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社会

〔記事再録〕政治の生産性を高めよ

牛尾治朗(ウシオ電機会長)

2011年06月06日 公開 2022年08月29日 更新

" 松下幸之助は1967(昭和51)年に、PHP研究所創設30周年記念事業の一つとして、『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』と題する一冊の本を著した。「21世紀に日本はこういう国になってほしい」と考えた理想的な日本の国家・社会の姿を物語風に描いたものである。

 

 この近未来小説は、西暦2010年に、大掛かりな国際世論調査の結果が発表されたという設定で話が始まる。その調査で「世界でもっとも理想的な国」の圧倒的な第1位にランクされた日本を訪れたある国際視察団一行の足取りを追いながら、その実情はどのようなものなのかを探るという筋書きである。

 本稿は、2010年を迎えたこの機会に、松下の“夢”を振り返り、それがどの程度まで実現に近づいているのか検証するものである。

 今月は、PHP総研・研究主幹(PHP研究所常務)の永久寿夫が「政治の生産性」についての『21世紀の日本』の記述と、現在の実情との比較を分析し、牛尾治朗氏に「日本社会の生産性を高める道」について論考いただいた。

松下幸之助が描いた「政治の理想」とは?(永久寿夫)

 国際視察団は、政治の生産性を上げるために国や地方自治体に対してさまざまな提案をしている日本政治生産性本部を訪れた。そこでクラーキン氏が真っ先に質問したのは「政治の生産性」という聞き慣れない言葉の意味である。

 竹田本部長の答えは、「より少ない国費でよりよい政治を生み出すことです。たとえば1時間かかっていた役所の仕事を30分ですませれば、役所の時間を節約できるのに加え、役所で認可などをもらわねばならない国民も、節約できた時間を有効に生かせる。役所が生産性を上げれば、それだけ費用も少なくてすむし、それにもまして国民の働きを生かすことになります」というものであった。

 そこでトアン氏が質問した。「わが国でもそうした理念や方策は研究されているのですが、その実践となると、政治の各面がこれまでの姿にとらわれてしまう場合が多いのです。日本の場合にはそういうことはありませんか?」。

「本部は政治家及び政治関係者、官僚出身者が3割、民間各界の実務経験者が7割で構成されており、提案が政治の各面の考え方なり実情なりを十分踏まえたものになるため、たいていは受け入れられます」という竹田本部長の答えに対して、「しかしいろいろな立場の人がメンバーになればなるほど、意見や利害がまちまちになって、大改革などの提案は出てこないのでは」とトアン氏は食い下がった。

「人員削減などの場合には、離職者が新しい職を得られるよう十分配慮したり一定期間生活費を保障して、犠牲をできる限り少なくするようにしています。大事なのは、政治家をはじめ国民の多くが、政治の生産性向上の大切さをよく認識していることです。たとえば、政治の生産性向上のために職場を替わった人は大きな貢献をした功労者だ、と見るわけです」というのが竹田本部長の答えだった。

 政治の生産性を上げた具体例として、議員定数の削減が挙げられた。同本部内の政治生産性研究所の研究に基づき、議事が効率的かつ充実する定数が定められた。しかも議員は審議すべきことは十分審議するが、いたずらに議論を重ねることはなくなった。議会の生産性が高まり、それがいまの日本の安定した繁栄につながっている。

 裁判のスピードも速くなった。裁判は慎重にして過ちなきを期さねばならない。しかし、民主主義が曲解されたのか、30年前ほどから個々人が必要以上に強く権利を主張するようになり、ささいなことですぐに裁判に訴えるようになった。裁判件数が増加し、交通マヒならぬ「裁判マヒ」と呼ばれる社会現象も生じた。

 そこで、スピードアップを図るため裁判に時間制約が設けられ、これに対して裁判官も検事も被告も弁護人も、すべて連帯して責任を負うことになったのである。結果として裁判は順調に進むようになり、国民も満足している。

