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『日暮硯』を読み解く~松代藩家老・恩田木工に学ぶ「人の動かし方」

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

2013年11月08日 公開 2023年01月05日 更新

改革は急がずゆっくり行なう

訳文

 恩田木工は、老職や諸役人たちに「藩政改革の議は、早急に断行しようとは思っておりません。ですからみなさんは、いままでと同様にしていてもらって結構です」と述べ、殿が国元に戻るまでの間、いろいろと改革案を練っていたそうだ。

 やがて、藩主の真田幸弘が松代に帰国したので、木工は御前に出て「御帰城を待って改革を実行しようと考えておりました。近日中に取りかかろうと存じます」と伝えた。対して幸弘は、「一日も早く財政再建に取りかかるように」と申し渡したのである。木工はかしこまって、この命令をお受けしたのだった。
 

原文

「勘略の儀も急々には致し方も御座無く候間、まず諸事ただ今までの通りいたさるべく候」と申し渡され候て、公の御帰城を相待ちおられ、その間に万事工夫致され候由なり。

 その後、殿御帰城に相成り候えば、木工御前へ出で、「御帰城を待ち、いまだ政道には取り掛り申さず候。いずれ近日より政道に取り掛り申すべく候」と言上致され候えば、「その方の勝手次第、一日も早く政道仕り候様に」と仰せられ候。

「畏り奉り候」と御請け申し上げ、木工、それより国の政道にかかられ候。その仕方、左のごとし。
 

解説

 財政再建のための藩政改革というのは、現代でいえば傾いた企業の経営再建と同じであろう。間違いなくその改革は、痛みを伴うものである。

 また、担当者も性急に成果を挙げようと思うから、悲鳴を上げたくなるような、急進的な施策を断行することが多い。

 だから、恩田木工が家中の者たちを集めたとき、きっと人々は戦々恐々としていたに違いない。そんな張り詰めた空気の中で、「自分の仕事をしたら存分に余暇を楽しんでかまわない」と述べ、さらに「そんなに性急に改革をやるつもりはない」と言ってくれたことで、家臣たちはホッとため息をついたはずである。

 まずは人々に安堵感を与えることで、木工は改革に対するアレルギー反応を排除し、一致団結をはかろうとしていたのだろう。

 また、藩主の到着を待って改革を始めるというのも、正しい方法だといえる。あくまで藩主の命を受けて、改革を実行しているという形式がとれるからだ。木工が先頭に立って行動するのではなく、藩主に催促されてようやく腰を上げる。それによって、改革のトップは藩主だということを家中に認識させることができ、おのずと、改革に面と向かって反対しづらい雰囲気が醸成されていったのではなかろうか。

 なお、前藩主・真田信安は、2度の藩政改革を行なったが、両方ともうまくいかなくなると、改革担当者に責任を押しつけて自らの責任は回避してしまった。つまり、はしごを外してしまったのである。木工の行動は、この前任者の末路も関係していたかもしれない。

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