優位戦思考に学ぶ 戦後70年と大東亜戦争
2015年11月27日 公開 2022年10月13日 更新
『大東亜戦争「失敗の本質」』より
大東亜戦争は本当に「無謀な戦争」だったのか?
「識者」とされる人たちの歴史観を斥けた安倍談話
上島 戦後70年の安倍首相談話に関する政府の有識者会議「21世紀構想懇談会」で座長代理を務めた北岡伸一国際大学長は、大東亜戦争に再々言及し、「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と述べたほか、「日本は侵略して、悪い戦争をした」「(中国に)誠に申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う」とも述べました。北岡氏が大東亜戦争を「悪い戦争」と言うのは、平明な言葉遣いを意識したのでしょうが、正直、「悪い戦争」と一言で括られたのでは、北岡氏には自らの生まれ育った国の歴史に対する一掬の愛惜すらないのかと嘆息せざるを得ません。
しかし、日本のマスメディアで今日「識者」とされる人たちは、おおむね北岡氏の見解に近いようです。たとえば10年ほど前にベストセラーになった半藤一利氏の『昭和史』(平凡社)は、すべては日本政府と日本軍に大きな問題があったのだという基調で語られ〈いやはや、やっと間に合ったのか、ほんとうにあの時に敗けることができてよかったと心から思わないわけにはいきません。それにしても何とアホな戦争をしたものか。この長い授業の最後には、この一語のみがあるというほかはないのです。ほかの結論はありません〉と締め括られています。結論が「アホな戦争」なのです。
保阪正康氏の『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)も同様で、「単純な善悪二元論を排し、『あの戦争』を歴史の中に位置づける唯一無二の試み」と帯に謳ったその内容は、当時の日本が置かれていた国際情勢の過酷さとそれに向き合う日本の苦悩に対して終始突き放した態度で、父祖の行為は後生として弁護しなければならないとまでは言わないとしても、客観性や公平性に欠けると言わざるを得ません。
保阪氏の認識を端的に言えば、「天皇神権説」に囚われた狂信的な軍人たちが、アメリカという巨大な存在に戦略もなしに無謀な戦争を仕掛け、結果的に数多くの若者が無駄死にし、しかもその間、一般国民も戦争に熱狂した。大東亜会議も茶番にすぎないから、そこに汲むべき意義はない。
一方で原爆投下や無差別空襲で無辜の市民を虐殺したアメリカを非難する視点はありませんし、日ソ中立条約を破って昭和20年8月15日以降も日本に侵攻し続けたソ連に対しても、9月2日の東京湾上の戦艦ミズーリ号での降伏文書調印によって「終戦」となったのだからそれほど責められるものではない、というものです。
「あの戦争は何だったのか」という問いかけに、「単純な善悪二元論」をもって、当時の連合国側は「善」、日本は「悪」というのがその結論だと言えます。
これらは戦後60年における歴史検証の主流として持ち上げられたものですが、戦後70年においても、国民意識の底流はともかく、多くのメディアの表層を占めたのは、先の大戦の原因と責任を日本に求める視点ばかりでした。当時の米英はじめ諸外国の思惑、敵意や悪意、憎悪や妬みといった要素にほとんど目配りのないまま、「愚かな戦争」「無謀な戦争」という結論から、「侵略」「植民地支配」「謝罪」の3つの言葉が70年談話に必須のような空気がつくられました。
日下 それが戦後語られている歴史の定説だということですね。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話も、それを前提にしていた。今回の安倍総理の談話は、そうした前提とそれを金科玉条のように考える空気に対し、何とか日本の歴史的立場を守ろうと踏みとどまったものです。
少なくとも帝国主義時代にあって日本が行ったことの相対化を図り、日本だけが国際社会において一方的な糾弾の的にされるのはフェアではないという意志を慎重に示したと言える。だから新聞各紙はそれをけしからんと、一斉に非難したわけです。