 生産性の向上は、地方自治においてもみられる。

 たとえば、赤字を続け、行政が停滞し、住民の福祉向上も難しい、道路もつくれない、学校も建てられないと困っていた自治体が、政治生産性研究所に相談して、住民の福祉を適正に保持したまま5年間で歳出額を半分に減らす計画を打ち立てた。

 実際には、住民の理解と自治体の努力で4年でそれを達成することに成功し、それ以降も赤字を出していない。

 信じられないという表情で、その実現方法を尋ねたミリー女史に対して、竹田本部長は次のような改革のポイントを示した。

 まず、これまでやっていたことでも効果が上がらないものは、思い切ってなくしたこと。立ち話で済む話はそれで済ませ、会議を減らしたこと。職員を半分に減らし、失職するものには他に就職を紹介したこと。建物で使わない部分は他に貸すなど、ハコモノの有効活用を行なったこと。住民でできることは町内会や自治会にお願いしたこと。また、とりわけ町の美化については、自分たちの町は自分たちできれいにするのだ、という住民意識を高められたことが成功につながったという話があった。

 なぜ、日本では政治の生産性を高めることが可能であったかといえば、日本では単一の言語が話されているほか、国民の習慣や考え方、生活態度などに大きな違いがなく、多言語・多民族で成り立っている国に比べて調和調整を図っていくのが容易である点が挙げられる。しかし、それだけで政治の生産性が上がるわけではない。肝心なのは、政治家も国民も、お互いに政治の生産性の大切さを認識し、いかにすれば政治の生産性が上がるかを、十分に研究検討して、実際の政治に生かしていくことなのである。

 日本の政治のすばらしさに感心する一行に対して、竹田本部長は最後にこう締めくくった。

「政治の基本理念とは国民の欲望を適切に満たしていくところにあるのです。何でもかでも満たしていけばよいというのではありません。それぞれが自分の欲望を満たそうとする活動を調和調整し、ともどもに適正に満たしていくのが政治なのです。つまり、国民お互いが欲するままにして矩をこえない、という状態をつくることです。『人間本然主義の政治』ということもできます。日本もまだ、そういった理想的な姿に到達するまでの途上にあるわけです」

2010年の実際の姿とは?(永久寿夫)

 22兆円と637兆円。これは松下幸之助が『21世紀の日本』を著した1976年と、彼がそのなかで日本の理想像を想定した将来、すなわち2010年における実際の国の長期債務残高である。対GDP比で13%から134%への増加。借入金や地方の債務を加えれば、さらに借金の数字は大きくなる。国際比較をしても異常値である。少子高齢化によって社会保障費が増えるのは仕方なかろう。借金といってもまだ国民の金融資産のほうが多い。だがこの数字は、日本の政治の生産性が松下の期待に反して悪化していることを如実に表わしている。

 松下が政治の生産性の重要性を訴えた背景には、71年の変動相場制への移行による円高、追い討ちをかけるように生じた73年のオイルショックによる原油高騰で、日本経済の要であるモノづくりと輸出が大打撃を受け、生活に対する不安が国民全体に広まったことがあろう。74年には戦後初めてマイナスの実質経済成長を記録している。企業でいえば、赤字転落のような状況であり、これを乗り切るには仕事の生産性を高めるしかない、という実業家としての発想があったのではないか。

 その後、第二次オイルショックで再び大打撃を受けた日本は、81年に第二次臨時行政調査会を設置する。目的は「低成長経済への移行、財政赤字の構造化、70年代に進行した社会情勢の変化(オイルショック)に対応」するためである。同じ実業家である土光敏夫に率いられた第二臨調は、松下の危機感に呼応するかのような役割を担ったかたちになる。

 以後、臨調の役割はいくつかの組織で引き継がれ、政治の生産性の向上を図る改革が広範囲にわたって進められる。電電公社・専売公社・国鉄の民営化、情報公開法、中央省庁再編、経済諮問会議設置、金融庁設置、郵政改革、審議会改革、独立行政法人設置、地方分権改革(三位一体の改革)、道路公団民営化、さまざまな政策分野における規制緩和などが具体例である。そして、公務員制度改革は今後のもっとも大きな山になるであろう。

