「美しい、純粋な心で願う企業経営のあり方、それは必ず成功する」
自分だけ、自分の家族だけではなく、みんなが幸せになってほしい。従業員が幸せになってほしい。会社がうまくいけば、そういう思いやりの心、美しい心を持って、地域社会にも還元して、コミュニティの人たちも幸せになってほしい。
世界には貧しい人たちがたくさんおられる。アフリカで飢餓にさらされている人たちもおられる。そのような人たちを少しでも助けてあげたい。だから私は安定した会社で財務的にも強い会社にしたいと思ってやってきたのです。
しかし一方で、そんなことはどうでもいい、他人を蹴っ飛ばそうと何だろうと自分だけ儲かればいいんだ。俺は贅沢をしたい。御殿みたいな家に住んで遊びたい。そのために、俺はお金が欲しいんだ。そういう悪しき心で願望を描く人もいるわけです。このいずれの願望でも、成功はします。しかし、美しい心で描いたものほど成功する確率は高くなります。
今から3000年ぐらい前、インドにはたいへん素晴らしい精神文化が花咲いていました。その中に、ヴェーダ哲学というのがあります。もちろん、仏教が生まれる前のものですが、このヴェーダ哲学の中に、サンスクリット語で記された言葉があります。
「偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりもその心の純粋さによる」
偉大な、立派な人が行動を起こして物事を成功させたとしますと、それはその人の心の純粋さがさせたのだ、といっているわけです。ここでいう「純粋な心」とは美しい心という意味ですが、同時にヴェーダ哲学ではもっと深い意味を持っています。
例えば仏教では坐禅、インドのヴェーダではヨガ・瞑想、そういうもので我々のこの雑念妄念でいっぱいになった意識を鎮めていきます。すると意識は精妙な静かなものになっていきます。あたかも波一つ立っていない静寂な澄んだ大海のような、そういう意識になっていくといいます。それを過ぎ、さらに雑念妄念が離れていくと、今度は透明な美しい意識になります。
さらに意識を深めていくと、仏教でいう「悟りの境地」、あるいは「三昧の境地」になるといわれています。その境地に達したことのある仏教の高僧、またはヴェーダのヨガ・瞑想をする人たちは、えもいわれぬ幸せな感覚に包まれ、身体がうち震え、止めどなく涙が流れ出すといっています。
この「三昧の境地」が、最も純粋な意識です。その意識こそ仏なのだといっています。仏教では「あなたにも、森羅万象あらゆるものに仏が宿っています」といいます。
肉体を持っている我々が考えることは雑念です。それをすべて払っていった先に、仏と同じような純粋な意識があるといっているわけです。それがヴェーダ哲学でいう「純粋さ」なのです。さらに、この意識のことをキリストは「愛」と表現しています。つまり、そういう美しい、純粋な心で願う企業経営のあり方、それは必ず成功するのです。