先端医療? 先進医療? 標準治療? 東大病院を辞めたから言える「がん」の話
2015年12月13日 公開 2023年01月12日 更新
本当に切らずに治せるのか?「粒子線治療」
現在の放射線治療は昔のものと明らかに様変わりしました。放射線治療装置やコンピューター技術の革新にともなって、その学問は確実に進歩しているのは本当です。治療する標的周囲にある臓器への放射線障害をなるべく減らしながら、がん病巣だけにできるだけ的を絞ってピンポイント照射できる技術力などもそうです。前立腺がんや、頭頸部がん、脳腫瘍などには過去には難しかった恩恵が受けられるようになっています。そのような中、放射線とは異なるエネルギーをもった重粒子や陽子を用いた治療が「先進医療」として位置づけられ、多くの国民の関心が、体にストレスを与えないハイテク治療に向いているのは確かでしょう。
しかし、従来の放射線治療を凌駕することを示した検証データはまだどこにも存在していません。まだまだ臨床研究段階レベルのいわばテスト最中の治療であり、対象を明確にして慎重な取扱いとするべきなのです。ところが、この「先進医療」を実施する装置がいたるところに設置され、各生命保険会社が、それら「先進医療」などもカバーできる保険商品を盛んに売り出していることも相まってか、まるで「万能治療」のような目に余る宣伝が見受けられることが少なくありません。
これらは、あくまでも従来の放射線治療枠の代替という位置づけであるにもかかわらず、本来のあるべき標準治療体系までも覆すような「切らずに治す」というメッセージを平気で言い切ってしまうことは大きな問題です。そのような実態以上の宣伝が社会に向けて大々的に発信され、そこに「先進医療」という何やら立派な冠がついているがゆえに、100万円を超えるような高額な自己負担であっても、すんなり受け入れてしまうのです。
「切らずに治す」という甘言と不誠実
現状、治すことを目指した治療として本当に「切らずに」済む可能性があるかどうかを具体的に議論してよいがんは、転移性肝がん、前立腺がん、脳腫瘍、肉腫などといった限られた疾患の、限られた状況に対してです。
「切らずに治す」という主張を言い切る人たちは、その無責任さゆえに患者さんを最善の治療に導いていないリスクを与えていることを、強く自覚するべきでしょう。治るという確認作業は治療後の長期に及ぶ経過観察(アフターケア)が大前提です。日本放射線腫瘍学会による「粒子線治療施設等のあり方に関する声明」においても、「粒子線治療を行った国内患者は、すべて症例登録が行われ、当該病院、連携医療施設にて適切に経過観察されるべきである」と言及されています。
「がん」という病気は、一時のパフォーマンスの成功のみで治癒が得られる保証などどこにも存在していません。多くの放射線科医たちは患者さんの死の場面に立ち会うことはなく、その転帰(生死)についてはカルテや診療録などをのぞいて、後から結果を知るだけのことがほとんどでしょう。患者さんはどのような再発をして最期をどのようにして迎えたのかについてまで丁寧にアフターケアしない者に、治療の本当の意義などわかるはずがありません。患者さんの前では調子いいことはいくらでもいえるのでしょうが……。
誤解しないでいただきたいのですが、私は別にすべての放射線科医を悪くいっているのではなく、仕事の領分の違いを述べているだけです。進歩した放射線治療学を理性的に普及させようとする、素晴らしい専門医もたくさん知っているのですが、先進医療がまるで「魔法の杖」であるかのように語る放射線科医は、一体どのようなインフォームド・コンセントを患者さんとの間で交わしているのでしょうか。
粒子線治療が格下げになる?
最後に、2015年8月8日付の「読売新聞」「毎日新聞」が報じたニュースによると、重粒子や陽子を用いた粒子線治療について、日本放射線腫瘍学会が「前立腺がんなど一部では、既存の治療法との比較で優位性を示すデータを集められなかった」とする報告書を厚生労働省に提出したようです。後ほどデータの詳細なども明らかになるでしょう。このような現状では、先進医療といったキラキラとした冠が付されていても、高額であることを加味すると標準治療に取って代わることは難しいわけです。場合によっては格下げ治療となることも考えられるでしょう。しかし、検証結果がまだ出ていないうちに、各地域で多くの粒子線治療装置施設の建設ラッシュがすでに見切り発進されていると聞きます。今後、この治療に対してどのような評価が行政として下されるのでしょうか。節度ある理性的な対応を期待したいところです。