 こうした改革は先進各国でも同様に進められてきた。PFIなど自治体におけるニュー・パブリック・マネジメントの試みや、自治体からスタートし、民主党政権によって国レベルでも大掛かりに推進されるようになった「事業仕分け」も海外の取り組みを日本流に取り入れたものである。

 こうしてみると、80年代から今日に至る日本政治の主題は、学会や論壇も含めて、まさに政治の生産性を高めるところにあったといえる。とりわけバブル崩壊以降におけるその必要性はさらに高まり、その認識は国全体で共有されていた。経済団体やシンクタンクなどからも多くの提言がなされている。にもかかわらず、冒頭で示したように、なぜ生産性が高まらず、コストだけが増えているのかといえば、改革の多くが形骸化しているからにほかなるまい。そして、その主たる原因はおそらく、政治のリーダーシップや政党のガバナンスの脆弱性にある。

 55年体制と呼ばれる自民党政権の時代には、党内の派閥が競合しながら利害調整を行ない、官僚を使って政策を実行していく、いわゆる派閥政治が行なわれてきた。そのプロセスのなかで政治家はリーダーとしての能力を磨かれた。だが、そのプロセスこそ政治の生産性を低くしている原因であり、また改革の抵抗となる既得権益をつくる温床となっていた。それでは改革は進まない、と政治改革が叫ばれ、政界再編が行なわれてきたのである。

 その所産の一つが93年に誕生した細川内閣である。派閥政治を解消し、強いリーダーシップの下で政策本位の政治の実現をめざして、派閥政治をつくる要因である衆議院の中選挙区制度を廃止、小選挙区比例代表制を導入したのである。各候補者が地元選挙区でそれぞれに訴える話ではなく、政党が掲げる政策をもとに選挙をする。党首を総理にする前提で選挙をする。そのタテマエは、選挙改革から10年近くを経て、マニフェスト選挙として曲がりなりにも結実した。

 ところが、中選挙区制を廃止した結果として派閥の機能が薄れ、皮肉にもトップリーダーを支える仕組みも弱まってしまったのである。たしかに旧体制のなかで揉まれて育ったリーダーたちにはそれなりの指導力があったが、それだけでは不十分であった。そこで、小泉政権時代に権限を総理周辺に集中させ、改革に大きな力を発揮できるようにしたのである。だが、小泉総理がこのガバナンスのあり方を定着させる前に退陣したため、また昔のような、しかもリーダーとしてはパワーダウンした政治家たちによる派閥調整型政治に戻ってしまい、総理を次々と代える事態にまで陥ってしまった。安定した強いリーダーシップがなければ、改革は名ばかりのところでブレーキがかかり、病根に深くメスを入れるには至らない。

 民主党が長年の夢であった政権交代を果たしたのは、有権者が自民党の体たらくに辟易していたこと、民主党が政治のリーダーシップのあり方を総選挙のマニフェストで示したことに大きな理由があろう。だが、それから1年余りが過ぎた現在、その民主党におけるリーダーシップも画餅に帰した感である。未曽有と呼ばれる危機にありながら、これでは政治の生産性など高まるはずがない。

日本の強さの根源を考え直すべきとき(牛尾治朗)

「総合力」と「変化即応力」で際立つ松下流

『21世紀の日本』に描かれた「政治の生産性」という言葉と「日本政治生産性本部」という組織──これはじつに松下幸之助氏らしい発想だと、しみじみ感じる。

「生産性」という言葉は、私にとっても強い思い入れがある言葉である。戦後日本の高度成長を大きく牽引したキーワードもまさに「生産性」であった。

 戦後日本では、アメリカ型経営に学ぶべく1955年に日本生産性本部がつくられ、以後10年間で延べ5,000人にも及ぶ経営者や経営学者が渡米し、実地で当時最先端の技術やノウハウを学んだ。お偉方も自分で鞄をもち、バスを借りきってさまざまな現場を回ったのであった。

