優位戦思考に学ぶ 戦後70年と大東亜戦争
2015年11月27日 公開 2022年10月13日 更新
戦勝国のつくった秩序、ルールの中で生存してきた戦後日本
上島 大東亜戦争後の国際社会も70年が過ぎましたが、この基本的なルールに変わりはありませんね。銃弾、砲弾が飛び交う国家同士の戦闘は少なくなりましたが、「実力が物を言う」という現実は変わっていない。
もっとも、実力よりも、国連安保理の常任理事国メンバー(米英仏露中)を見てもわかるように、先の大戦の勝者か敗者かによって立場が固定され、そこに核兵器保有という彼らの独占的優位が重なっての力関係が続いています。
国連の旧敵国条項も、そのままです。第二次大戦中に国連憲章の署名国の敵だった日本やドイツなどに制限を科した条項で、今でも「第二次大戦の結果としてとる行動」の範囲内であれば、加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくても、旧敵国に対して自由な武力行使ができるという内容です。
しかし「第二次大戦の結果としてとる行動」が何かは曖昧で、事実上、彼らの恣意性に委ねられています。国連分担金第2位の日本に対して、こんな差別をしているのが国際社会の現実です。
さすがに削除すべきとの意見もあって、これまで何度か国連で「削除を決意」という採択がなされましたが、採択を批准した国数は効力発生に必要な加盟国の3分の2に足りません。所詮ポーズなのですね。戦後の国際社会を公平に運営するよりも戦勝の果実維持、というのが彼らの本音なのでしょう。
日下 戦後の日本は敗戦国として戦勝国のつくった秩序、ルールの中で生存してきました。「従わないと孤立するぞ」と言われると、慌ててそれに対応し、そして必死に追いつき寄り添おうとしてきた。これは典型的な劣位戦思考で、いまも日本人はそこから脱け切れていない。だから多くの政治家、官僚、識者と称される人たちは坂井三郎さんのような発言ができない。気概も誇りもない。
上島 劣位戦思考が歴史認識にも染み込んでしまっています。いわゆる従軍慰安婦問題でも、少なくとも韓国が主張するような日本が悪逆非道をなしたという事実のなかったことを認識しながら、「それを主張しても世界に通用しない」と、肝心の事実関係を棚上げしてまで日本非難を繰り返す相手に寄り添おうとする。一方的に和解を乞うて、その都度裏切られてしまっている。こんな惨めなことはないと思うのですが、逆に自分は誠実なのだと酔っているかのようです。
日下 日本の外交官、学者、進歩的言論人、政治家には劣位戦思考しかないのかと言いたくなりますね。彼らは、決められた枠の中でベストを尽くす達人、というよりも、それしかない。“実戦”経験の乏しい学校秀才が多いからで、与えられた授業内容の枠内で一生懸命勉強して、正解が決まっている試験に合格してきた。歴史認識の問題で言えば東京裁判史観に従うことであり、経済で言えば省エネなどの新国際基準が決まれば、直ちにそのルールに適応し、最高点を挙げてみせるということです。
しかし、自分で新しい枠やルールを設定できず、欧米が決めた枠やルールそのものがアンフェアかどうかには思いが及ばない。事実をもって戦うという姿勢もない。さらには「日本が優れた新基準をつくって、世界に普及させる」という発想ができない。これでは欧米諸国がルールや事実認識を変えるたびに後手に回ることになる。歴史認識問題然りです。
だからこの対談は、本筋だけでなく横道に入ったり、裏道を回ったり、飛んだり跳ねたりしながら(笑)、定説や既成概念とは異なる意外な発想、視点、日本の可能性と選択肢を探していきましょう。
日下公人(くさか・きみんど)
評論家。1930年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。日本長期信用銀行取締役、ソフト化経済センター理事長、東京財団会長などを歴任し、現在は日本財団特別顧問、三谷産業監査役、原子力安全システム研究所最高顧問。『日本と世界はこうなる』(ワック)、『日本既成権力者の崩壊』(李自社)、『思考力の磨き方』『日本精神の復活』(以上、PHP研究所)など著書多数。
上島嘉郎(かみじま・よしろう)
ジャーナリスト。1958年長野県生まれ。愛媛県立松山南高校卒業。フリーランスを経て91年に産経新聞社入社。サンケイスポーツ編集局整理部を経て95年に退社。『月刊 日本』創刊編集長を務める。98年、産経新聞社に復帰。以後、雑誌『正論』編集部、2005年に『別冊 正論』編集長、06年11月に『月刊 正論』編集長に就任。14年7月、産経新聞社を退社。編者として『日本の正論』『恐れず、おもねらず』(以上、産経新聞社)『石原新太郎の思想と行為』(産経新聞出版)を担当。