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ハイデイ日高会長・神田正 ラーメンで株式上場を果たした風雲児

神田正(ハイデイ日高会長)

2016年02月08日 公開 2024年12月16日 更新

情熱と先見性が時代を切りひらく!

「中華そば390円」「餃子6個210円」「生中310円」――。財布にやさしい低価格を売りに、学生からファミリー、仕事帰りのちょい飲みサラリーマンまで、老若男女の客足が途切れない「熱烈中華食堂 日高屋」。低価格のほかにも、駅前立地、深夜営業が支持され、12期連続の増収増益を達成している。わずか5坪のラーメン店を一大チェーンに成長させた神田正会長が、リーダーに求められる資質と、いまなお抱き続ける夢を語った。

取材・構成:野間麻衣子 写真撮影:山口結子

 

社用車を買うお金があるなら社員の給料を1円でも上げたい

私は経営者には2種類あると思っています。企業の儲けを利用して私利私欲に走るタイプと、企業の成長を公共的、社会的な視点から考えるタイプです。振り返れば、バブル崩壊を背景に会社が急成長したこのころが、私にとってのターニングポイントだったと思います。

それまでは店を増やすことばかりに夢中になっていましたが、社会が変化するなかで、うちのラーメン店が地域の人々をどう幸せにできるのか。そして、縁あって深夜におよぶ厳しい仕事を一緒にしてくれる社員や、わが社ではフレンド社員と呼んでいるパート・アルバイトのみんなをどう幸せにできるのか。自分はこのことを追求する経営者になろう、と考えるようになりました。

ものすごく貧乏だった幼いころにくらべれば、チェーン展開するようになってからの自分の生活水準は、罰が当たるほど裕福だと思えました。好きなものが食べられ、寝るところがある。何よりも大好きな商売ができる。これ以上、裕福になる必要はありません。

私はいまも電車に乗って各店舗を見回ります。株式上場した日も、東京証券取引所には電車で行きました。会長専用の社用車は持っていません。本社ビルさえ賃貸です。

会社が想定していた以上の利益が上がれば、社員、フレンド社員の給料に還元したほうがよっぽどいい。2013年になってようやく、念願だった約7500人いるフレンド社員を対象とした賞与制度を実現しました。勤務時間や業務の習熟度に応じて年2回支給しています。

そして、私が大切にしているのが、年数回実施している「フレンド社員感謝の集い」。フレンド社員を招いての慰労会で、直接会ってさまざまな話をしています。きっかけは、10年以上勤めてもらった馴染みのフレンド社員が、知らないうちに辞めていたことでした。尽力してくれた仲間が去るときに、感謝の言葉1つかけられなかったのは、人として耐えられませんでした。

いま、世間では従業員を使い捨てにする「ブラック企業」が問題視されています。組織なんて所詮、息をしていない物体に過ぎません。組織より大切なのは、生きている人間です。私は、店を持つようになった当初、倒れるまで仕事をしたあの辛さを従業員には味わわせたくない。会社のために人間が犠牲になる必要はありません。ムリせず生きがいを持って従業員が働いて初めて、企業は存続していきます。

2006年から展開を始めた「焼鳥日高」。すべての商品を低価格でそろえた居酒屋として営業していますが、同時にこれは従業員への「福利厚生」でもあるのです。日高屋での仕事が年齢的にむずかしくなってきたシニア社員も、焼鳥であればラーメンほど体力を使わずにお店に立つことができます。高齢世代がもう一度活躍できる職場をつくりたいという思いから、「焼鳥日高」は生まれたのです。

 

※本サイトの記事は「PHP松下幸之助」<リーダー条件>特集号掲載記事の一部を抜粋したものです。

著者紹介

神田正(かんだ・ただし)

ハイデイ日高会長

1941年埼玉県日高市生まれ。中学を卒業して職を転々としたのち、’65年友人のラーメン店で働き始める。’73年大宮でおよそ5坪のラーメン店「来々軒」をオープン。低価格のラーメンを主力とする「日高屋」で業績を上げる。’78年有限会社日高商事を設立、代表取締役に就任。’93年北区赤羽に出店し都内進出。’98年株式会社ハイデイ日高に商号変更。2005年東京証券取引所二部上場、’06年東京証券取引所一部に指定。’09年より現職。

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