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稲盛和夫氏はなぜ、「高収益企業」をつくることができたのか

稲盛和夫(京セラ名誉会長)

2021年12月23日 公開 2024年12月16日 更新

今、コロナ禍もあり、激変する企業環境のなかで、経営者は、真価を問われている。中長期的な展望を視野に入れつつ、日々の経営を成り立たせていかなければならない。そうした責務に真摯に向き合う経営者なら、一日たりとも自社の「利益」のことを考えない日はないはずだ。

本稿では、そうした経営者が抱える共通の問題に対して、有益な示唆を与えるであろう、京セラ名誉会長・稲盛和夫氏の講話を紹介する。京セラという高収益企業を創り上げていくなかで、「利益ということをいつも考えていた」という稲盛氏。経営の最前線に身を置くなかで培われた信念を切々と語るこの珠玉の講話には、経営のリアルがある。

※本記事は、稲盛和夫[述]・稲盛ライブラリー[編]『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(PHP研究所)に収録された47の講話の中の一項(1985年9月12日・「京都盛友塾」塾長例会での講話の一部)を抜粋・編集したものです。【写真提供:稲盛ライブラリー】

 

一般管理費および販売費に対する発想の違い

当社の最近(1985年頃のこと)の経営状況が非常にいいというのでほめられたり、ときには「おまえのところは儲け過ぎだ」と言って非難されることもありますが、損益計算書を見ていただくと、売上原価率は普通の企業とそう変わらない比率です。

一般管理費および販売費については、一二、三パーセントで、これに一般の企業では二〇パーセントぐらいの経費をかけているのです。

メーカーの中には商社を総代理店に使って販売店を減らしているところもあるかもしれません。しかし当社の場合、ほとんど直接販売です。営業部員が直接売っていますので、本当はもっと販売経費がかかって然るべきものが、一二、三パーセントに収まっているのです。それだけでもう、七、八パーセントがそのまま税引前利益になるわけですから、その点一つでも他企業との差が出てきます。

当社は、ただ単に努力をしないで儲かっているわけではありません。他企業では一般管理費および販売費が通常二〇パーセントはかかるものだとお考えのところを、一二、三パーセントでやっているということが、そのまま利益の数字に現れているのにほかなりません。

このような発想はどこから出てきたのかというと、企業経営を行うにあたり、私には経営の経験もないし、経営学の勉強もしていないので、原理原則の根本に立ち戻って考えてみたということなのです。

 

現金主義での経営のなかで、常識にとらわれず、素直にものを見る目を養う

笑い話ですが、私は貸借対照表も分かりませんでした。貸借対照表を広げてみますと、右手に資本金があって、左手に現金預金と書いてあるので、「お金が両方にあるのだなあ」と思ったほどです。

しかし、研究・製造・販売という三つのファンクションだけは分かっていました。だから当時の私は、企業経営とは、研究し、技術開発したものを製造に移し、それを売ってお金をもらうことで、そこまでに費やしたお金との差額が利益であるということ、たったそれだけしか知りませんでした。

これは八百屋さんが笊籠(ざるかご)にゴム紐をくくり付けてぶら下げ、そこからお金を出したり入れたりする。そして夜、店じまいをしたあとで勘定してみて、今日の仕入れを引いた残りが儲けというのとまったく同じことです。

これに手形だとかいろいろ高度な会計が入ってくると理解できないので、現金会計学というか、現金主義でこれまで経営をしてきたわけです。そうしたなかで、常識にとらわれず、素直にものを見る目が養われたように思います。

普通、日本の大企業は利益率がだいたい横並びです。もちろん赤字のところもありますが、だいたい税引前五、六パーセントで、利益としては少ないです。なぜそうなっているかというと、「そういうものだ」という先入観があるのです。

それで、自分が経営をやっていくうえで六パーセントの利益が上がると、「ウチの会社は立派だ。大企業と同じぐらい利益が出ている」というので納得する。六パーセントより下がると努力をして上げようとするけれど、六パーセントより上に行こうとは思わないわけです。

 

利益の「幅」というのは、努力をした「勲章」である

「もっと儲けたい」と口ではおっしゃるのですが、内心は六パーセントあればいいと思っています。いいと思うということは、つまりそれ以上努力をしないということです。心の中にオートマティカルな歯止めがかかっているのです。非常に矛盾しているのですが、心で思っていることが優先しますから、必ずそこで歯止めがかかるわけです。

私の場合、利益ということをいつも考えていました。それには、皆で頑張って、まず物をつくらなければいけません。その際、つくる費用はできるかぎり小さくしようとする。できるかぎりなのですよ。そして、なるべくたくさん売れるようにする。つまり経費を最小に、売上を最大に持っていく。

そのためのよい方法はないかと考え、努力をして出た結果が、売上と製造コストの差額であり、利益なのです。ですから利益とは、我々の努力の成果だと思っています。

当社が税引前利益率二五、六パーセントで、売上三千億円近い商いをしていても、それは二五、六パーセントをねらっているわけではなく、結果がたまたまそうなっているのです。

独占事業なら、自分で値段をつけられます。しかし我々の場合は、非常に厳しい競争のなかで物をつくっていますから、得意先の要求を受けて必然的に製品の値段が下がってしまうことになります。決まったその売値で、どう努力して製品をつくり、利益を確保するかが勝負なのです。まさに利益の幅というのは、努力をした「勲章」です。

 

物事を原理原則から見ることが、高収益企業をつくることにつながった

経営というものは、多くの物を売り、経費をなるべくかけないようにする、その一点でのお互いの知恵の出し合いです。その意味で、利益というものはどうにでもなります。

売上を極大に、経費を極小に持っていくことで、おのずからその差額として利益が出てくるのです。そう考えていけば、企業経営というのは、もっともっと伸びる可能性があるはずです。

私は経営の経験もなければ、経営学の勉強もしていなかったので、利益率が何パーセントあればいいかということを知らなかっただけなのです。

もし、私がどこかの会社に入って、相当偉くなってから独立して京セラの経営をやっていたらどうなったか。前にいたところが利益率一〇パーセントの会社であれば、「ウチはあそこよりもいい」と満足して、その程度の会社になっていたかもしれません。

たまたま知らなかったものですから、一生懸命に売上を上げ、そして経費はできるかぎり使うまいとした、その結果が利益として数字で出てくることに気がついたわけです。

つまり無知であったことがプラスに転じて、物事を根本から、つまり原理原則から見ることになった。それが高収益企業をつくることになったのです。

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