 この運動は、戦後の日本の経営のあり方を大きく変えていった。とくに大きく変わったのは、あえてひと言でいえば、「ヒト・モノ・カネ」という経営の大原則に加えて「情報と時間」という要素が重視されるようになったことではないか、と私は思う。各企業が取り組んだ「合理化」や「効率化」のための運動は、まさにこれに直結するものであったし、昨今の「IT技術」の進歩は、この部分をいままでにも増して加速させているといえる。

 さらに昨今、「いかに生産性を高めるか」を論じる場合に重要となってきているのが、「『労働生産性』よりも『全要素生産性』をいかに高めるか」である。「全要素生産性」とは、全体の産出量の「変化率」から労働と資本の投入量の変化率を引いた数値のことであり、労働や資本などの生産要素だけでは測れない、技術・研究開発など創造性の部分を計測するためのものだ。

 私は、この部分を伸ばすために、組織には「4つの機能」が必要になると考えている。

 1番目は、「つねに総合力を高めること」。企業経営で成功しているところは、たいがい会社のあらゆる部門の総合力を上手に使い、時には外注先まで巻き込んで総合力を高めている。2番目は、「変化に即応する力」だ。とくにグローバル化にともなう目まぐるしい変化に即応する力がなければならない。3番目は、「合理的な、効率の高い運営」。これは生産性向上運動、機械化、TQC(全社的品質管理)などで、日本企業がこれまで高めてきた部分である。そして4番目は「信頼性」である。消費者からも、従業員からも、社会からも信頼されるような組織であることだ。

 この第3と第4の機能は、多くの日本企業が高めてきた部分であるが、問題は、第1と第2である。これは完全にトップマネジメントの領域の話である。そして松下幸之助氏の経営が秀でていたのは、まさにこの部分であった。

 総合力を発揮し、変化に即応する力をもつには、優先順位を明確にする必要がある。さらに部分効率でなく、総合効率を最大の価値観にしなければならない。また、リードタイムも頭に入れねばならない。たとえば工場を建設するときは、市場動向なども読みつつ、5年後を見据えて、いま着手するといった発想をもたねばならないのである。

 松下氏はこの点で、じつに際立っていた。松下政経塾を創設して数年後のある日、松下氏が拙宅を訪れ「政経塾はうまくいっている。だが、これが世間に貢献するにはまだ15年かかる。この国の窮状はそれでは間に合わない。新党しかないのではないか」とお話しになったことがあった。つねにそのようなスパンで考えておられたのだ。

 先を見据えることが大事なのは、政治こそ然りである。だが、いまの政治はどうか。民主党政権は「政治主導」を唱えているが、本来、政治家の力があれば、そんなことをいわずとも政治主導になるのだ。力がないのに、あえてそのような言葉を使うから、そこに無理が生じる。

 経営は、職人技術とクリエイティブな能力の二本立てである。たとえば資金繰りや労使交渉などは、ある種の職人的な技術といえよう。片や、先に挙げたような「総合力」や「変化即応」、または「企画力」などはクリエイティブな能力である。このどちらか一方では、経営は成り立たないが、民主党政権は職人力が足らず、いわば中途半端な企画力だけで運営されているような感じがある。

 むろん、これまで50年も自民党政権が続いてきたのだから、はじめて権力の座に上った政党が新入社員の集まりのようになってしまうのは、ある面でやむをえない。だが、それならば、職人技術の部分は当分、官僚を上手に使うことによって補うしかないのだ。いま、その連携は不十分で、霞が関の官僚たちは、ともすれば「すねて」いるようにさえみえる。これはけっして健全とはいえまい。

