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生き方

人は死んだらどうなるの? 相国寺・有馬頼底管長の一喝

櫛原吉男(マネジメント誌『衆知』編集主幹)

2016年03月01日 公開 2024年12月16日 更新

「明日、京都で相国寺の有馬管長にお会いします。櫛原さんもご一緒しませんか」

長年お世話になっている呉服屋のK社長よりお誘いがあった。いつも急だが、相手が有馬管長なら話は別だ。予定を変更してお伺いすることにした。

朝から雪が深々と降り、広大な相国寺の境内を進むと、有馬管長の自坊である大光明寺がある。京都を代表する観光スポットである金閣寺(正式には鹿苑寺)と銀閣寺(正式には慈照寺)。いずれも足利氏ゆかりの禅寺である。この対照的な外観を有するお寺の住職は、実は同じ人物である。その人こそ、臨済宗総本山相国寺派・有馬頼底管長である。

相国寺は京都五山の第二位の名刹。室町幕府第3代将軍である足利義満が創建した。「相国」とは中国で左大臣を指す。義満が左大臣だったことから、そう命名された。

有馬管長は名門有馬家のお生まれで、幼少の頃は、今上天皇のご学友だった。しかし、父が事業で失敗しお家再興のため満州へ渡航した。そこで両親は離婚。残された幼い兄弟は母の実家に預けられたことから、どん底の人生が始まる。

実家の伯父からこれからどうするか聞かれた。前日、一休さんの絵本を読んでいた。

「一休さんのようなお坊さんになりたい」と思わず答えてしまった。

8歳で大分の貧乏寺に雛小僧として出された。その後、相国寺管長となる大津老師に出逢い。京都の大本山相国寺で修行を始めた。そして、相国寺のトップまで上り詰める。

「何故、トップになれたのですか」と私は問いかけた。

「本山で修行する多くの僧侶は、いずれ自分の生まれたお寺に帰る。しかし、私には帰る寺などない。だから、与えられた修行に一心不乱に取り組んだ。それを見てくれたのかもしれない」

また、京都仏教会の理事長であり、京都ホテル高層化・古都税反対の中心人物であった。そのためマスコミより「現代の僧兵」と揶揄された。

「京都は歴史と文化のある宗教都市である。東京な大阪のマネをする必要はない。鴨川から五山の送り火が見えなくなったら、京都ではない」

「こんな頑迷な坊さんがいるから、京都は発展しない」口の悪い都烏は噂した。そればかりか有馬管長に対する脅迫・中傷も後を絶たなかった。まさに命がけの反対であった。

次期管長に押された時、条件があった。「京都仏教会の理事長を辞めること」。それに対して「辞めよう」と答え、続けて「やめるのは管長になることだ。京都仏教会の理事長は続ける」と明言して周囲を驚かせたという。

今、年間5,000万人が訪れる世界一の観光都市・京都とそのすばらしい景観があるのは、まぎれもなく有馬管長のおかげである。

K社長は、長い間、入院をされていて私もお見舞いにも2度お伺いしていた。すっかり、元気になられて京都に来られたと思ったが、顔色が悪く元気がない。「櫛原さん、私はあと1年の寿命だと思っています。元気なうちに、自分の活動の集大成をDVDに撮影したい。それと、有馬管長にどうしたら『幸福な死』を迎えることができるか教えてもらいたいと思った」

K社長が暗い表情をして話した。もしかしたら、元気なうちに最後のご挨拶に京都にこられたのかと思った。

「K社長とは、もう30年近いお付き合いですな。初めは、わしが教学部長のときでしたなぁ」と懐かしそうに話された。有馬管長の記憶力には驚かされる。

「お金の心配はありません。でも死を考えると不安です。どうしたら安らかな死を迎えることができるでしょうか」たどたどしい言葉でK社長が真剣な表情で尋ねた。

「安心して、死になさい」と一喝。

「有馬管長は一体、何をいうのか」と内心驚いた。しかし、K社長はこの言葉を聞いて号泣した。

「主治医に京都にいくことを反対されましたが、有馬管長にお会いできるなら死んでもいいと思いお訪ねしました。ほんとうにきた甲斐がありました」

K社長は神妙に答えた。

「わしは仏さまに遠く及ばない。仏さまはクシナガラの菩提樹の下で野垂れ死にされた。だから、わしはどこで死んでもかまわない」と即答し、さらに、「お金、地位に執着しない。己の命にさえも。それが悟りだ。肉親の愛情にも執着しない。だから、僧侶は結婚してはならない」生涯、独身をとうされた有馬管長だからいえる言葉かもしれない。

「有馬管長猊下、死んだら来世は……極楽はありますよね」少しでもK社長の気持ちが安らかになればとフォローのつもりで私が尋ねた。

「そんなものはあるわけない。死んだらしまいや。チリになるだけ」と身も蓋もない答えだった。

「私は一体、どんな人間だったのでしょうか」とK社長が尋ねた。

「わしにそっくりや。人の話をきかん。しかし、正道を歩む人だ」と有馬管長が力強く答えた。

K社長はその言葉を聞いて、零れ落ちる涙をぬぐった。

「死ぬまでどう過ごせばいいでしょうか」とK社長がさらに問うた。

「人は裸で生まれ、裸で死ぬ。残すのはその人の行動だけ。死ぬまで働きなさい」とK社長を叱咤激励した。

私は千人回峰行で有名な酒井雄哉阿闍梨をはじめ多くの僧侶と面識があるが、その中でいつも思うことがある。仏教の使命は、四苦のなかでもっとも恐ろしい「死」に直面して、おののく衆生を安らかな心持ちに導くことだと。今、実際にその場に居合わせた。

有馬管長に、玄関までお見送りいただいた。終始、にこやかで合掌されているお姿が印象に残った。

「今までお会いしたなかで、今日の有馬管長が一番やさしかった」とK社長がしみじみ語った。

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