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アヘンでのし上がった男、杜月笙 京劇の名女優・孟小冬と暮らした邸宅「慧公館」

関根虎洸(フリーカメラマン)

2025年10月30日 公開


杜月笙の第5夫人・孟小冬の別邸だった上海料理の慧公館。(写真・関根虎洸)

中国経済の中心にして世界的巨大都市・上海。現在では超高層建築が林立する未来都市のような風景が広がるが、戦前はイギリス、フランス、アメリカ、日本などの租界(居留地)が設けられ、アヘンの密売で財をなしたマフィアたちが暗躍する魔都だった。そんな上海には今も伝説的なギャングスターたちゆかりの建物が遺されている。

※本稿は、関根虎洸著『迷宮ホテル』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

アヘンでのし上がった男の晴れ舞台


チャイナドレスを着たスタッフ女性を撮らせてもらった。慧公館(メゾン・ド・イフイ)。(写真・関根虎洸)

フロントロビーの奥に、一枚のモノクロ写真が飾ってある。見過ごしてしまいそうな場所に飾られた横長の集合写真は、杜月笙が1931年に故郷の上海市浦東新区高橋鎮に建てた杜家祠堂の落成式で撮った一枚である。壁に飾られた写真は、かつてトンフーホテルが杜月笙の自邸だったことをさり気なく示していた。

落成式には8万人の観衆が集まり、政財界のみならず各国の外交団代表まで訪れた。人々から教父(ゴッドファーザー)と呼ばれるようになった杜月笙にとって杜家祠堂の落成式は故郷に錦を飾る人生最大の晴れ舞台だったのだ。

私が最後に向かったのは、旧フランス租界にあるレストラン。トンフーホテルから徒歩15分の場所にある慧メゾン・ド・イフイ公館もまた、杜月笙と深い関わりのある建物だった。1923年に建てられたイギリス式の建物は、杜月笙の第5夫人となった孟小冬が暮らす別邸だった。

孟小冬は京劇の大女優であり、かつて京劇の名優として知られた梅蘭芳と壮絶な大恋愛をしたことは国民にとって周知の事実だった(2008年の映画「花の生涯~梅蘭芳~」には孟小冬との関係が描かれている)。

また杜月笙の第4夫人だった姚玉蘭は孟小冬にとって京劇の姉弟子という関係だった。巨鹿路に面した公園の一角に建つ慧公館には、いまも杜月笙や孟小冬のモノクロ写真が数多く飾ってある。複雑に絡み合った関係を整理しながら、私は杜月笙の人生に想いを巡らせた。

 

伝説のマフィアの最期


杜月笙と孟小冬(撮影者、年代とも不明だが結婚前に撮影した写真だろう)。

隆盛を誇った杜月笙にも、やがて終焉の足音が近づいていた。1937年に日中戦争が勃発すると杜月笙は香港へ逃れる。この時に同行したのは姚玉蘭と孟小冬だった。そして1945年に終戦を迎え、上海へ戻った杜月笙は時代の変化を実感する。戦後は国民党と共産党の内戦が激化し、共産党によって1949年に中華人民共和国が建国されたのだ。

魔都と呼ばれた上海が中華民国を経て中華人民共和国へと変化していく激動の時代だった。1951年、杜月笙は64歳の誕生日に香港で息を引き取る。最後まで世話をしたのは孟小冬だった。2人が籍を入れたのは杜月笙が亡くなる数カ月前。死期を悟った杜月笙が残りの財産をすべて孟小冬に渡すためでもあった。

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