「ゾンビ化」で、国も経済も停滞しつづけた

 思えば、1990年ごろまでの日本は、総じてかなり生産性が高かった。冒頭に挙げた取り組みが功を奏したことも大きな要因だが、ほかにも、いくつかの理由がある。

 一つは、軽武装・経済重視という吉田内閣以来の基本方針の成功である。軽武装は岸信介政権での日米安保改定によってより確実なものになり、経済重視は池田勇人内閣の所得倍増論で大きな方向性が打ち出された。そしてそれを支えたものが、日本独特の戦後システム、すなわち「官主導」による業界を軸とした産業界の近代化であった。

 戦後日本のこの方針は、冷戦の東西対立構造のなかで、日本がアジアのなかで民主主義、市場経済、独立国家の象徴としてのショーウインドーになることが期待されたこともあって、大きな成果を収めたのであった。

 だが問題は、冷戦終了後の新たな局面への対応に、日本が決定的に遅れたことにあった。アメリカは北米自由貿易協定(NAFTA)を締結し、カナダ、メキシコとの有益な国際分業に道を開いて足元を固めつつ、経済のグローバル化をIT革命と連動させて猛スピードで推し進めた。ドイツは悲願であった東西の統一を果たし、さらにフランスと手を携えて欧州統合に積極的に取り組んだ。しかし日本は、過去の成功に過信があり、微修正で乗り切れると考えた。土光臨調などで、国鉄や電電公社の民営化やいくらかの規制撤廃などを進めたが、しかし全体としてみると改革のスピードはあまりに遅かった。

 日本は、グローバル化に対応するために、かつての成功モデルである「官主導」を抜本的に改めるべきだった。過去のしがらみのなかで利害調整のために築き上げられた複雑多岐にわたるネットワークを打破するために、もっと規制撤廃を進め、民間主導の経済をつくらねばならなかった。これは松下氏がかねて熱く説きつづけたことでもあった。だが実態は、官主導体制は続き、疑似民間で努力しないで儲かるような部門がしぶとく生き残りつづけた。まさに経済の「ゾンビ化」である。

 市場経済は、強いものが残って弱いものが消えていくから全体の生産性を高めることができる仕組みだ。弱いものをいびつなかたちで残しつづけたら、平均値が落ちてくるのは火をみるより明らかである。ダーウィンが説いたように、変化に即応できるもののみが生き残れるはずなのだが、日本では変化に即応できないものでも儲けられる道がたくさんあり、政治も利権絡みでその道を固守しつづけた。だから国も経済も停滞しつづけたのである。

規制緩和で透明性を高め、雇用の閉鎖性を見直せ

 また日本は、もっとオープン化せねばならなかった。松下氏は『21世紀の日本』で、2010年の日本が生産性の高い政治を実現した理由として、日本人が同一民族で同質性が高いことを挙げておられるが、これは松下氏が30年前に、さすがにここまでグローバル化が進むことを予見しきれなかったゆえでもあるだろう。ITの発達で世界中のどこからでも情報を得られるようになり、多様化はますます進んでいる。日本人の同質性も低くなってきた。経営においても、グローバル展開のなかで、いかに多様な存在をマネジメントするかという部分が重要になり、むしろ、これまで日本人が培ってきた「同質性を前提とした組織運営マインド」が足枷になっている部分もある。

 オープン化とは、「開放」と「透明化」である。日本をオープン化するために、規制緩和を進めて日本の制度や市場をより透明性の高いものとするとともに、たとえば雇用なども、閉鎖性を見直していくべきであろう。ヨーロッパなど諸外国では「国外も含め、雇用のあるところで働く」ことが普通の考えになっているように感じることがある。日本も、海外で働くことがもっと普通に視野に入るような環境にしていかねばならない。

 日本政府のグローバル化への対応がここまで遅れてしまったのだから、日本企業が海外に出ていくのは、ある意味でやむをえない。日本での生産投資は大きく減少しているのに、海外への投資額は2009年、35%増えたという。これに現地での利益を現地で投資した金額を加えれば、その増加ぶりは目を見張るほどだ。となれば、日本国内での勤務に固執しなければ、海外に雇用先は山ほどあるはずである。海外基準での採用だから給料は安いかもしれないが、その分、海外での生活は物価も安い。すでに日本の大学を卒業後、香港や上海で職を探すケースも出てきているというが、今後そのような流れは加速するだろう。

