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『ダウントン・アビー』にも描かれた英国貴族の実像とは

島崎晋(歴史作家)

2014年12月08日 公開 2024年12月16日 更新

《『華麗なる英国貴族101の謎』より》

 

世界的にヒットした『ダウントン・アビー』

 英国には「紳士の国」というイメージがつきまとう。それは多分に明治時代初期に来日したお雇い英国人たちの性格や、小説・映画などを通じて接した騎士道の影響によるものと考えられる。それに加え、日本と同じく島国で、かつ立憲君主制という点から親近感を抱き、何事によらず好意的に解釈してきた影響も関係しよう。

 それでは、英国人の実像は日本人の抱くものとは大きく違っているのか。この点を理解するにはまず、英国社会が紳士=ジェントルマンとそうでない人びとからなるということを押さえておく必要がある。それから王室を別とすれば、ジェントルマンのなかで頂点に位置するのが貴族であるということを。

 1987年の時点で、英国貴族の総数は885人。1880年には580人。時代を遡れば。1万人前後を数えた時期もあるが、それでも総人口から見ればひと握りにすぎない。それでいながら、彼らは政治・経済・文化などあらゆる面で中心的役割を果たしてきた。古き良き英国の継承者としての役割を担ってきたと言いうるかもしれない。

 彼ら英国貴族の起源は1066年のノルマン人の征服に求められる。この征服戦争で大きな功績を挙げたノルマン騎士たちが封建領主に封じられ、その直系子孫らが爵位を授与されたことから、英国貴族が生まれたのだった。

 けれども、貴族のあり方は時代による変化を避けられなかった。デューター朝時代には、国王による中央集権化が進展するにともない、地方行政権を失った。このままでは、ジェントリとの違いは爵位の有無だけとなってしまう。それは矜持が許さないことから、貴族たちは格式を重んじることで、ジェントリとの違いを強調しようした。

 かくして、内面と外見の両方に留意した貴族文化が発展していくのだが、彼らが田舎に構えた館はカントリー・ハウスと呼ばれ、そこは貴族文化のエキスが凝縮された空間でもあった。館の内外は貴族趣味で覆われ、そこに暮らす人びとに無言の圧力を与える役目も担っていた。この館の住人として恥ずかしくないよう、貴族であることをいっときも忘れるな、言動には常に気を配るようにという。

 貴族の館は広大な敷地に聳える豪華建築。そこには何十人という使用人が住み込みで働いていた。彼らはフットマン(下僕=男性)、ボーイ(下僕見習い)、メイド(女性)などと呼ばれ、早朝から深夜まで、3度の食事、2度のティータイムを除けば、いつ何を命じられても対応できるよう、気を緩めることは許されなかった。

 近年、こうした英国貴族の館を舞台にしたテレビードラマが脚光を浴びている。英国最大の民間放送局ITVが制作した『ダウントン・アビー』がそれである。

 ドラマの舞台になっている時代は第1次世界大戦前夜から両大戦間。英国貴族の衰退が決定的となる最終段階にあたっており、ドラマでは貴族社会から放たれた最後の輝きとその幕引きが、主な登場人物の性格やその時々の心情、対人関係などと併せて丁寧に描かれている。また、衣装や装飾品から館内部の小物にいたるまで。どれひとつとっても制作スタッフたちのこだわりがひしひしと伝わってくる。

 もはや政治的にも経済的にも力を持たず、直接の利害関係もないことから、英国をはじめ、旧英国植民地の人びとも、ノスタルジックな思いを抱きながら、このドラマを楽しむことができたのだろう。

 当然ながら、ブームの先陣を切ったのは英国だった。最高視聴率40パーセント。もはやテレビ・ドラマの枠に収まりきらず、ファッション界やインテリア業界などをも巻き込む社会現象にまでなった。

 その熱気はアメリカにも伝わり、驚異的な高視聴率を記録しただけでなく、エミー賞とゴールデン・グローブ賞のダブル受賞をも達成。ブームは他の国々にも波及して、現在までのところ、これが放送された国と地域は250を数えるまでになった。

