花外楼は「誠実」に始まり「誠実」に還る
2014年07月28日 公開 2022年07月11日 更新
祖母を通じて女将の姿勢を学ぶ
花外楼は、そうした歴史の重みを持つ料亭です。私で五代目の女将(おかみ)となりますが、私は学生のころ、隣の席の人とほとんどおしゃべりもできなかったくらい、内気で人見知りでした。同級生の友人には、今でも「あなた、よく女将になれたね」と言われます。
そんな私が、何とか今の仕事に就けているのは、3代目女将だった祖母の影響が大きいと思います。祖母は、終戦の翌日に夫をなくして以来、女手一つでお店を切り回して”明治の女傑”と呼ばれた人でした。
その祖母が病の床に伏したとき、忙しい父や母に代わり、私が家族を代表して、祖母の看病を致しました。当時大学生だった私は、大学に通いながら世話をしていましたが、そのとき、祖母のお客様や友人と接しながら、いろいろな話を聞かせてもらいました。
暖簾〈のれん〉には、いろいろな継ぎ方があると思います。正直、私も暖簾を継いだときは思い悩みましたが、船場のある方から「自分には父親のような商売人の器はないが、ものづくりならできるかもしれない。その思いで家業を継いだ」という話を聞いたとき、納得できたのです。「私にとっての料理屋って何だろう」。そう自分に問いかけるきっかけにもなりました。
料亭は、人の「心」が集まるところ
思うに、料理屋とは、いろいろな人が出会い、集うところです。それが何年も続くことで、歴史と思い出が積み重なっていきます。私は、女将を継ぐ前、「アイル・モレコタ」という自社ビルを経営していたことがございます。
時代は高度成長期。「花外楼」の名をあえて使わず、食に関すること、お客様を楽しく幸せにすることならやってみよう、という父の前向きな考えで企画されたビルでした。