企業に「成功」などない!
2014年01月07日 公開 2024年12月16日 更新
『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』[特集]成功とは何か より
従来の常識を破った数々の新商品、独自の技術開発、販売体制の構築、人材育成など、あらゆる取り組みが成果をあげて高い評価を得ている。今や毎年30人の新卒募集枠に、数千人もの就職希望者がエントリーするという。
優良企業として地域の人々の尊敬を集め、会社の敷地につくられた庭園「かんてんぱぱガーデン」は観光地となって年間35万人の観光客が訪れる。
同社を長年牽引してきた塚越寛会長の「成功観」、そして経営者の役割とは――。
<取材・構成:森末祐二/写真撮影:後藤伸敏>
「いい会社」をつくり「いい形」でバトンタッチしたい
経営とは「終わりなきリレー」である
「成功とは何か」とのことですが、私は企業経営において「成功」などというものは、本来的にはないと考えています。すべての会社は遅かれ早かれ、いずれは倒産するものだと思います。極論かもしれませんが、その意味では「すべての企業経営は失敗につながっている」とさえ言えるでしょう。
どの時点にせよ、企業が倒産すれば、そのとき働いていた社員とその家族を不幸に陥れてしまいます。取引先やお客様、あるいは金融機関にも迷惑をかけてしまいます。納税できなくなり、失業者を発生させることで、地域社会にも悪影響を及ぼしてしまうでしょう。
ですからそうならないために、企業は永続しなければならないのです。しかも縮小することなく、必ず成長しないといけないと思います。たとえ社長が何人交代しても、どれだけ長い年月がたっても、健全な経営が維持されなければなりません。
つまり企業経営とは「終わりなきリレー」であると言うことができます。
終わりなきリレーを続けているかぎり、ゴールなどどこにも存在しません。ですから、どこかの時点で区切って「成功した」とも、逆に「失敗した」とも言えないということになります。ある時期非常に大きな利益を出して、まるで成功しているかのように見えていたとしても、わずか数年後に赤字に転落してしまう企業はいくらでもあります。もちろんその反対もあります。運動会のリレー競技で、まだだれもゴールしていないうちから勝ったとか負けたとか言うのがナンセンスなのと同じです。
その意味で、私が会長を務めている伊那食品工業という会社も、今現在、決して成功しているとは考えていません。まだまだ発展途上にあると思っていますし、将来どうなるかはだれにも分からないからです。
1958年、極度の業績不振で銀行管理下にあった前身企業の事業を引き継ぐ形で、当社は設立されました。親会社にあたる木材会社に勤めていた私は、21歳で社長代行という肩書を与えられ、経営再建を命じられました。以来、社員の幸せを第一義としながら奮闘努力を重ねたところ、初年度から2005年まで48年間連続で増収増益を続けたという結果が残り、そのことが「成功」であると周囲から褒めていただけることはあります。
しかし、私自身はそれをもって成功だとは考えておりません。きれいごとでも何でもなく、あくまでも終わりなきリレーの走者の1人として、一所懸命に走り続けた途中経過にすぎないのです。
すべての営みは人間の幸福のために
そもそも企業が存在する理由、会社を経営する目的とは、いったい何でしょうか。それは、「人間を幸せにすること」です。私どもが寒天および寒天の成分を生かした健康食品や医薬品などさまざまな製品を開発・販売しているのは、美味しい食べ物や体にいいものを提供することで、人々に幸せになってほしいからです。同時に、適正な料金をいただき、社員たちの幸せを実現するとともに、地域社会の幸せにも貢献していきたいからです。
考えてみれば、およそ人間の営みというのは、すべて人間が幸せになるためのものであることが分かります。食べ物をつくれば、人々に生存していくエネルギーと、美味しさという幸福感を与えられます。病院は、人々を病やケガから救って幸せな生活を取り戻すために存在します。建築業者は、人々が幸せに暮らせたり、快適に働ける建物をつくります。自動車をつくれば、人々は楽に移動や運搬ができるようになり、生活が豊かになって幸せを感じます。美味しいもの、すぐれたもの、便利なものを、つくり手からユーザーに届ける商売人も、それを使う人々に幸せを与えます。教師は子どもたちが幸せな人生を送るために教育を施します。社会全体が幸せになるように、税金を集めて政治家が使い方を決め、役人が種々の公共サービスを提供します。
つまり、ありとあらゆる仕事は、本来は人々の幸せを実現するために行うものなのです。代金は、幸せを得た人が支払う正当な対価と言えます。