 日本でもすでにシーズン1が放映され、好評をもって迎えられた。これをきっかけに英国を訪れる日本人観光客も大幅に増え、英国貴族やその使用人に対する関心も高まっている。執事やメイドの本来の姿はどんなものであるかといったことにも。

 シーズン2の放映も始まり、それをきっかけに英国貴族への関心はさらに高まるはず。そうなれば、英国貴族について、時代背景についてもっと知りたいという人も少なからず出てくるに違いない。

 本書華麗なる英国貴族101の謎は、そういう読者を想定し、生まれた企画である。これ1冊読めば、ドラマを見る楽しみが何倍にも膨らむはず。ロケ地として利用されたハイクレア城を訪れたくもなるであろう。本書をきっかけに英国への関心が高まってくれれば幸いである。

 

ドラマの舞台となったハイクレア城とはどんな城か

 日本で時代劇のロケ地と言えば、京都の東映太秦映画村がお馴染みで、姫路城や熊本城など現存するお城が利用されることもあるが、それは外観と城門くらいに限られ、内部の撮影はすべて映画村などのセッ卜で行なわれるのが一般的である。これに目が慣れていた人ほど、『ダウントンーアビー』から受けた衝撃が大きかったのではあるまいか。大広間にしても書斎にしてもリアリティーに溢れている。それもそのはず。屋内シーンまでもが、本物の邸宅内で撮影されていたのだから。

 番組制作者たちは最初から、大きなこだわりをもって仕事にのぞんだ。細部にいたるまで当時の雰囲気を丁寧に描き出そうと。そのためロケ地選びにも手抜きをすることなく、作品に合う屋敷を見つけようと、こだわりにこだわり抜いたあげく選んだのがバークシャー州にあるハイクレア城だった。ロンドンから西に車で2時間弱。1000エーカーという広大な緑地に佇む後期ゴシック様式の古城である。

 現在の当主は8代目のカーナヴォン伯爵。実際の管理は夫人のフィオナ・カーナヴォンが取り仕切っている。

 読者のなかには、カーナヴォンという名に聞き覚えのある方もおられるに違いない。そう、この家の5代目伯爵こそ、考古学者ハワード・カーターに資金援助を続け、ツタンカーメン王墓の発掘を成功へと導いたカーナヴォン卿その人に他ならない。

 この5代目伯爵とカーターの出会いがなければ、世紀の発見は起こりえなかった。発掘を支えた資金源を象徴するのがハイクレア城なのだと思うと、さらに感慨も深まる。

 また王墓発見より少し前になるが、同じく5代目伯爵の時代、ハイクレア城はダウントン・アビーと同じ経験をしていた。第1次世界大戦の最中、伯爵夫人アルミナの発案により、傷病兵の療養所として提供されていたのである。これは偶然の一致ではない。現在の当主夫妻と『ダウントン・アビー』で企画・脚本を担当したジュリアン・フェローズは家族ぐるみの古い友人というから、フェローズはこの逸話に感じるところがあって、最初からドラマ(シーズン2)に織り込むつもりでいたのだろ。

 なお。フェローズ自身も男爵の位を持つ貴族院議員。貴族社会の何たるかをよくわきまえていた。

 

<著者紹介>

島崎 晋(しまざき・すすむ)

1963年、東京に生まれる。立教大学文学部史学科卒。東洋史学を専攻。在学中に中国の山西大学に留学。卒業後、旅行代理店勤務を経て、出版社で歴史雑誌の編集に携わる。現在は歴史作家として活躍中。
主な著書に、『目からウロコの世界史』(PHP文庫)、『目からウロコの逆さま世界史』『まるわかり中国の歴史』(以上、PHPエディターズ・グループ)、『日本の神様・仏様まるごと事典』『さかのぼるとよくわかる世界の宗教紛争』(以上、廣済堂文庫)、『中国人も知らない中国の歴史』(ベスト新書)、『面白いほどよくわかる古事記』(日本文芸社)などがある。

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