故・金子哲雄氏から妻が引き継いだ「死後のプロデュース」
2013年07月17日 公開 2024年12月16日 更新
死ぬことと、生きることは、同じ
本書では、金子と到達したこの死生観をベースに、お伝えしていきます。
死とは何なのでしょうか。金子の死を通して私が実感したのは、人生において、死は、大きな流れのなかのひとつの通過点に過ぎないということです。その“点” に至った時、その人の人生の何もかもが終わってしまうのではなく、その流れはやはり続いていくのです。
エンディングノートと聞いて、私が違和感をもつのはこのことが理由でした。死のその時まで、金子は一瞬たりとも「終わり」に向けての活動をしていないからです。
自分がこの世にいないことを前提とした、自分の死後の準備も行っていたのです。言うなれば、死後をプロデュースしていました。
金子が準備し私に指示を残していったことや、金子が私に「宿題」を託したことはどういう意味なのか。金子の行った自らの死後のプロデュースを、私はどう受け止めたらいいのか。
金子とのやりとりを思い返し、私はまず、このことから考え始めることになりました。そうして、出てきた言葉が「引き継ぎ」です。
金子から「引き継ぎ」されたことがたくさんある、と自覚した時、さまざまなことが見えてきました。亡くなっても金子が側にいるという感覚、金子の死後、私がどのように変わり、前に進むことができるようになったのかという理由、大きく変わった生き方そのもの……。
引き継ぎによって得られた多くのことに気づき、それらを自覚した時、私はまず、このことを伝えなければならないのだと理解しました。
死後のプロデュース
夫を亡くして1年も経たないうちに、こうも冷静に文章が書けるのかと思われる方もいるかもしれません。しかし、これこそが、夫が行った死後のプロデュースであり、夫から引き継ぎされていることなのです。私が書いているというより、書かされているといったほうが近いのかもしれません。
自分が生きてきた証を残そうというのではなく、自分の死後を始末しようというのでもない、「引き継ぎ」とは一体どういうものであるのか。なぜ金子があそこまで準備をすることができたのかという理由とともに、本書ではお伝えしていきたいと思います。
夫の死を通じて、死ぬことは、死という“点”を境に、この世サイドからあの世サイドに移るだけという感覚が、私に深く刻み込まれました。だからこそ、金子は変わらず私の横にいて、前へ前へと進み続けていることを実感できるのです。
死とは何なのか。死者とはどういう関係を結べるのか。そうしたこともお伝えできればと思います。
いよいよ、金子のプロデュースによる引き継ぎが本格的にスタートしました。まずは本書をきっかけに、死について正面から考え、ご自身の死後のことについても思いを馳せていただけたら幸いです。