻く対人関係に焦点を当てて話を聞いていたら、はたして母親の話が出てきた。過食症の目的は何だったのか。他のことであれば彼女はどんなことでも親のいうことを聞いていた。

実際、学校を休んではいけない、学校に行くようにといわれた時、学校には行かなかったが、親にいわれた通り家を出た。しかし、本当は親の言いなりにはなりたくなかった。そこで、親といえどもこの私の体重だけはコントロールさせまい、そう考えて、過食症になったのである。

しかし、子どもは学校を休むことを親に反対されたからといって、過食症になる必要はない。若い人の話を聞いていていつも気の毒に思うのは、親に反発するために、自分だけが不利益になったり(学校に行かなければ困るのは本人である)、自分の身体を痛めつけたりすることである。このような仕方で親に反発する子どもは、なお親に依存している。

親は子どもの様子を見て心配にならないはずはない。もうあなたの好きに生きなさいと親にいってほしいのかもしれないが、それなら自分がどう生きるかは自分で決めればいいだけであり、親の気持ちを揺さぶる必要はない。

彼女はどうすればよかったのだろうか。親にはっきりと「今日は学校に行かない」といえばよかったのである。もちろん、親は子どもに休んではいけないといい、子どもが自分のいうことを聞かないことに驚き怒るかもしれないが、それは親が自分で何とかするしかない。

 

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