 逆に、日本が企業や工場を残したければ、日本の排他性をなくし、グローバルに競争できる環境を整備するしかない。専門的な外国人労働者を多く導入すれば、日本の職環境はより活性化するだろう。雇用における正社員と非正社員との峻別も見直さねばならない。またFTAを積極的に推進し、ひいてはアジア共通経済圏の実現をめざすことも、本気を出して取り組まれるべき課題であろう。

 高齢化も、いまの日本の大問題である。以前、本誌でも提言したが、人生を「青年期」「壮年期」「老年期」に分け、それぞれで職場を選べる仕組みを模索することも必要ではないか。3世代を通して同じ職場を一生貫く人がいてもいい。壮年期にもう一度学校で学び、専門技能を身につけて専門職になってもいい。保育士などは子育てや孫の世話で経験豊富な老年期のほうが、かえって安心かもしれない。そのように融通無碍に多様な選択ができる社会が実現すれば、これは生産性をグッと高める要因になるだろう。

現場主義、完璧主義、集団主義に根差した「力」

 さらに、松下幸之助経営を私流に表現すれば、日本の戦後の成功を支えた大きな要因は、日本人の「現場主義」「完璧主義」「集団主義」にあると思う。

 現場主義ということで思い起こすのが、松下氏が現場の課長に直接電話をかける場に、たまたま出くわしたときのことである。松下氏は、「いま、君の上司と話したから、もうじき指令が下るだろうけど、現場で責任をもつ君のことを思い浮かべてこの案をつくったのだから、しっかりしいや」と話しかけたのだ。それを聞いた課長は命懸けになったはずだ。これが現場主義を知り尽くしたトップマネジメントのツボだと、しみじみ痛感したものである。

 また日本人ほど完璧主義者はいなかった。これも私の体験だが、土光臨調のとき、私が開会時刻の10分前に着いたら、委員のみなさんはすでに着席して「やっと来たな」と苦笑いしている。「まだ10分前ですよ」と返したのだが、土光氏はつねに30分前には席に着いていたのだ。要するに、完璧主義というのはそういうものなのである。

 集団主義も日本人の特性で、おいしいものを一人で食べるより、みんなで食べることに幸せを感じる。これらが戦後日本で大きく生きたのだ。

 先ほど、松下氏の「変化に即応する力」に言及したが、その姿は、たとえば心配なときは工場に泊まったり、現場の人間の知恵を結集したり、腑に落ちるまで徹底的に追究するというあり方であった。MBA(経営学修士)を取得した優秀な人間による机上の空論よりも、現場での経営判断を重んじる気風が根強くあった。つまり、現場主義、完璧主義、集団主義に根差した「力」だったのである。

 ところがこの3つも、崩壊を始めている。

 豊かになったことで、みな自分のことを第一に考えるようになり、集団主義が薄れた。さらに、民主党政権下の事業仕分けでの「世界一になる理由は? 2位じゃダメなんでしょうか」という台詞に象徴されるように、完璧主義も薄れてきた。かつての日本メーカーでは、世界一をめざすのは当然で、少しでもそれに近づくべく死に物狂いの努力をしたものだ。だが、そのモチベーションも過去のものになりつつあるようだ。現場主義も、最近は3K(きつい、汚い、危険)として嫌われている。

 完璧を求める気質の喪失、几帳面な組織力の減退、時間厳守のルーズ化……。これらの結果、生産性が大きく損なわれているのだ。ここは日本の強さの根源を、いま一度しっかりと考え直す必要がある。

 政治は、以上のような視点も踏まえつつ、社会の生産性を高めるために知恵を絞るべきである。その意味でも、松下氏の指摘はじつに先見性に富んでいたといえる。これから2020年に向かってできるだけのことをやれば、日本の生産性問題は解決するはずだ。いまもう一度、根本に返り、真剣に考えるべきときである。

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