「イスラム国」日本人殺害事件の裏側
2015年05月18日 公開 2024年12月16日 更新
なぜ「イスラム国」は日本人を殺したのか
事件のプレーヤーたちは、みな欧米関係者
この事件では、日本は何一つ得ることはできなかったが、しかし日本と同様に、ほとんど何の実利も得られなかったグループがある。それが「イスラム国」自身だ。事実、今回の件に関しては、「イスラム国」側は大きく出たわりには一文の得にもなっていない。かかったのは、あの殺害ビデオをつくる経費と、湯川さんや後藤さんにかけた食費や、各地に連れ回したガソリン代、そして後藤さんを裏切ったという「謎のガイド」に支払った手間賃などであり、完全に「真っ赤」なわけだ。あの用意周到な「イスラム国」らしからぬ結末である。
金を毟り取れなかっただけではない。彼らは、要求したイラク人女性死刑囚の解放にも失敗したのみならず、カサースベ中尉の焼殺ビデオを流したことで、これまで自分たちを心情的に支持していた650万人のヨルダン国民の大半を一夜にして怒れる敵に回してしまった。
それどころか、自ら戦闘機パイロットの格好までし、クリント・イーストウッド監督・主演の映画『許されざる者』の一節を引用してまで復讐を誓った(「ニューヨークーポスト」2015年2月4日付)というヨルダン国王率いる空軍の「強力で大地を揺るがすような」(ヨルダン政府スポークスマン談)空爆を一方的に受けたが、それに対しても、大した反撃さえ行わなかった。
そもそも、彼らが要求したあのイラク人女性死刑囚自体が、はたしてそんなに重要な人物であったのか、ということも疑問である。こう考えると、「『イスラム国』は、ヨルダンやアメリカに道具としてうまく使われたのではないか」という想像も働く。いや、そもそも「イスラム国」は本当に交渉に「敗北」したのであろうか。
結果はどう見ても、ヨルダン国王とアメリカが大きな政治的利益を得たことを厳然と示唆している。そんなヨルダンが、実は「イスラム国」と秘密のルートを持っていたとしても、それ自体はなんら不思議なことではない。事実、あの世界最大の親日国のトルコもまた、「イスラム国」とは独自の「親しい」ルートを持っているのだ。しかしこれらは、われわれが一般的に想像するような「交渉ルート」ではない。「イスラム国」に対し、彼らが望むことを行わせるための、極めて政治的なルートだ。
では、「今回の事件はヨルダン国王が仕組んだとでもいうのか」と問われれば、そんなはずはないだろうと信じたい。彼は非常に親日的な人物である「はず」だからだ。少なくともわれわれ日本人の大半は、今回の事件が起こるまではヨルダンのことなどほとんど知りもしなかったのに、なぜか事件発生からわずか数週間で、「ヨルダン国王は大の親日家」だと「学習」している。
主要メディアが、「ヨルダン国王=大の親日家」と連日喧伝したからだ。
ただし注目すべきは、「今回の事件に関しては、そのプレーヤーたちは、みな欧米関係者であった」ということだ。イギリス人の血を引くヨルダン国王しかり、それをバックで支援していたアメリカしかり、そして今回の事件で主役を演じた「第四のグループ」しかりだ。
この「第四のグループ」は、前述のとおり、旧バアス党系や、厳格で貧しいスーフィスト集団、あるいはイラクのスンニ派部族集団ではなく、欧米化し、高度なビデオコンテンツづくりや、完璧な英語で外部に情報発信するなどの洗練された最先端の宣伝手法を持ち、かつ、その多くがイギリスやアメリカなどに住んでいた連中で構成されていた。
つまり、ここで成り立つ仮説はこうである。まず、2014年8月に、自由シリア軍に同行していた湯川さんが、「イスラム国」の「あるグループ」に捕まった。しかし湯川さんが英語もろくにできないので、このグループは日本人ジャーナリストでイスラム教徒でもある常岡浩介さんや、元同志社大教授のハサン中田考氏に連絡をし、このままでは裁判にならないから来てほしいと伝えている。「見せしめの処刑をするつもりもない。湯川さんの裁判をやって、問題がなければ解放する」とか、「身代金は取らない」とさえ言い切っている。つまり、最初に湯川さんを捕まえたグループは、ある意味で真面目にイスラム式裁判をやるつもりでいたのだ。
しかし途中から「管轄」が変わったのだろう。ここで新しく管轄することになったのは、おそらく「第四のグループ」であり、湯川さんを最初に捕まえた真面目なイスラム主義者のグループが口出しできないくらいの権力を持っている。事実、常岡氏や中田氏と繋がっていた「イスラム国」のある司令官も、上層部の意向を気にするようになっている。
このように、権力のある「第四のグループ」が湯川さんを餌にして、後藤さんをおびき寄せた。だから、後藤さんは捕まった直後から、湯川さんについてはなされなかった家族への身代金要求が出されている。同時に、日本政府に対する水面下での身代金要求も始まった。これが「プランA」だ。
「第四のグループ」は、できれば日本政府から数十億円はぶんどってやるつもりであったかもしれない。しかし、何カ月か経っても、日本側はまったくそれには応じなかった。そこで彼らは、その戦略を一気に「プランB」に移行した。
まず、安倍晋三総理がイスラエルに入って演説を行った瞬間を狙い、後藤さんが捕まったことを公表、世界中が驚くような「2億ドル」という身代金を提示した。もちろん、日本政府は「取り合わない」と言ったが、そんなことは「第四のグループ」にとっては計算済みだ。むしろ、取り合ってもらえなかったのは日本政府の側であった。
しかし、世界中にこのニュースが広まり、日本政府の出方に固唾を呑んで見守らせるには、72時間くらいの時間的猶予は必要だ。そうしたなかで日本政府がヨルダンに現地対策本部を置いたのも、結局は時間的猶予がなかったからであろうとは思う。安倍総理が直前まで滞在していたヨルダンには、すでに日本の外務省関係者が集結していろいろな準備が整っていたはずだから、対策本部を設置しやすかった、ということもあるかもしれない。
こうして慌てふためく日本政府をよそに、「第四のグループ」は、この72時間もの間、まったく日本政府と交渉することなく湯川さんを殺害し、その後になって交渉の先を突然、ヨルダンに変更した。そして、世界中のメディアもまた、日本政府が現地対策本部を設置したヨルダンの動向に注目していたから、地理的な矛盾に対する疑問が出ることもなかった。むしろ疑問を持ったのは、多くの日本人であった。「なぜトルコではなく、ヨルダンなのか?」ということだ。
しかしそれについては、前述のとおり、主要メディアが説明をしてくれた。つまり、
「ヨルダン国王と国民は大の親日派だから、必ず何とかしてくれるはず」
という情緒的な「お祈り報道」である。これまで周辺国やアメリカから、慰安婦問題や歴史認識など、70年も前の戦争における「罪」についてさんざん「お叱り」をいただいてきた日本人は、「親日」という言葉には弱くなっている。