「本は1冊読み終えてから次へ」という読み方、なんとなく正しそうに思えますよね。しかしその常識を疑うことで、同じ読書時間でも得られるものが大きく変わってくるとしたらどうでしょう。書籍『「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書』より解説します。
※本稿は、西岡壱誠著『「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書』(新潮社)より一部抜粋・編集したものです。
1冊ずつ読んではいけない!
早速ですが、みなさんに1つ質問です。
みなさんは普段本を1冊ずつ読んでいますか? それとも同時並行で複数の本を読んでいますか?
多くの人は、1冊ずつ、つまり「1冊読み終わってから次の本を読み始める」という読み方をしているのではないでしょうか。
たしかに、複数の本を同時に読むのはちょっと大変そうですし、1冊終わってから次の本に移る……というほうが、本の内容は頭に入ってきそうです。
しかし、1冊の本からより多くのインプットが得られるのは、「同時並行で複数の本を読む」読み方なんです! 僕はこの読み方を、「検証読み」と名付けました。
意見の偏りを避けられる
同時並行で読む「検証読み」の最初の効用は、「意見の偏り」を避けられることです。
本というのは、基本的に1人の著者によって執筆されています。1人の著者が、その人の言葉で、その人なりの意見を述べる。それを読むのが「読書」です。
しかし、それはあくまで「1人」の意見です。どんなに権威のある著者でも、経験豊富な作者でも、その意見はあくまでも1人によって書かれたもの。その意見だけを「へえ、そうなんだ」と無批判にインプットしていると、どうしても偏りが生じてしまいます。
世の中には、いろんな意見があります。「幽霊はいない!」という人もいれば、「幽霊はいる!」という人もいます。「ヒトラーは悪だ!」という人もいれば、「一概にヒトラーだけを悪者にするのは良くない」という人もいます。1つの政策について、いいと言う人も悪いと言う人もいるでしょう。
人の数だけ正しさがあって、人の数だけ意見がある。でも、なかなかそれに気がつくことはできません。
だからこそ、同時に複数の本を読む「検証読み」が効果的なのです。
主体的に読むことができる
「検証読み」の2つ目の効用は、「受け身の読書」を避けられることです。
本を読むときは、どうしても受け身になってしまいがちです。どんな本を読んでも、「なるほど、それが正しいんだな」と考えてしまいがちなのです。それ自体はまったく悪いことではありませんが、しかし、それではなかなか考える力が身につかず、「得た情報を自分なりに使いこなす」ということができません。
得た情報を、自分が使いこなせるような知識にするためには、どうすればいいのでしょうか?
そのためには、ちゃんと「本当かな?」「他の本ではどう言っているんだろう?」と一歩引いて、つまり客観的な目線を持ちつつインプットすることが大切です。
たとえば、「科学的な根拠がないため、幽霊は存在しない!」という本を読むだけでは、「幽霊はいないらしい」という主観的で一元的なインプットしかできません。しかし、「多くの証言から、幽霊の存在は否定できない!」という本を同時並行で読むことで、「科学的には幽霊の存在は証明できないけれど、しかしまるっきり根拠がないとも言えないんだな」とより深く、客観的で多角的なインプットが可能になります。
また、「ヒトラーは悪だ!」という本と「一概にヒトラーだけを悪者にするのは良くない」という本を同時に読むことで、「ヒトラーのやったことは紛れもなく悪だけど、歴史的な背景を考えると、たしかに一概に『ヒトラーは悪だ』と言えない部分もあるかもしれない」と、より深く、そして客観的にヒトラーや歴史のことを学べますし、考えるきっかけにもなるのです。
このように、「受け身」の読み方をやめて客観的な目線を持ちつつ読むことで、1回の読書で、客観的で多面的な"使える"知識をインプットし、考える力をつけることができるのです。