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和田秀樹さんが明かす「ほとんどの人が認知症になる」事実 必要な老後の準備とは?

和田秀樹(精神科医)

2024年07月10日 公開 2024年12月16日 更新

人生の終わりを意識するにつれて、終活を考える人も多いでしょう。しかし、本当に大切なのは、今を思いきり楽しむことではないでしょうか。精神科医の和田秀樹さんは、書籍『本当の人生』(PHP研究所)で、自身の経験を交えながら、「今を楽しんで生きる」ことの大切さを説きます。

※本稿は、和田秀樹著『本当の人生』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

いつ死ぬかわからないから、終活より今を楽しむべき

歳をとると多くの人が気にする言葉に、「終活」というものがあります。人生の終わりのための活動の略ということで、人生の最期を迎える準備という意味で使われるようです。

確かに、自分が認知症になってしまったとき、子どもたちが成年後見制度の申請などをして、それを裁判所が受け入れてしまうと、自分のお金なのに、後見人に選ばれた子どもの判断でしかお金が使えないことになり、たとえばアイスクリームを買ってきてくれという自分のささやかな願いさえも、拒絶されることがあります。

そういう意味で、自分の頭がしっかりしているうちに、任意後見の制度を使って、信頼できる子どもなり、弁護士なりに、後見人を頼んでおくに越したことはないと私も思います。

そういう自分のための終活とか、晩年の準備まで否定する気はないのですが、子どもに迷惑をかけないためとか、どうなるかわからない死後のための終活はあまり賛成する気になりません。

エンディングノートなるものが流行っているようですが、自分の思いを伝えるという目的と、亡くなった後に家族が困らないようにという目的があるようです。

自分にどんな財産があるかを、いちいち子どもたちが苦労して調べなくていいようにとか、お墓や葬儀の希望とかを書いておくわけですが、財産については、子どもに残す必要があるとは思いませんし、運よくお金が残ったのなら、それがほしければ、調べるくらいの手間を取らせても悪いとは思えないのです。

お墓についても、これだけの少子化の中、3代先までお墓を見てもらえると考えるほうが甘い気がします。葬式を立派にやってほしいと思う気持ちはわからなくもないのですが、そのときは自分は死んでいるので、少なくとも自分の目で見ることはできません。

人間というのは、100%死ぬことだけは確かなのですが、いつ死ぬのかは誰もわかりません。たとえば余命半年とか、2年とか宣告されたとしても、それは、その病気でその状態の人が平均で半年とか2年生きられるという意味です。だからそれよりずっと短い命のこともあれば5年くらい生きることもあるのです。

実は、宣告した余命より早く死ぬとヤブ医者と思われるし、長く生きると名医だとか先生のおかげと思われるので、短めに言うことが多いという話も聞いたことがあります。

ましてや、今元気で生きている65歳の人が、あと何年生きられるかはまったく読めません。平均余命というのがあって現在65歳の人は男性で約20年、女性で約25年生きるというのが平均です。それは目安になりますが、これもかなりの個人差はあります。

もうそろそろお迎えかなと思って終活をしたところで拍子抜けするくらい長生きすることもあるし、予定よりずっと早く死ぬこともあります。

ただ、限りある命であることは確かなので、終活などに無駄な時間を使うより、今を思いきり楽しんだほうがいいというのが、長年、高齢者を見てきた私の出した結論なのです。

もう一つは、死を意識しながら生きていくことが、あまり得策と思えないのです。確かに、たとえば血圧が高いから酒をやめろとか、食べたいものをがまんしろと言われたときに、「どうせ死ぬんだから」と開き直って、酒をやめないとか、塩分を控えたりしないという生き方を私は否定しませんし、むしろ勧めたいくらいです。

でも、それは死を意識するというより、今を楽しむことが主題になっているはずです。終活のように、死んだときに子どもに迷惑をかけないようにとか、死が近いからいろいろなものを整理しておこうと、死を意識しながら生きることは、逆に今を楽しめなくするように思えてならないのです。

いつ死ぬかわからないから準備をするというのなら、後悔しないように、楽しみを後回しにしないで、先にやっておこうとか、今のうちに金を使っておこうというのが、高齢者にお勧めしたい死の準備ではないかと考えています。

 

思いきり人生を楽しむことを考える

認知症にしても、寝たきりにしても、心配したところでなるときはなるし、ならないときはならないというのが、私の実感です。

ただ、長生きするほど、その確率は高くなるのも事実です。実際、私が以前勤務していた老人専門の総合病院での、年間100例の解剖結果を見る限り、85歳を過ぎて脳にアルツハイマー型の変化のない人はいませんでした。

だから、自分では意識していなくとも、現役で活躍している学者や政治家や経営者の人でも、85歳を過ぎていれば、みんな軽い認知症だということです。要するに老化現象のようなもので、誰でもかかると覚悟を決めておいたほうがいいでしょう。

もちろん、重い認知症になると何もできなくなったり、いろいろな楽しみをあきらめないといけなくなるのですが、軽いうちはほとんどなんでもできます。そして重い認知症になるまでに5年から10年はかかります。

だったら、軽い認知症だとわかったら、重くなる前に思いきり人生を楽しむという選択もあっていいはずです。認知症も軽いうちなら、免許更新の際の認知機能テストも軽くクリアできるのですから、スポーツカーに乗るなら今のうちということです。そして、そうやって楽しみ、頭を使っていると認知症の進行がゆっくりになるのです。

認知症の診断を受けたら、悲観するより、どうやって残りの人生を楽しみ、どうやってアクティブに生きるかを考えるほうが賢明だというのが、老年精神医学を35年も続けてきた私からの提言です。

勝手に未来を想像するより、なったらなったときでどう楽しみ、どう生きるかを考えるほうが、おそらくは残りの人生は充実するはずです。

実は、私も血糖値が急に上がり、体重が1か月で5キロも減ったときに、がんを覚悟したことがあります。それも重症のすい臓がんだというのが私の予測でした。

その際に、治療を受けて身体をボロボロにするより、残りの人生をどう生きるかを考えました。
お金を借りまくって映画を撮ろうとか、せっかくコレクションしたワインをどんな風に飲もうとかそんなことばかりを計画していたら、暗い気分がかなり明るくなったのです。

自分で考えた未来の予想など、当たると思い込むのは僭越なのでしょうが、今を楽しむことなら考えられます。

そのときの経験から、がんになったら治療しないで楽しもうと開き直ることができましたし、その後もがん検診は受けないことに決めたというわけです。

この歳になれば、軽いうちであっても、治療で仮に少しぐらい余命を延ばすことはできても、QOLのほうは、むしろ下がってしまうとしか思えないからです。

確かにがんを知らぬが仏で生きるというやり方は、死期が読めなくなるデメリットはありますが、読めたとしても不正確なものですし、要らない形で死を意識することが気分のいいものとは思えないからです。

 

著者紹介

和田秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪市生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、立命館大学生命科学部特任教授、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック(アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化したクリニック)院長。著書に、『医学部にとにかく受かるための「要領」がわかる本』(PHP研究所)、『老いの品格』『頭がいい人、悪い人の健康法』(以上、PHP新書)、『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)、『感情的にならない本』『[新版]「がまん」するから老化する』(以上、PHP文庫)、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『80歳の壁』(幻冬舎新書)、『自分は自分 人は人』(知的生きかた文庫)など多数。

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