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「上の世代」におもねるな

冨山和彦(経営共創基盤CEO)

2011年03月14日 公開 2022年08月17日 更新

 新国立劇場で上演された日韓共作の演劇、『焼肉ドラゴン』を観た。2008年に初演され、日韓両国でたいへんな評判となった作品の再上演だが、私はその初演を観る機会を得、今回も劇場に足を運んだ。物語は、1970年前後の万博当時の大阪を舞台に、在日コリアンの一家を中心に展開する。登場する人びとはみな、何がしかの深い「ワケ」を背負い、思うようにならない人生、挫折が日常の人生を、ドタバタと、哀しくも明るく生きている。朝鮮半島と日本の重い歴史や戦争の傷跡、差別や貧困の現実、その一方で高度成長の進展とそれを象徴する大阪万博という光と影が交錯するなか、話は進んでいく。

 重いテーマ設定、物語は悲劇とも呼ぶべき内容なのに、私たちは普遍的な家族の物語を前に温かな笑いと涙に包まれ、最後は心の奥底から湧きあがるような未来への勇気を与えられる。日韓の俳優さんたちの素晴らしい演技、とくに終盤の父母役の二人の演技には、魂がのみ込まれ、そして洗われるような感動を禁じえない。高校の先輩に野田秀樹さんという天才がいたこともあり、わりと演劇を観るのが好きだが、『焼肉ドラゴン』は私にとって最高の作品の一つである。

 この劇のなかには北朝鮮への帰還事業が出てくるが、日本から南米に向けて最後の移民船「ぶらじる丸」が出航したのも1971年、万博の翌年である。じつは、私の父方の祖父母は、さらに遡るいまから約90年前、大正年間にカナダ、バンクーバーに移民した。和歌山の貧農で食い詰め、家族へ仕送りをするための出稼ぎ移民である。学問もなく、英語もできなかった祖父母が、はるか太平洋の彼方への移民を決意したのは、もちろん絶望的な貧困、下層階級ゆえだ。

 二人は現地で必死に働き、故郷に仕送りをして妹たちを女学校に行かせ、4人の子供を育てあげる。人種差別がまだ歴然とあった時代、日系移民にとって現地の一流大学など夢の話。望みうる最大の階級上昇は、金を稼いで、自分の息子を日本の一流大学に合格させることだった。はたして祖父母は長男(私の伯父にあたる人)を東京帝国大学に進学させることに成功する。しかし同じころに日本と米英両国の関係は悪化の一途を辿り、カナダでも激しい移民排斥が起きる。結局、祖父母は現地で築きあげたものを捨て、残りの子供たちを連れて日米開戦の直前に日本に戻った。ところがその後、長男は学徒動員で軍隊に取られて亡くなってしまう。『焼肉ドラゴン』と同様に、二つの祖国の狭間に生きる家族が矛盾と葛藤の運命を生きていったのである。

「昔の日本は美しかった、惻隠の情に溢れていた」としたり顔でいう連中がいる。たいていがインテリか上流階級出身だ。しかし、惻隠の情なんぞでは救えない大きな貧困が存在したのが、昔の日本だった。だからこそ家族と今生の別れの思いで、太平洋の荒波を渡った人びとが大勢いたのである。現実世界においては、人間は飢えると、清くも美しくもなれない。守るべきもののためなら、どんな悪行にも手を染めるのが人間の本性だ。忘れっぽい知識人たちが、「あのころはよかった」「社会は強い絆で結ばれていた」と語る高度成長期、その真っただ中の1971年まで日本人の海外移民は続いていたのだ。下層階級の人びとが絶望的な貧困と階級格差から徐々に解放され、なんとかまともに「食える」ようになるのは、加工貿易立国モデルが安定期に入り、豊かさが世の中のより広い範囲を覆いはじめる、1970年代以降の話である。

 そう、資源もなく土地もない国土に、1億を超える人びとが肩を寄せ合って生きている日本の経済運営の根本課題は、いつの時代も、どうすれば人びとが食べていけるかにあるのだ。最近の議論には、正直いって、この原点に照らして優先順位が違うんじゃないかという話が少なくない。この国は、まずは稼いで外貨を手に入れ、海外から食料やエネルギーを買ってこないことには、食べていけない国なのだ。分配の議論など二の次である。ましてや先にこの世を去っていく私たち中高年の老後の年金や終末期医療のために、頭数が少なく、所得も減って資産ももっていない若い世代の税金や保険料を引き上げるなんて話は問題外。

 祖父母は戦争を挟んで遭遇した悲劇について、孫である私に多くを語らなかった。ただ、そこでくじけるわけでもなく、政府や誰かのせいにして世を拗ねるわけでもなく、戦後、和歌山の小さな稲作農家として再び懸命に働きつづけたのは確かなようだ。結局、なんとか父を神戸大学に行かせ、私の代で、かつての移民の身分では不可能だった米国の一流大学院入学が実現する。どんな絶望的な悲劇に遭っても「これはおれの運命、おまえの宿命」と受け止め、「明日はもっとよくなるような気がする」(いずれも『焼肉ドラゴン』の父親役の劇中セリフ)と、自分の足で未来に向かって歩きつづけたのだと思う。あの時代を生きた、多くの日本人と同じように。そのおかげで、今日の私はある。

 どんな時代も、どの世代も、人間は未来に向かってしか生きていけない。人口構成が極端な逆ピラミッドになってしまった現代。上(≒過去)の世代としては、「わしらのことは心配するな」「お前たちはお前たちの人生を生きろ」(同じく父親役の劇中セリフ)と、まず子供や孫の世代を重荷から解放してあげるべきではないか。上の世代のことは、借金も含めて上の世代同士でなんとかすればいい。未来の世代が飢えることなく、明日はもっとよくなると希望をもって生きられるような日本。それを遺すために自己犠牲を厭わず、「勇ましく高尚な生涯」(内村鑑三『後世への最大遺物』より)をきれいに全うすることが、私を含めた上の世代の責任だと思う。

 菅政権において「税と社会保障の抜本改革」の議論が始まったが、これが「後世への最大遺物」となる改革となるか、政治的多数派である上の世代におもねって腰砕けに終わるか。「給付に見合ったご負担を、国民のみなさまに幅広くお願いする」などというキレイごとのごまかしに終わらないことを祈る。所得も資産も十分にあるような高齢者の医療費や生活費を、若者の払う消費税や保険料で賄う必要性は、まったくない。

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