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生き方

王貞治「七転び八起き。チャレンジが道をひらく」

王貞治(プロ野球福岡ソフトバンクホークス会長)

2012年10月02日 公開 2024年12月16日 更新

「日本の野球界にも、情報化や国際化の波は押し寄せるだろう。けれども、野球の基本と魅力は変わらない。スポーツの楽しさを伝える野球の輪を、世界の子どもたちに大きく広げていきたい。」

王貞治ソフトバンクホークス会長は、このように語った。

※本稿は、『チャレンジが道をひらく 野球この素晴らしきもの』より、内容を抜粋・編集したものです。

 

人生、七転び八起きのプラス思考で

――王さんは1977年に、世界新記録となる 756号ホームランを打って、国民栄誉賞第1号に輝いています。その後、868本まで記録を伸ばされました。

そのほかにも、13年連続ホームラン王や2度の三冠王など、栄光の記録は数えきれないほどです。その王さんが、自分の野球人生は「逆境」に育てられたと、そう語られる理由は?

【王】逆境というか、挫折というか。決して最初から順調だったわけじゃない。

僕の野球人生は、早実の高校時代に甲子園で活躍できてプロの世界に入ったことから始まったわけですが、まずジャイアンツの選手として最初の3年間は、「三振王」なんて呼ばれたりして、かなり低迷していた。

それから現役を退いて、ジャイアンツでの監督としては3年間優勝できず、ホークスの監督に招かれてからも、4年間は下位から3位どまりだったわけです。

ただ、外から見れば不振のその時期に、僕は自分なりの信念を持って、いろいろと試行錯誤したり模索したりしながら、目標をめざして懸命に努力してきた。無論、恵まれた環境や、荒川さんとの出会いという幸運もありましたけど。

ですから、僕は、「七転び八起き」という言葉が好きなんです。前へ進むためには、転ぶことも必要だと。それは転んだ時に、人生で何かにつまずいたような時に、そう考えるといいんです。

つまり苦しい時には、その先に良いことが待っていると。そういうふうに、すべてプラス思考で考えることが大事ですね。

僕の場合、最初からうまくいかなかった人生だからこそ、良い結果が生まれたと思っています。もし、ずっと順調にきていたら、僕もきっと、あれだけの記録や実績を残すことはできなかったでしょうね。

 

野球界にも情報化と国際化の波

――日本のプロ野球界は、パ・リーグの盛り上がりはありますが、一方でファン離れやテレビ放送の視聴率低下などが、一部で言われたりしていますね。

また、日本の代表的な選手が競うように次々と、野手も投手もメジャーリーグへ行くという現象も見られます。ダルビッシュ有投手が、日本では打者との一騎打ちの真剣勝負ができなくなったことが、メジャーへ行く理由だと話していましたが、王さんはこういう球界の現状と今後について、どうお考えになりますか?

 【王】確かに、野球そのものが僕らの時代と変わってきた部分はありますね。

個人的に僕がいちばん楽しかったのは草野球。もうそこへは戻れないけど、子どもの頃に、夢中になって遊んだ風景が脳裏にありますね。ただ、現在のリトルリーグも、全国的に組織化されたりと、いい意味でも昔と変わってきています。

現在は、野球に限りませんが、やはり情報化時代の影響は避けられません。

また、投手と打者の真剣勝負といった、個人的な対決から、どちらかといえばチーム対チームの対決、つまりチームプレー主体の野球になってきているのは事実でしょう。

そうした時代の流れは、自分たちでは変えられないかもしれない。しかし、技術的なことは変わるかもしれないけれど、野球の基本というか本質的なこと、野球の魅力というものは、そんなに変わっていないし、変わらないような気がします。例えば、ピッチャーとバッターとの距離が変わらない限りね。

日本人選手がメジャーへ行くのは、これもある意味、時代の流れといえるでしょうね。野茂(英雄)投手にはじまってイチロー選手など、メジャーに伍してというより、トップクラスの大活躍をしている。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が世界一になったのも、明らかに日本の野球、日本選手のレベルが高くなったからで、日米の交流がレベルを上げている面もありますよね。

僕らの時代には、想像できなかったことですけどね。僕は、メジャー志望の選手には向こうで活躍し、向こうの野球のいろんなものを吸収して帰ってきてほしい。そうして得た知識やすぐれた技術を、また日本の野球に伝え、普及させてほしいと思っています。

 

世界に野球の輪を広げたい

――2006年、第1回WBC大会で、王さんは監督として日本代表チームを見事に初代世界王者に導きました。そして2008年、体力の限界から、福岡ソフトバンクホークスの監督を、多数のファンや選手たちから惜しまれながら勇退され、現職に就任されています。

現在、王さんは野球の魅力を多くの子どもたちに伝え、その輪を世界中に広げたいという活動を、ハンク・アーロンさんらとともに、立ち上げていらっしゃいますね。

一方では若い頃から、養護学校訪問などの社会活動にも関心を持たれています。野球に懸けるこれからの王さんの思いをお聞きしたいのですが。

【王】野球を通じて、子どもたちに夢と希望を届けたいですね。その思いが、今はやはりいちばん強いです。

それと、野球の魅力というのは単純にいえば、野球をする本人、野球をやったことのない人たちが試合に自分の人生や感情を重ねながら球場やテレビで見て応援してくれる多くの人たちを、楽しませるところにあるんですね。

そういう楽しさや喜びを、僕はできるだけたくさんの人たちに味わってもらいたい。世界中の子どもたち、そして大人たちにも、その輪を大きく広げたいんです。

現在、世界数十カ国の子どもたちに、野球を通じてスポーツの素晴らしさを伝える活動を行っていますが、世界にはまだまだ、野球が行き渡っていない地域があります。

この輪がもっと広がれば、やがて野球がオリンピックの競技種目に復活する日が訪れるでしょう。そうなれば、野球人口はもっと増えるはずです。

これからも、夢はより大きく、僕がやるべきこともどんどん多くなってきています。

ささやかな僕のこうした活動は、今日までの人生を豊かなものにしていただいた人たちと、野球そのものへの、僕からのお礼だと思っています。

 

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