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生き方

宇治原史規 松下幸之助『若さに贈る』は人生の教科書

宇治原史規(ロザン)

2014年04月28日 公開 2024年12月16日 更新

『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年5・6月号Vol.17より

人生で大切なことを知るための教科書

【松下幸之助と私】
宇治原史規―松下幸之助『若さに贈る』を読む

取材・構成 阿部久美子
写真撮影 山口結子

 

幸之助「イズム」との接点

 今はもうリタイアしていますが、父がパナソニック電工に勤めていましたので、松下幸之助さんに対する感覚は「少し身近な偉人」というイメージでした。東北人にとっての伊達政宗の存在感に近いでしょうか。

 実際に父から幸之助さんの話を聞いたこともなく、「この本を読め」と勧められたこともありません。ただ毎月家に届く『PHP』というあの小さい雑誌をトイレで読むのが、ぼくは子どものころの日常的な楽しみでした。ですから、直接、幸之助さんの言葉には接していなくても、お名前はあちこちに登場しているし、『PHP』誌自体に幸之助さんのイズムが入っているわけですから、そのイズムにふれて育ってきた部分があると思います。

 『若さに贈る』は、これから社会に出ていく若者に向けて書かれたものですけど、ぼくは30代後半のこの年齢で読んだことで、心にすとんと落ちることが多かった気がしています。

 若いときって、上の世代の方たちからいろいろ言われても、なかなかその真意に気づかないことがありますね。あとになってわかるわけです。ですから10代のときに読んでいたら、今のように納得できなかったのではないかと思います。

 ただ今は違うんですね。若い世代というのは、努力することや我慢することをどうしても軽視しがちなところがある。でも幸之助さんは自分自身が苦労しているので、「どんな苦労をしようとも、やっぱり努力が大切だ」ということを強く訴えてくれる。それが若い世代に伝わればどんなに有意義かということを自分自身、もうすぐ40歳を迎える今、身に染みて感じています。

 幸之助さんは60パーセントの可能性があれば、部下に任せて自由に仕事をさせたそうですが、父が幸之助さんの影響を受けて何か心がけていたのかは分かりません。少なくともぼくに対しては放任でした。要は曲がったことをしなければ、また人に迷惑をかけたりしなければそれでよいという程度。「勉強しろ」とは一度も言われたことがありません。父は学校でのことも何も知らない。ぼくの通知表など1回も見たことはなかったと思います。ロザンの相方、菅広文が本(『京大芸人』)を書くために、ぼくの父に「頭がよい子だと思ったことがありましたか?」と質問したら、父は、「京大に受かったときに、ああ賢かったのか」と思ったそうですから。母にしてもそう()が厳しいわけではありませんでした。

(中略)

自分の持ち味とは

 徳川家康を引き合いにして、人の持ち味を語っているところも面白かったですね。人はみなそれぞれ持ち味が違うのだから、家康のようなすごい人を見習ったからといって、家康のように成功できるわけではありません。

 お笑いの世界はほんとうにそうです。だれかが大ウケして、「ああ、こういうふうにしたらお客さんを盛り上げられるんか」とヒントを得たとしても、ほかの人が同じようにやってもウケるとは限らない。その人の芸風やキャラ、その人が培ってきたものがあるからそこに笑いが起きるのであって、柳の下のドジョウを狙うような借り物の発想でやろうとしてもダメなのです。そこで、自分だったら何ができるか、逆に何ができないのか、そこを見据えないといけません。

 幸之助さんの言われる「自分の持ち味を知る」とは、いい意味でのあきらめを持つことではないかと思います。ただ、マイナス方向のあきらめではなくて、前に進んでいくためのプラスの意味のあきらめです。できないことがあるからといって卑屈になる必要はない、逆に自分だからこそできることが必ずある。だから、「変な無理をするな」「がんばりすぎるな」と言ってくれているように思えます。それが、プラスの意味のあきらめで、そのようにとらえると、自分の持ち味が見えてくるのではないでしょうか。

 仕事をしていれば、みんな大なり小なり現状に不満があったりすると思います。しかし、その状況の中で、自分の身の丈を知りながら、卑屈にならずに、今自分にできる最大限の努力を続けていくこと。バランスがいちばん重要ですね。

 

若いうちに経験すべきこと

 幸之助さんもおっしゃっていますけど、「若さ」の素晴らしさはそのときには気がつかない。この本を読んで、ぼく自身後悔していることがあります。それは、せっかく京都大学に入りながら、小学校のときのように授業を聞かなかったということ。日本のトップクラスの授業が受けられたはずだったのです。今の仕事に直接何か役立つということはないと思いますけれども、少なくとも、損はしない。ちゃんと大学へ行っておけばよかったなあと思います。とはいえ、この本を十代のときに読んでいたら分かったかどうか。今読むから、いろいろなことを考えさせられます。

 つまるところ、この本を読み終えてぼくが重要やと思ったのは、結局、何でもいいから、若いうち、特に十代のあいだに、本気で何かをやるということです。ぼく個人の印象にすぎませんが、スポーツをやっていた人は、どことなく礼儀正しい。それはあいさつを教わったからではなくて、本気でクラブ活動をしたからだと思うのです。

 適当に遊びでしていたことなら、同じあいさつを教わっていても、大人になったときに身についていないでしょう。それは勉強も同じで、勉強をどれだけ本気でやったかということが自分の自信になったりしますし、あるいは本気でやってもダメだったときのつらさを知っていたりするということが、ほんとうに重要なことだと思い直しました。それを今、再確認できたこともたいへん有意義だったと思います。

 

宇治原史規(うじはら・ふみのり)
1976年大阪府生まれ。大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業後、京都大学法学部に現役合格。’96年より高校の同級生・菅広文とのコンビ「ロザン」を結成。’98年プロデビュー。高学歴コンビとして話題に。2006年、テレビ『平成教育予備校』に初出場で優勝。以降、漫才のほか数々のクイズ番組で活躍中。

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