人を遠ざけてしまうのは、重ねてきた年齢そのものではなく、「もう学ぶものはない」と変化を止めてしまう心かもしれません。若い世代が持つしなやかな感性やアイデアから、素直に刺激を受けるしなやかさ。経験という豊かな糧を持ちながら、世代を超えて心地よい関係を育むための「学びの姿勢」について考えます。
※本稿は、原田祐紀著『自分らしく生きるための 心を整える習慣 ざわつきをしずめるやさしい仏教の教え』(KADOKAWA)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「老害」とは年齢ではなく姿勢の問題
「老害」と聞くと、考え方の違う年配の人を思い浮かべる人もいるでしょう。
老害とは、変化を拒み、自身の過去の成功体験だけを「唯一の正解」としてしまう姿勢のこと。
大切なのは、自分の経験だけを絶対視せず、ほかの人の声に耳を傾けることです。
「老害」と聞くと、多くの人は、自分の考えを押しつけたり、周囲の声を聞こうとしなかったりする年配の人を思い浮かべるかもしれません。
年齢を重ねるなかで得た経験は、自分を支える大切な軸になります。
ただし、その経験だけを「唯一の正解」だと思い込むと、ほかの考えを受け入れにくくなることがあります。
一方で、歳を重ねても学ぶ姿勢を失わず、周囲の声に耳を傾けられる人は、これまでの経験を生かしながら、関わる人たちを支えることもできます。
老害かどうかを分けるのは、年齢ではありません。
問題なのは、学びをやめてしまい、自分だけが正しいと思い込み、相手の考えを受け入れなくなることです。
それは年齢にかかわらず、誰にでも起こりえます。
これは、誰かを裁くための話ではありません。
私たちはどうか。それを問い直す話なのです。
世代の違いは学びの入口
異なる世代との出会いや交流は、学びの機会になります。
異なる価値観を、「自分にはない視点」として受け取れば、自分の世界は広がります。
「今の若い人たちはすごい。面白い」と受け止めてみませんか?
そこから、世代を超えた学びとつながりが生まれます。
人は、自分が育ってきた環境や経験を、当たり前、あるいは普通だと思いやすいものです。しかし世代が変われば、育った環境も考え方も変わるものです。
それゆえに世代の違う相手に違和感を覚え、それを「最近の若い人は」といった批判に変えてしまうこともあります。
私が運営するオンライン写真教室には、若い方もたくさん参加してくれています。私は彼らの瞬発力や行動力、斬新なアイデアに、毎回驚かされます。
若い人たちは、私たち年長世代にはないもの、あるいは忘れていたものを持っています。
それを「軽い」「雑だ」「わかっていない」と決めつけてしまえば、自分の学びの機会を失ってしまいます。
一方で、「新しい視点だな」と受け取れば、自分の視野は広がります。
違いを受け入れれば、それは自分を広げる機会になります。世代の壁をつくるのか、可能性を広げるのか。それを選ぶのは、私たち年長者自身です。