村田沙耶香さん
12月17日、第7回野間文芸賞の受賞式が行われました。今回選ばれたのは、村田沙耶香さんの長編小説『世界99』です。本稿では、選考委員を務めた奥泉光さんによる選評と、受賞の場で語られた村田沙耶香さんのスピーチを紹介します。
奥泉光さん「不吉な予感を与える、きわめて優れた批評性」
奥泉光さん
選考委員の奥泉光さんは、『世界99』について、まずその「面白さ」を認めたうえで、作品の核にある批評性の高さを指摘しました。
「この小説は大変面白い作品ですが、どこが面白いのかといえば、やはり一番目立つのは、小説の持つ批評性です。この作品では分断された世界がテーマになっています」
分断された世界を行き来する一人の女性を描くことで、私たちが想像する以上に、世界の亀裂が深く、また目に見えない分断が次々と増殖していく感覚が提示されると語ります。
「それは、99という数字を超えて、分断が際限なく広がっていくような、一種の不吉な予感を与えてくれる。その点で、この小説はきわめて優れた批評性を持っています」
同時に奥泉さんは、主人公が決して高い思想を持つ人物ではない点にも注目し、カント哲学との対比を示しながら、作品の批評性について語りました。
「主人公は、ただ楽に生きたい、なるべく苦痛なく生きたいと考えているだけの人物です。しかし、もしこの小説に一つだけ思想があるとすれば、それは『他人は道具である』という身も蓋もない考え方です。この身も蓋もない、というのは村田さんの小説の大きな特徴です。
カントは、人間を手段ではなく目的として扱うべきだと説きました。しかし『世界99』には、そうした人格主義がほとんど存在しない。人格性を信じること自体が、儚い夢なのではないかと感じさせる。私はそこに、恐ろしさとともに深い批評性を感じました」
一方で、選考の過程ではためらいもあったと率直に明かします。
「日本文学は、言葉の世界を豊かにする気韻を重んじてきました。私たちは気韻のあるものを良い作品だと思ってきましたし、今も思っています。ところが『世界99』には、その気韻がほとんどない。見事なほどに気韻を欠いている作品です。あっけらかんとして、身も蓋もなく、気韻のない人格なき世界が淡々と描かれていく恐ろしい作品です」
それでも最終的に受賞作に推した理由について、奥泉さんは次のように語りました。
「しかし、本当にこの作品でいいのだろうかと思った瞬間に、私はすでにこの小説の毒に冒されていました。この毒を体内に取り込んでしまった以上、これから長い時間をかけて付き合っていくしかない。そう思わせる力が、この小説にはあります。一種の諦念と寂しさの中で、この作品を受賞作に推すことを決めました。恐れながらも、同時に強い期待を抱いています」
村田沙耶香さん「小説を裏切らず、人類を裏切れる存在でいたい」
受賞の挨拶に立った村田沙耶香さんは、緊張した面持ちで選考委員への感謝を述べ、スピーチを行いました。
「『世界99』は、私にとって初めての連載小説でした。書いても書いても、小説の中から恐ろしいものが蘇ってきて、どこへ進んでいくのか分からないまま、小説の中に出現したものを筆で追い続けるという、すごく原始的な感覚のままずっと書いていた小説です」
書き終えた後も、自身の中に強い違和感が残っていたと語ります。
「何かが欠落しているのではないかと、自分でも思っていました。それでも、その課題を越えて次を書きたいと思い、書き終えた翌日には次の小説を書き始めました」
近年は、作家としてだけでなく、一人の人間としての苦しさが大きかったとも打ち明けました。
「人間の自分と小説家の自分。あえて分離させて書くというのが私の書き方なのですが、ここ数年は世界の情勢があまりにも苦しく、人間としての自分が、これまでになくもがき苦しむ状態が続いていました。
そんな自分をきちんと切り裂き、冷静に小説へと落とし込むには、まだまだ未熟だと感じています。もっと筆を研ぎ澄まし、小説家として実験室に立ち、世界の有様や、人間としてもがいている自分自身を、冷酷に切り裂く冷静さを、取り戻さなければならないと思っていました」
芥川賞受賞時に抱いた思いにも触れ、自らを戒め続けてきたと語ります。
「芥川賞をいただいたときも、自分の未熟さを強く感じていました。喜びに回収されない作家でいることを、きちんと守れるように、自分を励ましておこうと思いました。生意気で傲慢だと思いつつ、"小説を裏切らず、人類をちゃんと裏切れる存在でいたい"と言いました。それは小説を書く上では、もしかしたら当たり前のことかもしれず、お怒りを感じた方もいるかと思います。でも、そうやって自分を奮い立たせていないと、自分は小説のための道具ではなく、人類のための道具になってしまうと何となく感じていました」
受賞の知らせは、スイス・チューリヒの空港で受け取ったといいます。
「文学として何か欠落している小説を書いているという自覚があるので、とても驚きましたが、文学史に連なる、たくさんの怨霊や化け物のような存在から、言葉を手渡されたような感覚がありました。だから、ものすごく嬉しかったです。そして、帰りの飛行機の中で熱心に小説を書きました。今までになく筆が進む飛行機の中でした。この日から、毎日小説を書いています」
最後に、村田さんはこう締めくくりました。
「今日もお酒を飲み過ぎないようにして、明日も書こうと思います。今日受け取ったものを大事にして、そして小説を裏切らず、いくら恐ろしいものが出てきても書いていく。そして言葉の力も獲得していく。そういう存在になりたいと改めて思うことができました。本当にありがとうございます」