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個性豊かな「旅の文章の書き方」

轡田隆史(ジャーナリスト)

2015年01月13日 公開 2024年12月16日 更新

※本稿はPHP新書『10年たっても色褪せない旅の書き方』より一部抜粋・編集したものです。

 

「ネライを定めた文章」は、いきいきとしている

 旅行会社が企画したお仕着せの旅に流されるのではなく、自分らしい旅をするには、その旅を文章にしよう、と思い定めること。

 そうなれば、名所旧跡をただ「見て」歩くのではなく、「観察」しながら歩くようになる。観察こそ自立への道だ、「観光客」から「旅行家」にヘンシンする道だ。

 そう考えることが、この拙い書物の、そもそもの出発点でした。単独行の旅なら自由裁量がききますから、ヘンシンはまあしやすいでしょう。

 だからここでは、ヘンシンしにくい団体旅行を例にとって、何もかもすでに設定されている旅のなかで、どのようにして自分らしさを演出したらいいかを、考えてみたい。

 その第一が「何を書くかをきめる」ことなのです。

 たとえば京都への団体のパック旅行を考えてみる。となれば、京都に行って、帰って来るまでの間のあれこれを書く、ということになるでしょう。

 東京駅から新幹線で、という出発から帰着まで、全体を網羅するように、総花的に書いたなら、十人が十人、ほとんど似たような文章になってしまう。

 実際にぼくは、そのような紀行文をしばしば拝読してきました。

  *

 快晴に恵まれた10月10日、わたしたちのグループは、新幹線のぞみ××号に乗車して一路、京都にむかった。

 気心の知れた仲間ばかりだったので、すぐにおしゃべりに夢中になってしまった。沿線の景色は、もう何度も見た景色なので、窓の外を見ることもなく、しゃべるのに熱中していた。

  *

 といった調子の文章ばかりが並んでいる文集を読んだことがあります。何を書くか、という大切なところが定まっていないと、そうなってしまう。

 もちろん文集のなかに1つ2つぐらいはあったほうが、記録として生きてきます。と同時に、「ネライを定めた文章」がいろいろあって、それぞれに競い合っている、古風に表現するなら「妍を競っている」文集は、いきいきとしているでしょう。

 「妍」とは、優美なこと、美しいことですが、ここでは拡大解釈して、「楽しさを競っている」という気分です。

 いきなり、こんな調子ではじまる文章があったらどうでしょうか。

  *

 東海道の旅の楽しみは、何といっても富士山の眺めにある。

 初冠雪を記録したというニュースがあったので、さあ、どれほど白くなっているのか、大いに期待していた。

 丹沢山塊の大山もくっきりと姿を見せていた。昔、この山の沢登りに熱中したころのことが、しきりに思い出される。

 いまは亡き弟と2人、垂直に近い岩にしがみついたスリルが、いまも足の先に感触として残っている。

 やがて富士が見えてきた。冠雪といってもまだ頂上のあたりが、うっすらと化粧しただけだったけれど、藍色の空に浮かぶ姿は、やはりわが富士山だった。

 千年近くも昔、京都の大歌人、藤原定家が鎌倉の将軍、源実朝に贈った万葉集も、この富士を見上げながら西から東へ、馬の背に揺られながら渡っていったことだろう。

 ときどき仲間のおしゃべりに加わりながらも、窓の外を眺めている。

 蒸気機関車や電気機関車が新幹線に代わっても、東海道の旅は、さまざまな歴史をたどる旅であることに、かわりはない。

  *

 「何を書くか」きめる、とは「的を絞る」ことでもあります。

 東海道新幹線というと、何もかも現代、といった感じになってしまうのですが、「東海道」という名前だけを取り出して国語辞典を引いてみましょう。

著者紹介

轡田隆史(くつわだ・たかふみ)

ジャーナリスト

1936年生まれ。東京出身。埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業後、59年、朝日新聞社に入社。社会部デスクや海外特派貝を経て、88年、論説委員に。99年に退社後、著作活助や講演活動に入り、テレビ朝日系「ニュースステーション」「スーパーJチャンネル」のコメンテーターも務めた。
中・高・大とサッカー歴は長く、浦和高校では、高校選手権、国民体育大会の二冠を経験。著書に、『小論文に強くなる』(岩波ジュニア新書)、『「考える力」をつける本』『それでも「老人力」』(ともに三笠書房)、『旅のヒント』(新書館)ほか多数。

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