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伝説のマフィア杜月笙の自邸へ 筆者が心を打たれた上海流の“おもてなし”

関根虎洸(フリーカメラマン)

2025年10月27日 公開


ザ・マンションホテル(首席公館酒店)のフロントロビー。(写真・関根虎洸)

中国経済の中心にして世界的巨大都市・上海。現在では超高層建築が林立する未来都市のような風景が広がるが、戦前はイギリス、フランス、アメリカ、日本などの租界(居留地)が設けられ、アヘンの密売で財をなしたマフィアたちが暗躍する魔都だった。そんな上海には今も伝説的なギャングスターたちゆかりの建物が遺されている。

※本稿は、関根虎洸著『迷宮ホテル』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

中国流ホスピタリティ


杜月笙の自邸として建てられた東湖賓館。(写真・関根虎洸)

上海マフィアの大親分、杜月笙(とげつしょう)の倉庫だったホテルをチェックアウトして向かったのは、旧フランス租界にあるトンフーホテル(東湖賓館)。1934年に建てられたトンフーホテルは、かつて杜月笙の自邸として建てられた。現在はオールド上海の雰囲気を留める老舗ホテルとして営業している。

フロントでチェックインを済ませ、部屋で荷を下ろした私は窓際のソファに腰を掛けた。そしてテーブルの上に置かれた中国茶を淹れようと急須を手にして驚いた。急須が温かい...。蓋を開けると、ジャスミンの香りが漂い、わずかに湯気が立っている。

「フロントでチェックインの手続きをしている間に知らせを受けたスタッフが、頃合いを図って用意したのだろう」そう思い当たるまでに数分の時間が必要だった。私はちょうど良い温度のお茶を飲みながら、田中角栄元首相が日中国交正常化実現に向けて訪中した時のエピソードを思い出していた。

「室温は暑がりの田中首相が好む17℃に調整されていた。部屋の隅には大好物の台湾バナナ、富有柿、木村屋のアンパンがさりげなく置かれている。朝食のみそ汁は、新潟県・柏崎市にある老舗の三年味噌が使われていた。田中首相は一口すすると『何だ、これはおれんちのみそ汁だ』と声をあげて驚いたという」(『日・中・台視えざる絆︱中国首脳通訳のみた外交秘録』本田善彦著、日本経済新聞社)。

国賓に対するそれとは違うにせよ、急須のお茶が温かかったことは、私が初めて体験するホスピタリティだった。

 

中国最大のアヘン販売会社がホテルに


阿片の吸引機も陳列されていた。(写真・関根虎洸)

魔都と呼ばれた1920—30年代の上海は、華やかなダンスホールからジャズが聞こえる刺激的な国際都市だった。そして暗黒街は青幇のギャングたちが支配していた。青幇の3大ボスとして知られた杜月笙、黄金栄、張嘯林によって、アヘン販買会社「三鑫公司」が設立されたのは1925年である。やがて三鑫公司は中国全土のアヘン市場を独占して莫大な利益を生んだ。現在、かつて三鑫公司だった建物は「ザ・マンションホテル(首席公館酒店)」として営業している。

私はトンフーホテルから徒歩5分の距離にあるザ・マンションホテルを訪ねた。租界時代にフランス人建築家によって建てられたアールデコ調の建物へ入ると、背筋の伸びた初老の紳士に日本語で話しかけられた。

「いらっしゃいませ、どのようなご用件ですか」
「私は上海マフィアに関連した建物を巡っています」

紳士はホテルのマネージャーだという。私の言葉に少し驚いた表情をしたが、三鑫公司の資料が展示されている館内を案内してくれた。杜月笙の自邸として建てられた現在のトンフーホテルが竣工したのは1934年。しかし1937年に日中戦争が勃発したことで、新居への引っ越しを間近に控えていた杜月笙は、急遽、香港へ避難する。そのためトンフーホテルは杜月笙にとって、一度も住むことのなかった幻の大豪邸となった。

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