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中東革命 「明日はわが身」と震撼する中国

宮崎正弘(評論家)

2011年03月28日 公開 2022年11月02日 更新

基底にはナショナリズムが

 エジプトに飛び火した反政府デモは最悪の事態となり、ついに2月11日、ムバラクは辞任に追い込まれた。エジプトは1952年、軍事クーデターによって王政を転覆させ、燃え上がったアラブ・ナショナリズムはスエズ運河を国有化し、ナセルは英雄となった。ところが、1967年のイスラエルとの戦争でエジプト軍が完膚なきまでに敗北すると経済的苦境に陥り、ソ連との軍事同盟をひっくり返して米国と外交関係を深める。イスラエルと電撃的外交関係を結んだサダト大統領は暗殺されたが、イスラエルとの平和共存は続いた。

 この間、エジプトは農業国から軽工業国、都市経済型に移行し、経済的鎖国を解き、海外資本を受け入れた。経済の自由化はIMF(国際通貨基金)の勧告がバネとなり、エジプトの改革を促した。しかし「経済改革」とは国有企業の民営化が基軸であり、政権と結び付いた新エリート層が数百万の雇用を創出し、新しいエジプトのエリート層を形成した。

 かれらはムバラク与党翼賛組だ。中国の利権を独占し経済的富裕層を形成する「太子党」に似る。

 エジプトには現在、20を超える政党が存在している。政治改革は遅々として進まず、多くの強権政治の国々がそうであるように、上層部の汚職と腐敗が進行し、やがて新しいエリート層が牛耳る民間企業労働者も政権から離反する。若者たちの失業増大が社会不安を広げ、貧富の差の拡大は、民衆にムバラクへの不満と憎しみを高ぶらせたのだ。

 カイロでの反政府デモが数万から十数万の規模に達したのは、ツイッターゆえである。失業中の若者らが呼びかけ、数万の烏合の衆は要するに反政府、反汚職、反ムバラクだが、イデオロギー的統一色もなく、組織だった行動もなく、指導者不在のまま、てんでばらばらの抗議行動となった。

 通常の反政府暴動であれば背後に組織があり、国旗が焼かれる。米国旗も必ず焼かれる。エジプト政変ではそれらの行為がないばかりか、民衆はエジプト国旗を高く掲げた。基底に流れているのは、過激イスラム思想ではなくナショナリズムである。この点に留意が必要だ。

 イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」は各地のデモに構成員を派遣し、存在をアピールしたが、専門家は反政府行動の広がりと「ムスリム同胞団」は無関係とみた。

 なにしろムバラク大統領がサダト暗殺以来30年、大国エジプトの権力を掌握し、軍と警察を抑え、秘密裏の交渉を米国と繰り返してきたのは、息子の世襲を円滑化するためだった。だが後継者と目された次男は早々と英国へ逃亡し、スレイマン副大統領が指名された。この時点で事実上、ムバラク王朝は終わる。

 エジプトよりも物騒な治安悪化の日々を目撃するのはレバノンである。レバノンは事実上のヒズボラ政権となった。イスラム原理主義過激派の跳梁跋扈が顕著となり、レバノン政府が完全にイスラム原理主義に乗っ取られる危険性は増している。彼らが権力を掌握すれば、次はイスラエルとの戦端が開かれるだろう。

 チュニジア、エジプトの騒擾劇というアラブ政治の裏面で、静かに着実に進んでいたイラクとレバノンの「イラン化(つまり原理主義化)」。この過程はシーア派過激主義の蔓延につながり、イスラム世俗主義のエジプトやトルコなどと同盟関係を結ぶ米国、サウジアラビアの憂鬱が拡大する。

 

反主流野心家がデモを煽る日

 余波は中央アジアにも飛んだ。

 カザフスタンの独裁者ナザルバエフは、大統領選挙を繰り上げて実施すると急遽発表した。冷戦終結からすでに20年、この男もカザフスタンに強権的独裁政治を敷いて、富を一族が独占してきた。

 イエメンでもサレハ大統領が再選には出馬しないと声明、アルジェリアは20年にわたる非常事態宣言を解除、こうしてチュニジアに次いでエジプトがこけ、周辺諸国はてんやわんやの大騒ぎとなる。穏健なスンニ派のバーレーンにも「中東ドミノ」の火の粉が飛んだ。

 だが、冷静に事態の推移を分析すれば、これらは民衆の勝利ではなかった。巧妙にムバラクを退去させたあと、政権を掌握したエジプト軍の最高評議会は議会を解散し、憲法を停止すると発表した。しかも、ムバラク大統領が最後に指名していった暫定のシャフィク内閣を当面活かし、秋までに改憲の是非をめぐる国民投票を実施し、大統領選挙を実施する。「締結した外国との条約はすべて遵守する」と継続性を強調したことは諸外国へ安堵感を与えたが、これは事実上の軍事クーデターではないか。

 スレイマン副大統領は宙に浮いたかたち、しかも欧米の一部が期待したエルバラダイIAEA(国際原子力機関)前事務局長は影響力なしとみて、どこかへ消えた。ムバラクを宮殿から追い出した抗議デモの主役は、イスラム原理主義過激派ではなくフェイスブックによる若者、学生が主役。「いずれも無名の英雄たち」(『ウォール・ストリート・ジャーナル』)。

 議会解散、憲法停止は事実上の軍事クーデターの成功であり、しかもエジプト版2・26事件にほかならない。でなければいかなるレジティマシー(正統性)に基づいて、憲法を停止し議会を解散できるのか。

 こういう状況を日本政府は楽天的にみただけだが、中国はまったく異なる危機意識を抱いた。「明日はわが身」か、と。それならば、いかにして民主化ドミノをはねのけ、中国共産党の独裁を延命できるか、そのためにはまたまた「反日デモ」を利用して問題のすり替えを図れるか、どうか。あるいは軍幹部と通じて共産党の権力争いが起こり、現在の執行部をすげ替えるというエジプト型の軍事クーデターに傾く可能性も高くなったといえる。

 「中国版民主化」というシナリオは希望的観測でしかない。

 第一に中国のネット監視網は世界一、ソフトは米国製を駆使しており、検索エンジンも完全に検閲されている。そのうえで30万人の公安が24時間モニターしており、試しにNYタイムズのニコラス・クルストフ記者が外国から「エジプト」「民主化」と打ち込むや1時間以内に消されたという。

 2月20日、中国主要13都市で「ジャスミン革命」「中国民主化」を呼びかける若者らの集会が開催された。前日まで軍と警察が異様な警戒態勢を敷き、さらに08憲章に署名した民主活動家多数を拘束していたにもかかわらず。さらに、27日に18都市で集会を開催しよう、という呼び掛けもなされた。

 だが、集会呼び掛けの報道をしていた「博訊新聞網」(在米華僑らが経営、反共産党色の強いメディア)はハッカーに襲撃され、一時的閉鎖に追い込まれている。

 第二に胡錦濤政権がレイムダック入りし、次期、習近平政権は軍隊優先という「軍高党低」型の現状では、むしろ反主流野心家が民主化デモを煽り、これを梃子に活用して北京に乗り込み、政権を簒奪するという政変となる可能性が高い。まさに明の太祖・朱元璋が白蓮教徒の乱という騒擾を活用して近衛兵を動かして政権を強奪したように、中国4,000年の歴史で新しい王朝が開かれたパターンを繰り返すというシナリオがますます濃厚となったのではないか。

 

 

 

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