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生き方

石丸幹二が知った「立ち止まる勇気」 42歳で舞台を降板、休むことで見えた新しい景色

石丸幹二(俳優、歌手)

2026年02月24日 公開

劇団四季の看板俳優として、年間200以上ものステージに立ち続けた石丸幹二さん。ところが42歳のとき、疲労の蓄積がピークに達し、1年間の休養を余儀なくされます。
生活のペースが変わることで、それまで触れることのなかったものに出会う日々。初めて気づけた日常の美しさ、小さな幸せが、再び前に進む力をくれたといいます。(取材・文:辻 由美子)

※本稿は、『PHP』2026年1月増刊号の内容を一部抜粋・再編集したものです。

 

音楽で身を立てたい

「わっ、こんなにおもしろいおもちゃがあるんだ!」
音楽には関係のない、ごく一般的な家庭で育ちましたが、6歳でエレクトーンを習い始めたとき、そう思ったんです。

小学校、中学校、高校と楽器への関心がますます強くなり、サックス、トロンボーン、オーボエ、チェロなどにも挑戦。なかでも、中学校のブラスバンド部で出会ったサックスの虜になりました。
音楽で身を立てたい―。いつしかそう思うようになり、一番得意なサックスで東京音楽大学に入りました。

大学2年生のある日、衝撃的な出会いをします。NHKの「芸術劇場」を見ていたら、ものすごい歌声が聞こえてきて画面に釘づけになりました。
ジェシー・ノーマンというオペラ歌手の歌声でした。シューベルトの「魔王」を、声色や表情を変えながら1人4役で演じていたんです。その圧倒的なパワーと物語性に引きこまれて、涙が出てきました。

「彼女の声は、楽器を超えている!声でこんなふうに表現をしてみたい!」
楽器から声に方向転換することに決めました。急ですよね(笑)。それくらい衝撃だったんです。そこから両親を説得し、猛勉強。東京藝術大学の声楽科になんとか合格できました。一生懸命がんばれば夢はかなうんだ。そう思いましたね。

大学には、世界トップクラスの歌手の方が講師として来てくださいました。三大テノールの1人、プラシド・ドミンゴさんが公開講義をしてくださったときのことです。
学生の前で第一声を「ワーッ」と発したとき、そのあまりの声量、美しさ、人を魅了する力に圧倒されたんです。
「こんな声は私には出せない......」
瞬時に、そう思いました。棒のように細い私の体では、彼のような声量は物理的に出せないのです。その「ワーッ」の一声で、オペラ歌手になるのは難しいかもしれないな......と思うようになりました。

 

17年間、毎日が全力疾走

ちょうどそのころ、授業で外国語の曲を意味がわからないまま歌うことに疑問を感じていました。「日本語で歌いたい」という思いが強くなっていったんです。
ある日、そんな悩みを大学の先輩に話したら、「だったらミュージカルがいいよ。劇団四季に願書を出してみたら」と、オーディションの情報を教えてくれました。

ミュージカル......? それまで一度も観たことがありません。劇団四季の名前さえ知らなかったんです。

実技後の面接で劇団四季の主宰者の浅利慶太さんに「劇団四季を知っていますか」と聞かれて、「はい、『会社四季報』は知っています」と大まじめに答えました(笑)。浅利さんはあきれて笑っていましたね。

「『オペラ座の怪人』という作品にラウルという役があるんだけど、勉強する気はある?」と聞かれて、なにも知らないのに「はい!よろしくお願いします!」と即答。なにが評価されたのかわからないのですが、運よく入団が認められました。

ただ、翌日からが地獄でした。一度もやったことのないバレエやダンス、演技の稽古がいきなり始まったんです。まわりは経験者ばかりで、私1人だけ目がまわり、足はからまり、体はまったく曲がらず......。

でも、やるしかない。やっぱり声で生きていきたかったんです。毎日、稽古の最後に課題が出て、翌日できていないと「明日から来なくて結構です」という世界です。深夜まで稽古場に残って必死でした。

3カ月後、「ラウルをやりなさい」と言われたときは、努力が報われたと思いましたね。がんばれば夢はかなうんだ。そのときも、ひしひしと感じました。

そこから17年、毎日が本当に全力疾走でした。公演当日にいい状態でないと役をおろされるからです。そんな環境で、年間200以上のステージに立ち続けました。

「観る天国、やる地獄」
これは浅利慶太さんがミュージカルをひと言であらわした言葉ですが、その意味をかみしめる毎日でした。

 

疲労の蓄積で歩くことすら困難に

しかし、40歳を超えたころから「あれ?」と思うことが増えました。けがをしてもすぐ回復していたのに、長引くようになったんです。先輩からは「40歳になったら壁が来るぞ」と言われていたので、「ああ、これが壁か......」と。

42歳のとき、稽古の最中に背中に激痛が走り、首が動かなくなりました。一度稽古を休むと、そこから長年の疲労の蓄積が一気に出て、歩くことすら困難に。本番をむかえないまま稽古中の作品を降板する事態になったんです。

もう、これまでと同じペースで高い山を登るのは肉体的に無理だ。体を治すことに専念したい―。

休養は1年間続きました。舞台に集中している日々ではなかなか触れることがなかったものに出会う日々でした。散歩をして近所の様子を知ったり、聞いたことのないジャンルの音楽を聞いたり、手にとることのなかった本を読んだり......。

散歩のついでに書店に行くと、さまざまな本が目にとまりました。この『PHP』は昔から手にとっていましたが、このころは読みこみましたね(笑)。世間の方がなにを考えているのかを知りたくて、読者投稿のページにも目を通していました。

それと、散歩をしておどろいたのが、夕陽の美しさでした。舞台をやっていると午後からずっと劇場か稽古場にいるので、外に出ることがなかったんです。

日が暮れていく様子をじーっとながめていると、「夕陽って、こんなにきれいなんだ」と。日常のなにげない風景が、私にはとても新鮮だったんです。

一度立ち止まってみると、身近にある小さな幸せに気づけるようになって、心が少しずつほぐれていきました。限界まで力を出しつくしていた自分を、自然がリセットしてくれたんです。

今も時間があるときは散歩をして、自分の足であちこち歩きまわっています。実際に見て、心に焼きつけたことが、仕事への活力になってくれるんです。

著者紹介

石丸幹二(いしまる・かんじ)

俳優、歌手

1965年、愛媛県生まれ。東京藝術大学在学中の’90年に劇団四季
のミュージカル「オペラ座の怪人」でデビュー。看板俳優として17年間在籍し、2007年に退団。現在は、舞台、映像、音楽など多方面で活躍。

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