e-flat・太陽光発電の“分譲”をひらめき成功つかむ
2015年06月15日 公開 2023年01月23日 更新
《隔月刊誌『PHP松下幸之助塾』[特集:カンを磨く]より》
<取材・構成:乾桂子/写真撮影:今井秀幸>
リストラをきっかけに会社設立
もともと経営者になりたいと考えたことすらありませんでした。45歳のとき、勤めていた会社を辞めさせられたのです。いい再就職先がみつからない。落ち込んでいると、女性の元部下に励まされ、2010年に一緒に、建築と不動産のコンサルティング会社イーフラットを設立したのです。
当初の2年ぐらいはいろいろ苦労しましたが、「土地付き分譲型太陽光発電」の設備建築・販売が当たり、経営を軌道に乗せることができました。2014年度の年商は20億円を軽く超える見込みです。
イーフラットという社名は、私の名前「東平」に由来します。「東」と「平」、英語にすると「イースト」と「フラット」、縮めて「イーフラット」。アパートやマンションなどの共同住宅のことも「フラット」というので、「いいフラット」という意味も込めました。
ちなみに私の下の名前は「豊三」。父の名「豊彦」の「豊」をあて、字画数にこだわる叔母の意見から、「三」を付けたそうです。男社会のイメージが強い建築業界にかかわっているうえ、この(トヨゾウと誤読される)名前ゆえに、よく男性社長だと勘違いされます。自分でも、中身は「とても男」だと思っています。女性らしい装いはしているものの、「女性だからこそ注目していただける面を生かそう」という“経営的判断”にすぎません(笑)。
貧しさゆえの進路選択
私は、兵庫県神崎郡の兼業農家の長女として生まれました。小中学生のころは年間300冊を読破するほどの読書好きで、学校の成績もよく、雄弁な明るい子に育ちました。正しくないと思ったことは指摘せずにいられない性格は、その当時から備わっていたのでしょう(笑)。
でも、家の生活は苦しかった。中学に上がるころ、建築関係の職人だった父が、ある建築会社の役員に迎えられたのですが、あっというまにその会社がつぶれてしまったのです。みるみる貧乏になって父は不在がちになりました。母が必死に働いて私と妹を育ててくれたのです。
高校受験を前に悩みました。成績は、全国規模の模試で100番以内に入ったこともあるほどよかったので、問題なし。でも、おカネがない。高校の学費くらいはアルバイトで賄うつもりでした。しかし、大学進学はあきらめざるをえない。
進路先をどうしようかと悩んでいたところ、「これだ」と思う学校がみつかりました。国立明石工業高等専門学校。通称、明石高専は高校と大学を合わせたようなカリキュラムで、5年制。国立で学費も安く、なんとかなると思いました。
明石高専には当時、電気科、機械科、土木科、建築科の4科があり、文系女子の私は消去法で建築科受験を決めました。「灘高に入るくらいむずかしい」といわれたこともあるほど偏差値の高い明石高専でしたが、なんとか合格。女子の入学者は数人だけでした。
学費を稼ぐため、サービスエリアの売り子と2人の生徒の家庭教師を始めました。ただ、この3つのアルバイトがあるうえに、通学時間も片道2時間と長く、勉強時間がとれない。応用物理の試験では零点だったこともあります(笑)。それでもどうにか卒業でき、リフォーム会社に就職しました。
割安な価格でも利益を上げる
リフォーム会社に3年勤務したあと設計事務所に転職し、28歳のときに一級建築士の資格を取りました。しかしその後、体調を崩し、設計事務所を辞めます。結婚して関西を離れ、横浜市に住むことになりました。
一級建築士という肩書もあって、川崎市の建設会社にすぐに採用が決まりました。ところが入社すると、仕事の効率の悪さが気になる。頼まれてもいないのに、「このムダを省けば人件費が2人分浮く。皆の残業が減る」といった内容のぶ厚いレポートを社長に提出して驚かれました。入社1年足らずの29歳のときです。
生意気だったとは思います。最初は相手にされませんでした。しかし、やがて社長がその気になられ、3年かけて業務の流れを変更することができました。パソコンを導入したり、稟議書を回したりするようにしたのです。
おかげで社長から信用されたようで、娘を出産して産休明けで社に戻ったら、私のためなのか、調達を担当する新たな部署「購買課」ができていました。「業者との癒着を生みやすい現場ごとの調達から集中購買に変えよう。それをやれるのは東平さん」と思ってくださったようです。
そこで、工事の原価管理をきちんとすることで集中購買に変えていき、利益を5パーセント増やしました。売上が30億円規模の会社だったので、利益を1億5000万円アップさせたことになります。このとき売上を上げるより原価をコントロールするほうが利益が上がることを学びました。
その後、消費者目線で「まるまるキッチンパック50万円」「リフォーム100万円ぽっきり」といった企画を出したら大ヒット。「この商品がこの価格ならいいな」という金額をまず設定したことが奏功したのでしょう。原価に利益をのせて価格を設定するという発想ではダメなのです。
もっとも、利益はきちんと得なければなりません。資材を扱う業者さんに「年間何台売ったら、この価格でやってくれますか?」と聞いたうえで、利益が出るか計算してから商品を企画してきました。
お客様からの値切り交渉を受けてその分、利益を減らす会社も多いようですが、それでは仕事を受ける意味がない。ちゃんと利益を得ないと、何か不備があった場合に対処するおカネも用意できません。自社の利益を上げることがお客様のためにもなるのです。
経営がうまくいかないときはたいてい、原価が高すぎるか、利益を上げていないことが分かりました。購買課での調達の仕事は、私の今の経営にも生きています。
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。
(とうひら・ゆたみ)
e-flat 社長
1965年兵庫県生まれ。国立明石工業高等専門学校建築科卒。一級建築士。リフォーム会社、設計事務所、建築会社勤務を経て、不動産会社の取締役を務める。2010年株式会社e-flatを創業し、代表取締役社長に就任(現在に至る)。大学生の娘をもつシングルマザーでもある。同社は太陽光発電に関する事業のほか、建築・不動産、そして高齢者施設事業にも力を入れている。