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「戦後民主主義」は神話だった?戦後80年を経ても世界から戦争がなくならない理由

山折哲雄(宗教学者、評論家)

2026年10月28日 公開

戦後80年を経た今でも、世界では戦争や紛争が絶えません。
近代化と民主化が進めば民族や宗教の対立は解消されるという戦後の楽観的な見通しも、現実によって揺さぶられています。
人権と自由を守るために戦ってきた西洋の歴史と、戦争放棄を掲げる日本国憲法。その間には、どのような矛盾が横たわっているのでしょうか。

宗教学者で評論家の山折哲雄氏が、人権宣言の歴史や米同時多発テロ、現代の国際紛争を手がかりに、「戦後民主主義」という神話を問い直し、日本人が平和と人命にどう向き合うべきかを考察します。

※本稿は、山折哲雄著『死の覚悟 日本人らしさとは何か』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「人権」を守るために戦う

久しぶりに飛行機に乗って海を渡る。わが家にもどり、机の前に座った。片隅に置かれた本箱に手を伸ばし、長いあいだほこりをかぶったままの一冊『人権宣言集』(岩波文庫)を手にとった。長旅で気がせいていたためだったのだろう。
編者は高木八尺、末延三次、宮沢俊義――そうそうたるメンバーだ。日本国憲法を守護する神のごとき権威といっていい。

ほこりをかぶったページをゆっくりめくる。目次に目を通す、全体をフカンする、全体の文章のリズムをつかむ。
予想し予感した通りの言葉が返ってきた。この『人権宣言集』は、
「人間の自由と権利を保障するための法律である」
という「宣言」だったからである。

それにつづけていう。まず、第一に「その始祖とすべきものがイギリスの『マグナ・カルタ』である」
と出てくるのだ。先にふれた、ロンドンの大英図書館に大切に保管され祀られていた「宝物」である。その「宣言」の本体がどんな形で出てくるか。
それは、イギリスの「名誉革命」を始祖とし、フランスの「ジロンド革命」、ロシアの「レーニン革命」、アメリカの「独立宣言」をつらねて形成され、今日ではその精神は全世界各国の成文憲法に含まれるようになった...。

通観してまっ先に気づくのは、これらの人権宣言が、ほとんど「平和宣言」になってはいない、ということだった。「人権」と「自由」のために戦いとった「人権宣言」だったからだ。そこには極論すれば、流血を是とする「戦闘宣言」の気配すらが立ちこめている。

あらためて、今日のイスラエル戦争、ウクライナ戦争の過酷な戦場が浮かぶ。情け容赦のない、戦いへの強烈な意志である。

一神教の最終段階、超絶一神教の末路、といってもいい。「王殺し」を不可避とする革命伝説の再来、というほかはないのかもしれない。
私はこの事実を前にして、膝を屈し、頭を垂れる。われわれの頭上には、わが国憲法の第九条――「戦争放棄」の旗が掲げられているからである。

しかし「世界人権宣言」はそれとは明確な一線を画して権威の座をいぜんとして高めつづけている。
ここでふたたび「分断」と「切断」の問題が浮上してくる。「平和」と「戦争」をめぐる二重、三重のジレンマ、トリレンマである。

私たちははたして、この「分断」「切断」の亀裂に耐えていくことができるのか。あのタフな「ビートルズ・ロック」のリズムに乗っていくことができるのか。それとも8月という特別な季節を迎えると、どこからともなく聞こえてくる、ノスタルジックな「反戦フォーク」の歌に身を寄せていくのだろうか。「戦争を知らない僕ら」のそばに...。

 

「神話と幻想」

今日の「世界の現状」をみればわかるが、「戦後民主主義」は神話であった、というほかはない。
第二次世界大戦からの80年をふり返ると、まっ先にあらわれるメッセージが、おそらく「戦後民主主義」ではないか。

しかし今日、その戦後民主主義の理想とはまったく異なった世界が広がる。各地域各国で紛争があいつぎ、アメリカによる「関税戦争」にふり回されている。結局われわれは「神話」のなかで生きてきただけだったのではないか。

背景には、戦後この国を覆ってきた、ねじれにねじれたバイアスがあった。欧米モデルの先進国に近づき、近代化と民主化が進めば、民族の紛争や宗教的な葛藤は解決されるという「近代バイアス」と呼ぶしかないものだ。
それが「政教分離」というきわめて微妙に理解された「常識」になっていた。

まず解決すべきは貧困や差別であり、宗教にはふれないことが得策でもあり重要である――。しかしそれは、たんなる知的な錯覚と怠慢にすぎなかった。
私がこのような戦後の見取図を根本的に見直したきっかけは、2001年9月11日の米国同時多発テロだ。

1990年代には、米政治学者サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」を発表し、「西欧対イスラーム」を中心に民族と宗教を主軸にした戦いがはじまると唱えていた。
この意見はかなりの反響を呼んだが、批判も多かった。ソ連が崩壊した直後の時代だった。

同じく米政治学者のフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」と呼んだように、世界観をめぐる戦いは終わったと国際社会が幻想していたからだった。

9.11は、現実が文明の衝突論の通りに動いていることをあますことなく暴露していた。けれども日本の政治家や政治学者たちの多くはその重要性を無視した。

政治と宗教のかかわりが議論されるのは、もっぱらオウム真理教や統一教会の問題くらいで、いま日本で世界でどれだけ政治と宗教の問題が深刻化しているか、ほとんど認識されていなかったといっていいだろう。

いまわれわれの身近でも、トランプ大統領のさまざまな政策が非難の的になっている。それに共感しないわけではないが、世界中の戦争を止めるために先頭に立って動いているのも、またトランプ氏ではないか。彼の動き方をみていると、文明の衝突を前提に宗教と政治の動きを直視している、と私は感じる。おそらく今後5年から10年にかけてイスラーム教徒の人間が大幅に増え、紛争もまた増大していくであろうことを見据えている。

それに対して日本はこの間いったい何をしていたのか。どんなことを日本人一般は考えていたのだろうか。

むろんトランプ氏とのあいだで「関税戦争」を戦っていただろう。そして他方では、北朝鮮との「拉致問題」では何もできないでいたではないか。ウクライナでもガザでも捕虜を交換するために当事国がどれだけ努力し、犠牲を払っているか。

この国は人の命よりも経済を重んじているのではないか。
この国は、戦後80年抱きつづけてきた、民主主義の「神話」からいつになったら解き放たれるのだろうか。

著者紹介

山折哲雄( やまおり・てつお)

宗教学者、評論家

1931年、米国サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市出身。東北大学インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『悲しみの精神史』『宗教の力』(いずれもPHP研究所)など多数。

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